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伯爵家

「ひどい匂いだな」


 新幹線で駅に降り立ったテルの町の第一印象は大気の状態が酷いだった。

 工業都市であるメディオラヌムは繊維業で栄えており、繊維をほぐしたり漂白、染色するための化学処理の薬品や、紡績、織物の機械を動かす蒸気機関の煙突から出てくる排煙の匂いで鼻が曲がりそうだった。


「塗装工場よりひどい」


 軍に入る前、鉄道員になろうとアルカディア中央鉄道学園に通っていた頃、実習で現場配属された先の車両基地の塗装工場を思い出した。

 内部こそひどかったが、周辺住宅への影響を考慮して完全な密室で排気は完全に処理されていた。

 ここはそのような事など考えていないようだ。


「全く酷い匂いです」


 同行した元獣医のヘリオット軍医少佐が言う。

 獣医は元々、軍用馬の体調管理、生産のために生まれた職種だったが、近年の帝国軍の近代化、機械化により馬から自動車へ変わった結果、馬の数が減り、獣医の需要が減った。

 一個砲兵中隊、四門の大砲を運用するのに一五〇頭――大砲四門の牽引に六頭から八頭、弾薬車運搬に同数、さらに予備の馬を用意する必要があるため、騎馬中隊より馬の数が多くなってしまう。

 これが機械化されたら、兼引用のトラック四台と弾薬車四台、プラス兵員輸送車数台で済み、馬は不要だ。

 そのため獣医の必要数が激減し、獣医を軍医に移す計画が実行されている。

 動物から人間に対象が変わるのは慣れないため、良くないが、テルは自分の部隊の特殊性からこの方針を歓迎し、元獣医のヘリオットに大いに期待して助けられていた。

 だから信頼しているヘリオットにテルは来て貰ったのだ。


「帝国広しとはいえ、一日でこんなに違う場所になるんですな」


 時間短縮の為にアルカディアから飛行機で近隣の空港へ移動し、新幹線に乗り換えてやってきたためメディオラヌムには半日で到着できた。

 アルカディアも自動車が多くなり大気汚染がひどいが、この町ほどではない。


「石田准将ありますか?」


 そのとき現地の帝国軍駐屯兵が声をかけてきた。


「そうです」


「お迎えに参りました。ご同行は三人のみと聞いていますが」


「そうです」


 テルは肯定した。

 事前連絡で領主の元へ行くのは三人だけ、と伝えていた。

 領主側が大勢の帝国軍が入ることを渋ったためである。

 実は他にも私服を着た部下達が同じ新幹線の別の車両から降りてすでに町の中へ入り、テルの周囲に隠れて護衛、あるいは町に潜入して状況偵察を行っている。

 だが、摩擦を避けるためにテルは黙っている。


「わかりました。車にご案内します。どうぞこちらへ」


 兵の先導で駅構内を歩いて行くが、駅の中も匂いがひどかった。

 本来白いはずの大理石の壁はうっすらと茶色に汚れている。大気汚染物質のせいだろう。


「自分の領地なのに」


 これでは領主自身もひどい匂いに悩まされるとテルは思っていたが、すぐに訂正した。

 軍が手配していた車両に乗り込み、領主の館に向かうと、近くの山に向かい、長い坂道を上った後、長いトンネルを通って風光明媚な盆地の中に進んでいった。

 駅の大気汚染が嘘のように澄んだ空気がテルの肺に入ってくる。

 通常、領主は領地が統治しやすい最も人口が多い場所に屋敷を構えて執務を行う。

 ただ休養のため、休日を過ごすために空気の良い風光明媚な場所に別荘を構えることが多い。

 ただ今日は平日だ。

 町の空気を嫌って、常日頃から別荘に逃れている、とテルは感じた。


「……」


 テルは憮然とするが車が目的地に着く前に深呼吸をして気持ちを落ち着けた。


「こちらでございます」


 顔が少し赤く目の焦点が少しずれている黒髪のメイドに案内されて、領主の元に向かう。


「大丈夫ですか?」


 案内している間も体感が安定せずフラフラしているのが気になってテルは尋ねた。


「大丈夫でございます。朝四時から休みなしに働き続けているだけです」


「身体に良くないですよ」


 下働きは夜明け前から身を粉にして働くべきという考え方の貴族が未だにいる。

 疲労困憊状態だと仕事の効率が悪くなりむしろ成果が少ないというのが国鉄の研究でわかって発表されているが、そのことをご存じないらしい。

 それに疫病がはやっている状況では疲れさせず、ゆっくりと身体をいたわることで感染予防になるのだが、望み薄だ。


「このことも伝えないとな」


「こちらでお待ちください」


 メイドに案内されて通された部屋は、壁の縁に金箔が貼られたケバケバしい部屋だ。

 飾られている装飾品も品が良さそうに見えて二流品。

 例えば、絵画は二流の画家が古いように描いたものを、大きく彫り物を入れた額縁を金メッキで施して豪華に見せているだけだ。

 本棚は古書が入っているように見えるが、入っているように見せるだけの偽物。

 甲冑も、古めかしいがピカピカに見えることから、ここ数年で作られるようになった土産物だというのがわかる。


「虚飾で飾り立てられた城か」


 しばらく待たされてから、反対側の扉が開いた。


「やあやあ、初めまして准将殿」


 入ってきたのは小太りのやたらと宝石をはめ装飾の多い服を着た男性だった。


「我が輩が、メディオラヌムの領主ホノリウス・ヴィスコンティンじゃ」


 少し感情が揺らいだがテルは領主に対して敬礼した。


「統帥本部より派遣された石田准将であります。疫病の確認に参りました」


「空気が悪いからな。病んでも仕方あるまい」


 他人事のような言いようにテルは、少し声を荒らげながら言った。


「閣下、疫病を野放しにすれば帝国中に広がります」


「何故そのような事になるのだ」


「この町に出稼ぎに来ている人がいます。また繊維業が盛んで帝国各地と繋がっており広がりやすいのです。早急に調査と対策を行う許可を」


「内政干渉ではないか」


「あなたの領地で流行病が起きているのですよ」


「下々がかかっているだけであろう。町から離れたこの屋敷は大丈夫だ」


 そのとき、先ほど案内してきたメイドが倒れた。


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