メディオラヌム
新幹線の個室の一室でに入ったテルは持っていたレコーダーをテーブルの上に置く。国鉄が販売している個室用の音楽再生機器で列車の旅を音楽で楽しめるようにと開発販売している。そして今はもう一つ別の目的で使われている。
テルは購入した切符、十センチ四方の大きめの硬券を取り出し、レコーダーの上に乗せスイッチを入れて回転させ針を乗せるとスピーカーから管弦楽の音楽が流れる。
『メディオラヌムは古代都市国家時代より同盟都市として共に繁栄しましたが、共和国時代にリグニアへ併合、帝国時代には帝国直轄都市として栄えました。
暗黒時代には一時一神教の支配を受けましたがヴィスコンティン家が反乱を起こし独立、以降周辺を領地にします。
周辺が豊かな土壌だったため綿の栽培が盛んで、交通の便も良く染料の輸送に適していたことから繊維業の町として発達します。
その栄華は素晴らしく宮殿、大聖堂など町の中心部に残る多くの歴史的建物はこの時代に建てられたものです。現代でも繊維業が盛んで町の特産品となっています』
案内音声が停止してテルはレコーダーを止めた。
「しかし切符をレーコードにするなんて驚いたな」
オスカーが驚いていると、テルが素早くレコーダーを仕舞いつつ説明した。
「ホーキングさんの執念だよ」
帝国最大のレコード会社の会長であり、エンターテイメント界のトップであるホーキング。
実は由緒ある貴族の出身で、鉄道マンになりたくて実家を飛び出し国鉄に現業の臨時雇いで入った。
しかし、その出自を知った昭弥が、当時始めていた有線ラジオ部門に引き抜き責任者にした。
後にレコードを販売するようになると、歴史に残る名盤、形式別SL走行音を販売しヒットさせた。
鉄道好き故に作り上げられた名作だったが、名作となったのはホーキングに鉄道への未練が残り続けているからでもあった。
ホーキングの心の中にある鉄道への熱い情熱とそれによって得た知識が、SLの走行音を編集によって芸術作品にまで昇華させてしまったのだ。
そのため昭弥が大臣総裁を辞めさせられることとなり、チェニス田園都市鉄道を設立したときはレコード会社社長を辞めて一作業員として手弁当で参加。
その功績で開業時には駅員として入社し改札業務を行った事は人生最良の時だと酒の席で毎回自慢するほど、幸せな時間だった。
だが運転士への資格試験を受け、運転区への配属前研修の際、昭弥に呼び出されたことで運命は変わった。
「鉄道を宣伝するためにアイドルをプロデュースするエンターテイメント会社を作る。鉄道沿線でコンサートやショーを開いて鉄道利用者を増やすために成功させたい事業だ。レコード会社での経験を生かして是非にもやって貰いたい」
もし他の人間だったら、巫山戯るな! と怒鳴って扉を蹴り破って出て行き、運転士として勤務していただろう。
だが、現在進行形で生ける伝説であり鉄道の神にも等しい昭弥の要請であればリグニアの鉄道マンに拒否の選択肢はなかった。
直後に貰った動力車運転資格試験合格の通知を額縁に入れ、泣く泣く人事に転属を伝えてエンターテイメント会社へ移っていった。
会社は成功させたが、鉄道への思いは捨てがたく社長室で作られたレコードを見ながらため息を吐く日々だった。
「これが切符だったらな」
そんな日課を続けていたとき、天啓があるいは悪魔の囁きが降りてきた。
「切符でレコード作ればいいんじゃね」
で、大きめの硬券に溝を掘って録音しマジでレコードを作った。
通常より大きめだが音楽や元気の案内を聞ける、イラストが綺麗と評判も上々でヒット商品となった。
使用後回収される切符だが、使用済みの部分に鋏を入れることで持ち帰りが可能となったために収集する人も多かった。
だが、このヒットがホーキングの苦悩をより強めることになる。
「やはり君はすごい。社長になってくれたのは良かった。君以外の社長は考えられない」
このアイディア商品、切符としても使える上に車内で楽しめ、記念品にもなる鉄道グッズに昭弥は大喜びだった。
この切符のコレクターの一人となって出張の度に買い求めコレクションし、亡くなった時には帝国随一のコレクションと成っており、鉄道博物館でも重要な資料として残されている。
それほどの入れ込み様に昭弥は当然制作者であるホーキングを褒めた感謝を常々言っているため、ホーキングはレーコード会社社長を辞めて鉄道マンに戻る道が絶たれてしまった。
昭弥の他にも愛好者は増えており、彼らの間では新作を望む声が日増しに高まっていて、ホーキングが現業に、運転士として働ける道は断たれたと言って良いだろう。
切符のレコード以外にも、ホーキングは鉄道利用者を増やすためにイベントやコンサートを開いて成功していた。
観客動員数が膨大な人数となり会社の業績も、会場へ行く鉄道利用者も増えておりホーキングがエンターテイメント会社社長として鉄道に貢献していることは事実だ。
もし、一鉄道マン、運転士として勤務していたら決して上げられない収益をもたらしていた。
他の人でも成功しただろうがホーキングほどの成功を収めることが出来たか、出来たとしても数倍の時間がかかったことは間違いない。
鉄道に欠くべからざる存在であるホーキングであったが、本人の望みと能力、功績が全く別方向だったのが彼の悲劇であった。




