表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
637/763

予防接種制度

 事の起こりは大臣に就任する数週間前だった。


「つっ」


 その日テルは軍の医療機関を訪れて注射を打たれていた。

 大規模なワクチンの接種会場で、部隊ごとに集まって一斉に行うのだ。

 筋肉注射のため非常に痛いが、動かしたらもっと痛いので我慢だ。


「はい、終わりました」


 軍医が注射針を抜くとすかさず看護兵がガーゼを当てて止血する。


「よお、テル終わったか」


 先に終えていたテルの友人であるオスカー・スコット大佐が言う。


「ああ、今終わったよ」


 一応帝国軍准将の階級を持っているテルだがオスカーはフランクに話しかける。

 原隊が同じであることと同じ中央士官学校の出身で友人関係だったこと。そのため人事が気を利かせて所属も同じ事が多い。

 面倒な事に巻き込まないでくれよ、と常日頃酒の席でテルに向かって言うが、笑っていることが多い。面倒事のあと、昏い顔で呟くことはあるが。

 二人は容姿が似ているため初見の人には間違われることもある。

 だが、二人をよく知る知人、上官、部下は見分けが付くため特に困っていない。

 よく見れば育ちが明らかに違う、とは彼らの共通の友人の見解である。


「しかし、大変だよな毎回予防注射は」


「一応義務でもあるからな」


 今受けていたのは予防注射だ。

 テルの亡き父である昭弥の定めた法律により、全国民が受けることを義務づけられている。


「しかし鉄道大臣なのにどうして健康保険と予防注射を制定したんだ?」


「遠くへ素早く移動する鉄道は乗客と乗客が抱えている病気も運んでしまう。伝染病感染患者が鉄道に乗り込まないよう予防してしまおうという考えから整えたんだと」


 鉄道狂いの父親が一見畑違いと思える分野にまで手を伸ばしているのは、全て鉄道のためだった。

 様々な物品を運ぶ鉄道は素早く病気も運んでしまう。

 かといって改札で病気かどうか診断するわけにもいかない。

 気兼ねなく利用できるように防疫に力を入れるのは当然だった。

 ただ、あまりにも鉄道と違う分野のため一般の人には理解できないし、気がついても分野が違うために万能の天才と思われてしまっていた。

 まあ、鉄道関連だけでも異常なほどの業績を残し、その波及効果で周辺技術も百年近く技術革新が早まり帝国を飛躍させた手腕は文字通り空前絶後。

 世間に出るようになってから父親の評判を聞くにつれて、家でのギャップの違い、神格化さえされていることにテルは戸惑いを感じてしまった。


「まあ、そういう考えなんだろうな」


 深く考えずにオスカーは相槌を打ち、受付に向かった。


「お疲れ様でした。こちらワクチン料となります」


 受付で渡された五〇〇〇リラの小切手を受け取る。


「俺は小遣いが貰えるのがうれしい」


 オスカーは受付で貰った小切手をテルに見せて言う。

 ワクチン代を払ったのではなく、ワクチンを受けたから報奨金をオスカーは貰ったのだ。

 疫病予防の観点で予防接種、ワクチンは有効だ。

 だがワクチンが高額だと、受けられる人は少ない。

 たとえ少額でも貧困層にとっては支出そのものが負担になってしまうことが多い。

 疫病が広く流行するのは栄養状態が悪い貧困層でありワクチンが最も効果がある層なのだが、ワクチン代の支払いさえ出来ないため、当初は普及しなかった。

 そこで昭弥が考えたのが、接種すると金が貰えるようにする政策だった。

 仕組みは簡単で、健康保険料を増額して、ワクチン代を分の金額を、あらかじめ多めに加入者である国民から受け取っておく。

 で、その中からワクチン代を接種するたびに返金するという方法だ。

 重要なのは必要な金額は全て国民から貰うことそして保険料は収入に応じて累進加算にしてある。

 高額所得者ほど保険料が高くなり、貧困者ほど保険料が安くなる。場合によっては保険料が免除になることもある。

 これで、貧困者は安い保険料で医療を受けられる。

 しかも、収入の少ない貧困層には接種すればするほど、むしろプラスの収入になり家計を安定させられる、一種の生活保護にもなるのだ。

 そして予防接種を受けて、病気に強くなれば、疫病にかかりにくくなれば医者に行く必要が無く医療費の抑制になる。さらに、健康に働いてくれるので彼らの収入はアップするし、税収も増えると好循環なのだ。

 元は昭弥の世界で貧困国でワクチンを普及させるにはどうすれば良いか考える中で出されたアイディアだ。

 早速昭弥が試してみたこの政策は当たり、貧困層ほどワクチン摂取率が高いという状況になっている。

 因みに軍人は集団生活を営むため強制接種であり、接種しないと懲罰ものだ。

 そもそもワクチン料を得られるので接種を受けない人間は少ない。


「しかし、ワクチンの副作用でひどい目に遭う人がいるんだろう。接種するなって運動しているやつがいるけど」


「まあ、そうなんだけど、大流行したとき被害を抑えられるし重症化を防げる」


 もちろん、ワクチンの副作用で障害が出ることもある。

 鉄道の部品製造と同じで確率的に安全性を零に近づけることは出来るが、完全に零には出来ない。

 薬の場合、体質と薬効の相性もあり、薬も毒になる場合があって、一パーセント未満だが、副作用が出てしまう。一パーセントでも一億人いれば百万人、万が一でも一万人もの副作用の被害者が出るのだ。

 その場合は補償金が健康保険料から出される。

 被害者を出さないために予防接種を止めるべきだという運動もあり法案が提出されているが元老院で却下されている。

 障害が出るのは本人と家族には悲劇だが、その発生確率が一%以下なら残りの九九%の人が支えるように制度を設計すれば良い。

 疫病が流行したとき、ワクチンを打たずに七〇%の人が感染し重症化して残りの三〇%が支えるような状況になるのは避けたい。

 ワクチンを打っておいて感染を一〇%以下に押さえて、残りの九〇%の健康な人が感染者を支える方が負担が少なく社会的にも良い。

 かくしてワクチン制度はリグニア帝国に整い疫病は抑えられていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ