第七部序章
その日は雨だった。
アルカディアでは珍しく、厚い雲に覆われ、激しい雨が降っているため朝にもかかわらず薄暗い日差しだった。
しかし、中央駅へ通じる街道には近衛兵が立ち並び、濡れるにもかかわらず殺到した見物人を抑える警官たちから守られていた。
全てはこれからやってくる馬車を見送るためである。
やがてアスファルト道路の上を十数騎の近衛騎兵に守られた一台の馬車がやってきた。
長い年月を送ってきた組織というものは伝統を重視する傾向があるがリグニアでも例外ではない。特に中枢である帝室はその傾向が特に強い。
今までにない発展を遂げ、ドラスティックな改革を経てなお、古の建国者との繋がりーー正当な後継者であることを示すためと国民への変わらぬ存在として君臨するため、伝統を墨守している。
しかし、それも途中までだ。
その馬車に乗っている主役が向かう場所へは馬車ではゆかない。
中央駅からは新しい時代の象徴である鉄道に乗って向かう。
そのために中央駅、中央玄関のエントランスへ馬車は滑り込んできた。
封建制度が一部残っている帝国では王侯貴族の階級があり、彼らが一般市民と区別するため駅の中央に王侯貴族専用の改札口がある。
エントランスは王侯貴族たちが自分の乗り物に乗り移るために作られた。
位階に応じて出迎える人間が変わるのだが、この日で迎えたのは中央駅の駅長だった。
しかも部下を連れず自ら先導役を果たすべくただ一人直立不動の姿勢で待っていた。
やがて、馬車から箱いや棺が現れた。
待機していた近衛兵、陸軍、海軍、空軍、空挺軍、海兵隊など帝国軍の将兵が集まり担ぎ上げる。
注目すべきだったのは帝国軍の精鋭に混じり国鉄職員が加わっていたことだ。
通常ならばこのような儀式に参加することはない。
それが棺の人物と国鉄いや鉄道とのつながりの深さを表していた。
ゆえに駅長は迎えるにあたり敬礼をした。
しかし、一分を経過しても下げる気配がなかった。
棺の中の人物への敬意が強すぎて自分の役目を忘れていたのだ。
ようやく自分の役目を思い出した駅長は、敬礼を解いて回れ右をすると棺を先導して行く。
中央通路は貴族および皇族用の通路で一般通路の上の渡り廊下を通じてホームに向かう。
普通なら一般利用者は気にもとめないが、この日はほぼ全員が注目していた。
駅員の殆どが直立不動の体制で通路を通る棺を見つめていたからだ。
その神妙な表情に利用者も伝わり、中央通路に目が向いてしまう。
そして棺が通ることを知り、中央通路が見えるこの場所に集まるモノも多かった。
人々が見守る雰囲気が作る荘厳な沈黙の中、棺は進んでゆき、一番線ホームに上がっていく。
ホームには帝国の象徴となっている国鉄の筆頭列車<アクィラ>が待機していた。
歴代使用車両は国鉄の最新鋭最高速車両が用いられる特別な列車でありアルカディア~チェニス間を結ぶ車両に名付けられている。
ほぼ二四時間運転しているため、午前九時を基準に順に号数を与えられており、棺が乗せられたのは午前九時アルカディア中央駅発アクィラ一号だった。
特別室に入った棺は静かに置かれ、扉が閉じるとそのときを待った。
ふぁああんっ
午前九時ちょうど、発車の汽笛が鳴り響き駅長の発車の合図と共にアクィラ一号は定刻通り発車した。
同時に構内にあった全ての列車が汽笛を鳴らした。
葬儀の時は身内のみで十分、公的な儀式は不要。
俺一人を相手にする必要なし
と、生前棺に納められている人物は言っていたがリグニアの鉄道マン全てが何らかの形で恩を受けている人物との別れ、幸運にも見送る事が出来る場所にいた彼らにとって逃すことの出来ない瞬間だった。
事故防止、注意喚起など運転士が必要と判断した場合、鳴らして良し、という規定を最大限に拡大解釈し構内の列車全てが見送りの汽笛を上げ、それをとがめる者などいなかった。
全ての駅員が出て行く列車を見送るべく、敬礼を向け列車がテールランプを残し消えていくまで見送った。
最後まで残った駅長は敬礼を終えると静かに帽子を脱ぎ去った。
正午まで駅長だが、すでに引き継ぎは終えており自分の役割はもはやない、この瞬間で終わりだと考えたからだ。
今日をもってリグニア国鉄は消滅し民営化された新会社に移行する。
そのとき自分に居場所はないと考え辞職を決意していたからだ。
そして、一時間後、アクィラ一号が到着し玉川昭弥の遺体を乗せてチェニス駅に到着すると同時にリグニア国鉄は消滅し帝国法に基づく民間会社リグニアレールウェイ、通称RRと呼ばれる複数の会社へ鉄道業務移行した。
数日前に線路の近くで轢死体となって発見された昭弥。
既に事切れており、蘇生は不可能だった。
折しも民営化に関しての法案が元老院審議されている最中の出来事であり、単独民営化か分割民営化でもめていた。
単独民営派だった昭弥の死去により分割民営派が勢いを増し、分割法案が成立。
リグニア国鉄は分割民営化された。
再開して最初にいきなり昭弥が亡くなったことに驚かれているでしょう。
しかし、昭弥が作り出していたのはシステムであり、自分がいなくても、例え、死んだとしても鉄道が続いていくことです。
新幹線の父親である島秀雄技師、十河総裁がいなくなっても新幹線は動き続けていますし、後藤新平総裁が残した鉄道組織は生きています。
何より日本に鉄道をもたらしたモーレル技師は、開通前に亡くなっていますが、彼の残した計画と生前の指導を受けた多くの方々の手により開通に至り、今日の日本の鉄道の発展の大きなスタートとなっています。
昭弥もそのことを強く受けており、自分の手を離れても動くようにルテティアそしてリグニアの鉄道を発展させてきました。
だから、昭弥が途中で亡くなるのは私の中で既定路線でしたし、昭弥が残したものがどのように活躍するのか、を見せるのがこの作品の終わりに相応しいと思っています。
ですから、昭弥が亡くなることは変更しません。
昭弥がやってきた業績と残したものがどのようなものか。
残った人々が鉄道をどのように使うか、できるだけ書いていきたいと思います。




