昭弥の誤算
「労働組合は分裂を始めたよ」
スト終結から一週間後、ティーベは昭弥に現状を報告した。
再びストを行おうとしたリシェコリーヌに反発した組合員達が組合から多数離脱して行きリグニア国鉄労働組合は事実上崩壊した。
「まだ一部残っているようだけど、組合の加入率は三割以下でなお低下中だ。以前のように全面ストを行うよな事は無いだろうね」
「そうだね」
昭弥は浮かない顔をしてティーベに答えた。
「何か問題があるのかい?」
「二つある。まずは組合の問題なんだけど、分裂して弱小組合が乱立している」
「分断して統治すれば良いじゃないか」
「全てと交渉するのが大変だよ。国鉄内の労務関係が疲弊する」
分断し統治せよ、は植民地支配の基本だ。
だがこれは未開拓の地域で行う事だ。情報が少なくどうして格差があるのか分からず、階級差があるのが当然だと思う人間が多いことが前提だ。
だが平等思想が広まり、インターネットが無いとはいえ電話、テレビなどの通信機器の発達により情報のやりとりがリグニア帝国では盛んになった。
一つの労働組合を優遇すると自分たちも優遇してくれと他の労働組合がごねてくるだろう。
しかも組合との交渉が複雑となり労務担当者が更に疲弊する。
「それに元老院が国鉄に対して様々な干渉をしてくる」
一時期より収まったとは言え、ヨブ・ロビンが元老院の支持を得るために様々な重要事項の決定に承認が必要とする協定を結んでいた。
昭弥ほどの経営才覚もカリスマ性も無いため、元老院が自分を支持しているという形にすることで、ヨブ・ロビンは大臣ポストを維持した。
元老院はこの協定を利用して地方の赤字私鉄を国鉄に押し付けてきたりしている。
政治の介入が混乱を招き、国鉄は巨大な債務を抱えている。
昭弥が復帰後に何とか債務を減らそうと努力したが、元老院の介入と今回のストによって巨大な赤字が発生しその利払いだけでも大変なものとなっている。
まして今回のストで大幅な赤字を計上してしまった。
「それにバスや航空機も台頭してきている。技術開発が加速していて高性能化が著しい」
「一時的な発展じゃないのかい?」
「止められないよ。彼等の技術の大元は鉄道だ。僕たちが新技術を使う度に彼等も使用していく」
技術とは誰が用いようと、同じ手順を踏めば同じ結果になる。
昭弥が持ち込んだ知識によって作り上げた鉄道は技術の塊だ。
分解して、必要な要素を適切に組み合わせれば、自動車や航空機を作ることは簡単だ。
だから鉄道が発達することは、他の技術も発展し時間差はあれど自動車や航空機も性能が良くなっていくのだ。
最近では大重量貨物機関車用に開発した大出力ガスタービンを応用して作られた航空用ジェットエンジンも実用化しつつあり、更なる航空機が高性能化が予想されている。
「お陰で収入は減っていく一方だよ」
「どうしてだい?」
「バスは高速道路の整備で所要時間が短縮されているし、道路さえ有れば何処にでも行ける。簡単に他の路線や地域へ移動させることが出来るから鉄道より融通が利きやすい、稼働率が高いんだよ」
殺人的なラッシュが起きる鉄道を避けてバスに転換する利用者もいるために収入は減少している。
「一番大きいのは航空機の方かな」
「どうしてだい?」
「ドル箱の長距離旅客が奪われている。収入の大きい長距離の特等客が航空機に流れているんで大きく減収している」
航空機の性能、速度、航続距離が共に上がり、鉄道よりも所要時間が短縮されつつあり、鉄道よりも早く目的地に着けるようになった。
しかも今回のストで、その傾向に拍車が掛かっている。
設備とサービス面では鉄道がまだ有利だ。重量制限のある航空機だと椅子に座っている以外に過ごす方法は無い。一方鉄道はそこまで切り詰める必要はなく、寝台列車ならば各部屋に寝台、シャワー室を設置した上、食堂車やラウンジカー、カフェテリア、果ては浴室を備えた車両まで連結させることが出来る。動くホテルと言うより動く町という列車さえ走らせることが可能だ。到底、現在のリグニア製航空機には不可能な事だ。
だが航空機の大型化により余裕が生まれれば更なるサービスが生まれるラウンジ施設やピアノを搭載する事も可能だろう。
何より飛行時間が短い。
列車で十数時間かかるところを数時間で結ぶことが出来るため各種搭載施設を使う暇も無く着いてしまう。丁度、所要時間の短縮で豪華列車を除き一般の列車から食堂車が消え去ったのと同じだ。
時間の短縮により長時間の搭乗の間、暇を潰すための設備が不要になるのは高速移動交通機関の長所だ。
そして、豪華な設備を利用する顧客からの収入は利益が大きく、奪われるのは非常に痛い。
「海運業の発展も問題だ。貨物が奪われている」
「内陸部には行けないだろう。運河はどれも小さくて航行できないんじゃ?」
「いや、船による輸送の方があコストが安いので沿岸部に工場を移転する企業が出始めている。内陸部の鉄道を利用しない企業も出てきている」
経営はコストを如何に小さくするかに掛かっている。これはどの産業も変わらない。
経費には運送費も含まれており、どのような交通機関を使えるか、その要素も工場の立地条件に入る。
船舶は鉄道よりも輸送コストが安いので船を利用するために沿岸部で工場が建設されやすい。
内陸部に工場が出来るのは原材料の産地が近くて調達コストが低いというのが理由だ。日本の内陸部の大工場は大体がコンクリート工場。近隣の鉱山から原材料を購入できる。他には工業製品の工場があるが、部品が比較的に小さく、完成品も運び易い。大量の原材料を必要とする製油所や製鉄所などの工場は内陸部に存在しない。
だが海岸部ならば海を使って遠隔地の更に安い原材料を調達できる。
日本が大量の石炭や森林資源を埋蔵しながら、海外からの輸入品が押し寄せているのはそのためだ。
鉄道も大量輸送が可能だが、船舶には敵わない。
リグニア帝国の場合レールの幅が三メートルの広軌鉄道により最大二万トンの物資を運ぶ事が出来るが、船舶でも通常の貨物船でさえ、最大で一万トン近い物資を運べる。しかも近年は鉄道の技術を応用した技術革新により大型の船舶が登場している。
特にコンテナによって荷役の時間が短縮されたため、一万トンを超えるコンテナ船が登場し始めている。大型になればなるほどコストは下がるから、近いうちに一〇万トンを超えるコンテナ船が登場してもおかしく無い。鉱石専用の貨物船が開発されれば、この傾向は更に大きくなる。
そんな未来が出現すれば、船舶が優位となり沿岸部への工場移転が進むだろう。
その場合鉄道は得意である貨物の長距離大量輸送の需要を失う。
内陸部の鉱山と港を結ぶ路線では活躍出来るが、全体では活躍の場が格段に下がってしまう。
「鉄道全体で需要が減少してしまう。事業全体を縮小しないと不味い」
「はじめから想定していたことだろう」
「ストで予想以上に減少の幅が大きい。抜本的な修正が必要になる。何より資金が、設備投資のための資金が足りない」
鉄道は時代の変化に対応するために様々な技術を取り入れなければならない。
時代の最先端を行く技術を取り入れて発展してきた鉄道だったが、逆にそれが足枷になっていた。
導入当初は最先端だが時代を経ると旧式となってしまう。しかも現在進行形で使用しているため、運用しつつ改修という作業を強いられ膨大な労力と予算が必要になる。
リグニア国鉄はリグニア帝国における最も古く大きな鉄道会社だ。
つまりそれだけ古い設備が多いと言うことである。同時に帝国中を結ぶために巨大な路線網を持っており、更新には多額の費用が掛かる。
先発不利の部分がここに来て露見してきた。
勿論、昭弥はそのことを知っており、更新しやすいように手は打ってある。予め広めに用地を取得していたり、鉄道設備周辺を関連施設で埋めて更新しやすくしたり、郊外に土地を確保して移転しやすくしたりなどして、行いやすくしている。
「ヨブ・ロビンが予算捻出のためにそうした余裕を無駄と断罪して他へ転用したのは痛かったよ」
だが、昭弥の用意していた用地や設備をヨブ・ロビンは斬り捨てた。更に開発予算の大幅削減により国鉄に大きな黒字をもたらした。
当時は大胆なコストカッターともてはやされたヨブ・ロビンだったが、後年になるに従い赤字幅が増えて支持を失いつつあった。
そして昭弥が国鉄に再復帰した時には、真っ赤であり酷い状況だった。
近年では多少黒字になり累積債務が徐々に減りつつあったのだが
「今回のストで国民の信用が予想以上に落ちてしまった。収入の予想を大幅に下方修正することになる」
これまで鉄道が利用されていたのは鉄道以外に有効な交通手段がほぼ皆無だからだ。足と馬と馬車だけでは遠くまで行くことは出来ない。
しかし現在は航空機と自動車が台頭してきており利用者の選択肢が広がっている。
勿論鉄道に有利な分野はあるが、そこさえも今回のストで信用を失い利用率が下がってきている。
利用者のいない鉄道など収入源はなく、設備更新など不可能だ。
設備更新が出来なくなればあっという間に旧式化してしまう。何より安全が確保出来なくなってしまう。
「そのために組合の協力も必要だったんだけど、今回組合が分裂してしまったので交渉がやりにくい」
「個別交渉を行って分断する方法もあるよ」
「それだと交渉を纏めるのにどれくらいの時間が掛かる?」
複数に分裂した組合と交渉するだけでどれだけの時間が掛かる事か。
根回しの時間だけ設備更新は遅くなり、鉄道は取り残されてしまう。
「まして労働団体が内部で紛糾してこちらも振り回されるのは勘弁願いたい」
日本国鉄の労働争議が過熱した理由の一つに労働団体の内ゲバ、内部の権力闘争があった。
本当に酷い抗争で所属組合が違うだけでいがみ合っていた。それが職場に持ち込まれ、自分の組合が購入し名前を書いていた備品を他の組合が使うな、等という子供じみた縄張り争いも起きている。
国鉄経営陣の要求もそれぞれの組合が勝手に出しており、一つの組合と交渉が妥結すると他の組合が贔屓だと言ってストやケピを張り、現場が混乱する。再度交渉して新たな協定を結びストやケピを解除しても、また別の組合が反発してストやケピを張るという悪循環が繰り返された。
結果、日本国鉄は信用を失い、赤字が増大して行く。
昭弥はリグニア国鉄でそんな馬鹿げたことの再現など真っ平ゴメンだった。
「しかも元老院の横槍を買わしながら運営するんだぞ。不可能に近い」
「だとしたらどうするんだい? このままだと操縦不能の組合を抱えたまま利用者から見捨てられてしまうよ」
ティーベが尋ねている間、昭弥は黙って考え込んだ。
やがて苦渋の表情を浮かべて、絞り出すような声で決断を伝えた。
「……リグニア国鉄を民営化する」
第六部はこれで、おしまいです。
幾つか別の作品を書いてからまた再開したいと思います。
お付き合い頂ければ幸いです。




