リシェコリーヌの誤算
「国鉄は全面運休を止める気は無いの?」
予想外の事態にリシェコリーヌは動揺し、縋るように部下に尋ねた。
スト決行から二四時間経っても国鉄から会談の要請も要求受け入れの兆候は無かった。
「水面下では話し合いは持たれていますし懸念して独自に話を聞く理事はいます。しかし総裁は組合の要求を断ると言っています」
「赤字になるのよ。それとも予想以上に小さいというの」
「いや、大きいはずです」
ストが発生した場合の効果について組合も独自に試算しており、その数値は国鉄経営陣の把握しているものと同じだった。そして、現在の所予測から外れるような報告はない。
国鉄も組合も順調に予想通りに赤字を増やしている状況だった。
違いがあるとすれば国鉄は予想通りであり、受け容れる覚悟を決めていたが、組合は予想外の事態に狼狽えていた。
「あと他の産業の組合からストを解除するよう要求が来ています。鉄道の運休により原材料が届かず操業を縮小したり停止している他産業の工場が出てきています。休業している企業も多く、影響は広範囲にわたっています」
「なのにどうして国鉄は動かさないの」
「全面ストにより鉄道の安全確保に必要な要員が得られないためとしています。一連の運休は組合の傲慢なる要求と拒否されたことが原因だとメディアを通じて言っています」
「馬鹿な! 労働者を搾取する環境を打破するための正当な権利の行使よ。国鉄の不当な扱いに対する闘争なのよ」
「ですが運休によって通勤が困難になった利用者を中心に抗議の声が上がっています。それと抗議の電話が殺到しております」
「どうして?」
「国鉄各駅に組合の全面ストに屈しないために全面運休を決断したという経営陣の声明文が張られています。また代替機関の案内のチラシが出ていますが、その裏面に同様の文言が書かれており、組合を糾弾しています。そして声明の最後に組合の電話番号と住所が地図付で載せられており、時間が経過する程に抗議の電話と郵便が殺到しています。抗議のデモも起きています」
中央駅に近い立地という事もあり、バスターミナルから溢れた利用者が不満をぶちまけるために組合の建物にブーイングを行っていた。
窓を開けるとその声がリシェコリーヌの部屋にこだまし、十秒も経たずに窓を閉めた。
「この事態を招いたのは国鉄よ。どうしてこうなるのよ」
「国民は我々が元凶だと思っています」
「どうして全ての労働者の代表である労働組合、その中心である国鉄労働組合なのよ」
「彼等にとっては鉄道の運行を止めた我々が元凶だと、事故を起こした組合員こそ処罰されるべきだと認識しています」
「そんな馬鹿な。鉄道が止まって困るなら国鉄のせいでしょう。いえ、そもそも何故出勤するの。労働者を搾取する資本家の元へ行くのよ」
「稼がなければ生活できないと言っています。確かに仕事はきついが、その分給与が出るので不満はないと」
リグニア帝国の経済成長が進んだため、好況に沸き給与水準が上がってきている。労働環境が悪い職場もあったが、給与が上がっている事もあり一般労働者の職場に対する不満は少なくなっていた。
寧ろ組合の活動で営業が停止し会社に損害が出ることで給与が減ることを彼等は恐れていた。
「金という鉄鎖に繋がれた奴隷ね。生活が大事って……でも生活できるの。生活必需品は全て鉄道で運んでくるのよ」
人口百万を超える都市が帝国各地に出来たのは遠隔地から食料を鉄道によって輸送できるようになったためだ。
半世紀前なら馬車あるいは船が一日か二日ほど走って運べる範囲からでしか食料を調達できず、一〇〇万どころか一〇万を超える都市も稀だった。
だが、鉄道なら何千キロ離れた場所からも小麦や野菜どころか冷凍車の登場により肉類さえ運べるし、時速百キロを超える高速貨物列車あるいは車両内にコンテナを積み込み時速三〇〇キロで疾走する貨物新幹線によって、漁港からその日の水揚げされた魚を内陸の都市にさえ運び込む事が出来る。
だが鉄道が停止すればそれらの輸送は不可能になる。
「市場に食料が来なければ恐ろしい事になるわ」
「いえ、市場は活況を呈しています」
「どうして! 一両も食糧輸送列車が入って来ていないでしょう」
「はい、列車は入って来ていません。ですがトラックがひっきりなしに入って来ています」
「トラックって、自動車でしょう。十分に運べるの」
「台数が非常に多いのです。何百台ものトラックが常に入って来ているため、市場は商品で溢れかえっています。全面運休が決定してから食料の不足を懸念して買いだめが行われたようですが、運休後も通常時と同じかそれ以上の量が供給されたため商品がだぶつき値下げさえ行われています。事実上物価が下がっていることさえあります」
部下の報告はリシェコリーヌにとって予想外であり強い衝撃だった。
食料が無ければ人は生きていけない。国が滅びるのは戦争に負けるからでも魔物が原因でもなく、食料が不足して人々が飢えるからだ。
飢えて食料を求めるときの狂乱が国を滅ぼすのだ。
その食料の供給を鉄道は国鉄は手放した。
帝国の食糧事情は二〇年前の水準に下がる。いや、都市人口が増えた分、より酷い飢餓が発生しかねない。
なのに食料は鉄道のライバルである筈のトラックによって安定的に供給されている。
「本当に食料は足りているの」
「少なくとも市場には食料は溢れるほど入って来ています。どれも鮮度の良い食材ばかりです」
「馬鹿なトラックで輸送できるの」
「標準型のコンテナを積み込める大きさのトレーラーが使われており、二〇トン程度なら簡単に運び込めます。何より列車用のホームにもトラックを入れて下ろせるようにしています」
全面運休により列車の来なくなった市場内のホームと操車場を利用された形だった。
「で、でも今回の事件は非常事態で緊急回避のための方策でしょう。鉄道の方が便利でしょう」
「いえ、市場の仲買人に話を聞いてみました。すると鉄道だとダイヤが組まれていてそれに合わせる必要があった。だがトラックなら自分の都合の良い時間に運んできてくれるので便利だと。食料品は腐りやすく品目や形状が多種多様で画一的に管理するのが難しい。鉄道だと纏めて運ぶ必要があるので不便だ。運休になったのは良い機会だからこれからは利便性の高いトラック輸送に切り替えると」
「な……」
報告にリシェコリーヌは絶句した。
実は北国を中心に行きによる遅延が発生していた鉄道からトラック輸送に切り替えられ始めていた。トラックの性能向上と高速道路の整備によって自動車の利便性が高まっており、個別の荷物に対応できるトラック輸送へ食品輸送は急速に切り替わった。
その割合は九割以上。生鮮食料品が帝都近郊から運ばれてくるためトラックでも競争力があった。
そもそも貨物需要の殆どが二〇〇キロ以下であるためトラックの方が競争力がある。
鉄道は六〇〇キロ以上の距離になってはじめて採算が合うので、貨物において鉄道は不利だ。勿論、貨物新幹線による輸送も行われるが割高な上に、時間厳守が求められるため利便性が悪い。しかも、度々のストで荷を積んだまま列車が運休し商品が台無しになる事が多かった。しかもその損害は全て荷主が補填しなければならない契約だった。
そのことをリシェコリーヌは認識していなかった。
「ストを止めますか」
「いいえ、続けます。国鉄に対して要求を呑むように改めて詰め寄って。拒否されれば三日目、四日目は部分ストではなく全面ストに切り替えて」
「交渉を行うのではなかったのですか?」
「国鉄は話し合いを拒絶しているのよ。交渉なんて出来るはずがないわ。交渉を決裂させたのは国鉄よ。話し合いをする余地はないわ」
「国民は国鉄を全面運休に追い込んだ組合を指弾しています。国民の支持を組合は失ってしまいます」
「それがなに! 何としても勝つのよ。出なければ私たちは破滅よ! 支部に全面ストを命じなさい」
「ですが」
「国鉄に我々を無視した時どんな事態になるか、高い授業料を支払わせてやるのよ」
既に敗北は決まっていたが、意固地になっても認めなかった。少しでも国鉄に対する嫌がらせを行おうとリシェコリーヌはスト継続を指示したのだ。
リシェコリーヌの命令は直ぐさま支部に伝達され三日目と四日目も全面ストとなった。
だが国民生活、特に食料供給に支障は無かった。
全面運休による私鉄への殺人的な混雑と自動車への転換で各都市で深刻な交通渋滞が起きていたが、それ以外での混乱は少なかった。
「どういうことなの!」
五日目の夜になっても国鉄は話し合いを拒絶している。しかし物価は安定し食糧の供給も安定していた。
故に国鉄は話し合いの席には着かず、組合の要求を拒絶し続けている。
そのことを知らされて五日目の夜に開かれた組合の会合は暗い雰囲気の中で進んだ。
「しかし決めなくてはなりません」
五日目の夜は予定されていた七日目のスト解除に向けての事前協議を国鉄経営陣と翌日に行い、七日目には再開前に各職場で点検確認作業を行う必要がある。そのため五日目の夜はスト継続か中止かを決めるタイムリミットだった。
「こうなったらトコトン進めましょう。無期限ストに切り替えて、国鉄が歩み寄るまで進めるのよ」
「無理です。これ以上は組合にダメージを与えます」
「ここで屈したら労働者派永遠に資本家の奴隷よ」
「国民の不満は我々に向いています。既にこの建物はストに抗議する国民で一杯です。各地の支部でも同様に抗議の民衆が押し寄せています」
「国鉄の動員によって作られた官製デモよ。無視しなさい」
「しかし、多くの国民は組合に対して否定です。新聞などのマスコミの取材でも明らかです」
「政府の飼い犬になったマスコミの調査でしょう」
「我々寄りのマスコミも同じよな数字です」
組合も調査を行おうとしたが組合員と分かるとストに対する不満かが暴行が相次ぎ、調査不能となった。そのためマスコミの数字を信じるしかなかった。
「各支部もこれ以上のストは無理だと言っています」
「反動主義者よ。そんな連中は追放よ」
「組合内だけで張りません。他の産業からもストの中止を求めています」
「どうしてよ。私たちの運動を支持していたんじゃないの」
「運休によって食料品を除く材料や商品が届かず各地の産業で減産が相次いでおります。そのため操業時間が減り、賃金も減っていて組合員から文句が出ていると」
「金に縛られた犬共め。無視よ」
「全産業の労働組合から敵視されれば我々は完全に孤立します。どうかスト解除をお願いします」
「くっ」
何としても続けたかったがこれ以上は組合が空中分解することをリシェコリーヌはようやく理解しストを予定通りに中止することを許した。




