元老院勧告
「本気なの!」
昭弥が組合の要求を完全に拒絶したことを知らされたリセコリーヌは狼狽し大声を上げた。
私鉄が成長しているとはいえ国鉄はリグニア帝国全土を覆う大動脈であり、国家の血管。止まる事になれば、リグニア帝国は麻痺し多大な影響が各方面にもたらされる。
「その事を分かっているのでしょうね」
「はい、それでも組合との交渉は拒否するそうです。スト権も認めず、合理化も変更しないと。そして全面ストに対応して一部の列車を除き全面運休を行うと発表しています」
「発表って、報道からの情報なの」
「はい、組合とは合理化への協力と、処罰者の保護を行わず、不適格者の配置換え、ストによる損害の賠償を行わない限り、組合とは交渉しないと」
「私たちへの全面降伏要求じゃないの」
国鉄の出した要求に屈したら今までのような影響力を組合が持つことは難しい。
絶対に拒否しなければならない。
「しかし本当にストをやるんですか?」
「今更退けないわ」
既にストをマスコミを通じて宣言し、準備を始めている。
勿論ブラフであり交渉を優位にするための材料だが、実際に実行出来るようにしなければ交渉の材料にならない。
リシェコリーヌの計画では、ここで国鉄は折れて交渉に入り、組合の力を見せつけ要求を通すはずなのに、その交渉自体を国鉄は拒否している。
そのためストを止める手段を組合は失った。
自ら言い出したことであり、実行前に撤回しては組合の信用を失う。何かデカいことを言うが言うだけで実行力の無い集まりと組合は周囲に見られてしまう。
そうなれば組合は有名無実の存在となりバラバラになってしまう。
「そのことを見抜いて交渉を拒否するつもりなの」
「それは分かりません。ですが、ストに対応するために総裁が政府関係各所と調整しているようです。相談内容は友好的な元老院議員からの情報によると全面運休を前提にしたものです。本気で拒否するつもりです」
「不味いわ、何とかしないと」
リシェコリーヌは少し考えてから指示を出した。
「私たちに友好的な元老院議員に連絡して国鉄が折れるように圧力を掛けるよう指示しなさい。ストで全面運休する羽目になるほど能力が無いとマスコミに書かせなさい。大臣・総裁としての資格がないと書き立てて失脚を狙うのよ。今回の事で辞任せざるを得ないようにしてやる」
「上手く行くでしょうか?」
「出来ないとしても総裁の影響力を削いでやる」
「大臣・総裁に対して元老院は通告を行います」
リシェコリーヌが叫んだ翌日、国鉄の総裁室に元老院議員であるポーラ・ワトソンが訪れた。
リシェコリーヌの意を受けた労働系議員のみならず、全面運休を恐れる産業系の議員達が自分たちのスポンサーの利益を守るため国鉄に圧力を掛けるべく勧告を決議していた。
しかし、誰もがその勧告を伝えに行くのを躊躇ったために独善的な正義感の持ち主であり、それ故にどんな言動を述べるのも構わないポーラ・ワトソンが選出された。
彼女は底の浅い思考からストは国鉄の労働環境の悪化による者と決めつけ昭弥に労働団体の言い分を受け容れるように勧告していた。
穏やかながらも焦りを含んだ文言が並ぶ勧告文を無礼の域に達した口調でポーラが読み上げた後、昭弥は静かに返答する。
「残念ながら経営上および安全上の配慮から組合の要求を受け容れることは出来ません」
プレスリリースから外れる事の無い返答にポーラは怒った。
「鉄道大臣兼国鉄総裁でありながら鉄道が止まる事を許容するのですか」
「組合がストを行うというのであれば。運行に協力しないというのであれば致し方ありません。安全が確保出来ませんから」
「一部でも動かそうと言う動きがありますがそれを否定しているとも聞いていますが」
「安全上の問題により一部を動かしても混乱を招くだけです。その一部に全ての利用者が集まるのですから。超満員の言う言葉の更に上位概念を作らなくてはならないでしょう。同時に満員電車以上の事故も起こるでしょう」
「自分の能力が無くて停止するという事ですか」
「事実ならば受け容れます」
「そんな無責任な。貴方の発言は元老院に報告させて頂きます。そして責任を追及させて頂きます」
「どうぞご自由に」
「大丈夫なのかい昭弥」
ポーラが激しい足音を立てながら部屋を出て行った後、二人のやりとりを聞いていたティーベが尋ねた
「彼女だけでなくストによる全面運休で昭弥を批判する声も元老院にはあるよ」
「大丈夫だろう」
「本当に?」
「仮に僕が責任を認めて辞任したとして後任は居るのかい?」
昭弥の返答にティーベは笑って否定した。
組合の活動がマスコミによって幅広く知れ渡ったため、組合と交渉しなければならない総裁の椅子の魅力はストップ安だ。事実、組合の圧力により元老院に勧告を受ける地位となってしまった。
非難の声を上げている連中に椅子を勧めても次は我が身だと気が付き掌を返して拒絶してくるだろう。
実際日本国鉄総裁の椅子は度重なる組合の抗議活動で酷く座り心地が悪くなり手が少なかったと言われている。
「まあポーラ・ワトソン女史は喜んで就任しそうだが」
「止めてくれ、地獄でしかない」
善意の塊であり、自分が正しいと思ったことしかやらないポーラ女史を総裁の職に就かせるなど地獄でしかない。
正しいく誰もが反論できない思想に基づき実行不可能な方法で実施させる。
例えば大幅な運賃値下げと福利厚生の更なる充実、職員の余暇時間の増大。
確かに運賃値下げは利用者に喜ばれるだろうし、福利厚生は職員に歓迎される。だがその財源はどうするのだ。
ファンタジーな世界だが、全てが魔法によって解決しないのがこの世界だ。
福利厚生の充実には莫大な支出が必要だが、それを支える収入は大幅に減少する。結局の所、借金で賄うしかない。
設備投資に借金は必要だと昭弥は考えて居るが経費まで借金で賄うとなれば、赤字経営でしかなく負担にしかならない。何より無用な路線を生み出してしまう。
勿論、昭弥は出来る限り福利厚生に予算を出していたし、運賃上昇も出来る限り抑え、廃線も少なくしている。しかし零になった訳では無く、ヤムを得ないレベルだ。
昭弥以外の人間が行えば、福利厚生は削減され、運賃は倍ぐらいに上昇し、廃線は更に増える事は確実だ。それだけ昭弥は鉄道の運営に対して非凡だった。
だがポーラにとっては不幸が存在する事が許されず、生み出した張本人は悪者でしかない。だから臆面無く昭弥を罵る。
ポーラとは、思い通りに行かなければ全てに当たり散らすリシェコリーヌの精神的な双子であり、善意を持っているか否かの違いだけだ。
そんなポーラが総裁に就任すればヨブ・ロビンによる負の遺産をようやく解消しているのに、かつての国鉄へ逆戻り、いや更に悪化させかねない。
「その点に関して元老院議員に伝えてくれ。後任をポーラ・ワトソンにしたくなければ、勧告を取り下げるように。産業系の議員とスポンサーにはもしここで折れたら、各産業の労働組合が一斉にスト戦術にでて国鉄以上の要求を出してくる恐れがあるって」
「最初の一発目だけで十分な説得力だよ。だが、二番目も折れないときの武器になる。有り難く使わせて貰うよ」
そう言ってティーベは電話を掛けた。
ティーベの領地は冬場に保養が出来る北方の一大歓楽地であり、鉄道が出来てからは帝国中から階級を問わず慰安客が押し寄せている。顧客の中には当然議員や産業界の大物も居り、太いパイプは十分にある。
連絡して今の話を伝える能力は十分すぎるほどある。
「じゃあ、あとは昭弥。君の方は任せるよ」
「大丈夫さ。関係省庁と産業への連絡と協力要請だからね。いざとなったら配偶者にねだるさ」
そう言って昭弥は自分の計画に協力が必要な相手先、帝国鉄道軍、内務省、私鉄各社、バス・トラック・船・飛行機の各産業団体に連絡を入れた。
こうして全面ストの日が近づいていった。
皮肉なことに宣言をしたリシェコリーヌをはじめ、運休を命じた昭弥自身も全面スト及び全面運休を望んでいなかった。
昭弥が折れることを期待していたあリシェコリーヌだが、昭弥は今後の国鉄経営を考える上で労働組合の影響力、権力を奪わなければ成り立たないと考えた。だからこそ、要求を突き返し組合の横槍を無くすために組合を解体する方向へ舵を切った。
つまり昭弥は組合の要求が全面ストより遥かに悪影響を与えると判断し、少しマシな決断をしたに過ぎない。
勿論昭弥に勝算はあったし、未来計画図はあった。
だが当然、神ならぬ身である昭弥に確実な未来など作り出せない。神の存在する世界だが、神であっても全てを叶えられるわけではないのだ。
こうしてリグニア国鉄は誰も望まない全面ストの日を迎えることになる。




