リシェスコリーヌの正体
「昭弥大臣は協定を守らないと?」
リシェスコリーヌは国鉄労働団体の委員長室の新調された椅子に座って報告を聞いた。
スラリと伸びた足を組み、長い指で端正な顔に頬杖を付く姿は、椅子とマッチして一つの芸術作品のようだ。荒くれ者が多く、イデオロギーに凝り固まった組合員を纏め上げるために自らのカリスマ性を高め威圧する為に購入したが、その目論見は上手く行っている。
彼女の前に立つ組合員はどんなに現場でアジ演説を飛ばし、経営人を口汚く罵る威勢の強い人間でも、リシェスコリーヌの姿に圧倒されて黙り込んでしまう。
お陰で彼女による労働団体掌握は上手く行っている。
「結んだ協定を推し進めると言っていますが」
嘲るような口調で秘書役の団体専従職員が答えた。この職員も彼女に心酔していた。
「つまりは人員の削減でしょう。能力不足とこじつけて。ローカル線も廃止し人員の広域異動を行う」
これは昭弥が事前にリシェスコリーヌと締結した協定の内容だった。
昭弥でも完全に赤字のローカル線は運営できず、やむを得ず廃線、道路への転換を行うべき路線が出てしまった。勿論代替のバスやDMVを出して利便性を向上させている。
更に合理化による機関車の一人乗務化と、自動改札による駅員の削減は避けて通れない。
そして他の将来性のある職場へ再教育を伴う人事異動は国鉄及び職員にとっても必要な事だと昭弥は認識していた。
何の仕事もない職場、時代が変わって必要性のなくなった職場は変えるか廃止しなければ無意味だ。配置された職員にとっても精神的に苦痛だ。
「そんな事、出来る訳無いでしょう」
リシェスコリーヌは意識して昭弥との約束を否定した。
「組合員の労働環境を守るために組織されたのが労働団体だから」
リシェスコリーヌが委員長に就任できたのは組合員の支持があってこそだ。特に組合員が多いミールレフォリウム支部の支持があったからだ。
その組合員、自分の力の源泉である彼等を切るのは、リシェスコリーヌ自身の力を自ら削ぐことになる。
広域異動されると自分に心酔する職員を余所に回されてしまい、求心力が下がってしまう。
何としても避けなくてはならない。
「どのような事情であれ、首切りは認めないと伝えて」
その本音を隠すためにリシェスコリーヌは建前を押し立てて協定を反故にするよう指示した。
「はい委員長。それと私も給与を返還するように国鉄から言われていますが」
実は今報告している彼も今は国鉄の勤務時間だ。職場をサボって委員長の秘書役を毎日しているいわゆるヤミ専従だ。
そのことが監査に知れ渡り、給与の返納を命じられていた。
「それも無視。組合員の給与を取り上げるなんて出来ないわ。労働団体は職員の、労働者の権利を守るための組織だもの」
「当然ですね。資本家に抵抗する事こそ共産主義者なのですから。連中の鉄鎖は撥ね除けるべきだ」
「ええ、彼等が押し付ける協定は鉄鎖そのものよ」
リグニア国鉄労働組合は、他産業の労働団体と比べて創立が遅かった。
昭弥が鉄道院総裁後藤新平の大家族主義を目標に福利厚生を手厚く施したために、自らの労働環境を守る必要が職員にはなかった。給与は高く、有給休暇あり、保養所、社宅の提供など、給与からの天引きの多いリグニアでは画期的なもので、多くの職員が入って来た。
勿論、時代の流れと共に共産主義思想が入って来たが新規の職員や転職してきてきた職員あるいは親類縁者友人が共産主義者で彼等の周りで布教する程度。リタイア後の老人の集まりでの全共闘世代か、大学のサークル活動に偽装したカルトみたいなものだ。
だが、昭弥が大臣辞任後ヨブ・ロビンのローカル線拡大による国鉄財政の赤字化、好況によるインフレに合わせた昇給の遅れ、提携金融機関によるローン漬け、設備投資の停止による設備の老朽。
情事人事の横行によって各種ポストが政治的な利権として扱われ、能力の無い上司が就任しベテラン職員の意見は抑えられた。この状況に嫌気の差した職員はチェニス田園都市鉄道あるいは私鉄へ転職して行く。
様々な要因によって国鉄の職場環境は悪化して、残った職員達は自衛のために労働団体を作った。だが彼等に労働団体運営のノウハウはなく、どのように抵抗すれば分からなかった。
そこへ入って来たのが、他の業界団体で活動していた共産主義者達だった。
一度は弾圧されたが、国鉄のローカル線拡大と転職者増大により欠員が生じたため穴を埋めるため大量採用された。
当然基準は甘くなり人手不足に悩む近年のコンビニや飲食業界の如く、前科のある共産主義者でも国鉄に入れてしまった。
しかも人員が不足しているため、彼等を解雇する訳にも行かなかった。
不幸にも昭弥の作った国鉄のシステムは覚えれば素人でも、数日で一人前の作業が出来る様に作られており、素人集団でもマニュアルで動けば職務を遂行できてしまった。
それがヨブ・ロビンの国鉄時代の実体だった。
しかし人がいなければ現場は機能しない。
合理化しようものなら、現場は直ぐに反発し、ストをちらつかせる。無能なヨブ・ロビンは解決方法を知らず、労働組合に譲歩するしかなかった。
組合は更に増長し規律や人事を自分の思いのままに変えて行き、危険なほどになった。
結果、昭弥が再就任したときには国鉄の現場は荒廃していた。
その他手直しのために昭弥は改善を進めていたが、労働組合にとっては自分たちが得た既得権益を奪う鉄鎖に映った。
「合理化による首切りも許しません。断固拒否します」
昭弥による合理化も同じだ。
新規のシステム、電気機関車や自動改札が導入されたことで人員を他の業務へ変換する必要が出てきた。
新規業務のマニュアルも作成していたが、一度習得した仕事それも安定的な仕事を喪いたくないという思いから賛同できない職員もいる。
リシェスコリーヌはそうした職員の心理を突いて合理化反対の号令を掛けていた。
同時に昭弥に反発し跳ね返す事で自分に力、大臣さえ凌駕する力があるように見せかける事が出来る。
労働組合におけるリシェスコリーヌ自身の求心力を維持するためにも大臣の提案は拒絶しなければならなかった。
「どうします?」
「協定違反を行ったのは国鉄上層部よ。直ぐにストを指示して。そうねミールレフォリウムあたりから始めましょうか」
全国にストの号令を掛けたくても、委員長に就任したばかりで指令を徹底できない。
そこでかつての自分の支部であり腹心の多いミールレフォリウム支部から始めてストが効果的だというデモンストレーションを行う必要があった。
「まずは管理職、ミールレフォリウム支社の支社長に伝えなさい。人事を撤回しない限りストに突入すると」
「はい」
秘書が出て行った後、リシェスコリーヌは薄ら笑いを浮かべた。
「ふふふ、ようやく帝国全体に影響のあるポストを得られたわ」
リシェスコリーヌは、その容姿に合わぬほど巨大な野心を胸に秘めていた。
中産階級の生まれで大半の帝国民より高度な教育を受けており、才能もあって順調に行けば中流の上の生活を送れた。
逆に言えばそれ以上は無く、魔法の才能、生まれ持った魔力で魔術師か勇者になる以外に上流へはリグニアの身分制度により不可能。彼女には精々貴族と結婚する以外に方法は無いが、貴族の妻になるのは自分のプライドが許せず選択肢にはならなかった。
その時、爆発的に発展したのが鉄道だった。
鉄道は特殊な才能、魔術の才能が無くても誰でも採用した。巨大な機関車でも運転技術を習得すれば動かせる。運転士でなくても整備や駅の業務を普通の人々が、マニュアルを読んで実行できるだけの能力さえあれば誰でも出来る様になってしまった。
その結果、大多数の職員を抱えることとなり、膨大な数の管理職需要を産むこととなった。
魔術の才能も勇者としての能力も無かったリシェスコリーヌは直ぐさま鉄道に職を得て管理職そして経営陣に加わることを夢見ていた。
しかし、現実は甘くなかった。
身分を問わず昭弥が能力のある人物を大量に採用したため、帝国で埋もれていた人材が次々と鉄道省や国鉄に入ってきた。一万人に一人の秀才でも人口一億人前後の帝国では一万人も居る。
リシェスコリーヌ程度の能力を持つ人物は、鉄道省の管理職内に五万といて、彼女は大勢の中の一人に埋もれるしかなかった。
更に実力主義で優秀な人材は即時昇進させたため、同期に次々と追い抜かれて行き彼女のプライドをズタズタにした。
ここで心を入れ替えて精進すれば更に昇進出来たかもしれない。だが、彼女の心の中にあった野心は、その現状を許さなかった。
同期の優秀な人間が昇進して行く中、心の中に鬱憤が溜まり不満となっていく。
ヨブ・ロビンに大臣が替わった後、大勢の上司が入れ替わったがそこには行ってきたのはヨブ・ロビンの息の掛かった子飼いや利益権者で、既存の職員が昇進出来る仕組みはなかった。
何より政治的あるいは利権的な任用でやって来る無能な上司の指示に従い失敗し、尻拭いする状況に甘んじる自分が許せなかった。
そこで目を付けたのが国鉄内で急速に伸びつつあった労働団体だった。
自衛のために出来た組織だったが、狂信的な共産主義者ばかりで優秀な人材ほど敬遠しており、組織管理のノウハウのない人間ばかりだった。
そこに目を付けたリシェスコリーヌは直ぐさま国鉄労働団体に加入し、ミールレフォリウム支部の専従職員となり労働団体の組織作りを行った。
雑多な集団だったミールレフォリウム支部は彼女の手によって国鉄のマニュアルを応用して組織化され国鉄労働組合でも一番の組織率を誇る支部となった。その手腕が認められ、国鉄労働組合の上層部へ仲間入りした。
古参の共産主義者もいたが全てイデオロギーを前面に出すだけの無能で傲慢な人間だった。突然頭角を現してきたリシェスコリーヌをライバル視して非難をする。
だが、実績を上げたリシェスコリーヌの前に敵ではなかった。また彼女の優秀な頭脳は集会の中でアジ演説を見て、人を扇動する技術を学び取り、彼女に楯突く組合員を逆に非難、弾劾し、組合から追放して行く。こうしてリシェスコリーヌは昭弥が会談を持ちかけてきた時点で労働団体ミールレフォリウム支部で絶対的な権力を持つことに成功した。
そして昭弥をも踏み台にして鉄道労働団体の委員長に就任した。
「でもまだ足りないわ」
彼女の目標は、皇帝さえ凌駕する権力を手にして帝国の頂点に君臨することだった。
今は労働運動が盛んで、帝国の大半を占める貧困層が労働団体に流れこんできている。
この状況を利用すれば民主主義を国是とし帝国民に選挙権を渡している帝国を乗っ取ることも可能だとリシェスコリーヌは考えていた。
「さて、始めましょうか」




