DMV
「全く、酷い話だ」
職員の負ったローンの話を聞かされて昭弥は天に顔を仰いだ。
家族のような職員をローン漬けにして身動きできないようにするとは。奴隷化して収入源の一つにすることしか考えていない。
「どうするんだい?」
傍らで話を聞いていたティーベが昭弥に尋ねた。
「当然解決しなければならないだろう」
「奥さんに頼んで徳政令でも出すのかい?」
昭弥の妻ユリアはリグニア帝国の皇帝だ。独裁権があり、徳政令――借金を棒引きにする命令を出す事は出来る。
「そんな事をして稼げない連中はどうするんだよ。収入がなければ徳政令を出しても焼け石に水だ。金融機関も徳政令によって打撃を受けて金貸しが出来る状態じゃなくなる」
日本でも幾度か徳政令が出されたが、経済が停滞していたときに出されたために余計に酷い事になってしまった。借金が無くなっても収入がないのは同じ事だ。
特に貸し渋りは酷く、金融業者の資産激減もあって借りる事はほぼ不可能。
「信用が収縮して更に経済が停滞するわ」
職員の経済状況を調べたサラも反対する。
借金が帰ってこないとなると銀行は貸付金が無くなり金を得る収入源が喪失する。
同時に預金者が銀行に金があるのか疑うようになり取り付け騒ぎの恐れも出てくる。
何より信用創造で増大した通貨が収縮し、帝国の経済が崩壊する。
徳政令の後の不況は信用収縮で通貨が減って、デフレとなり貧困者の困窮を更に高めてしまう。
そうなれば帝国の経済に深く食い込んだリグニア国鉄の収益も著しく悪化。赤字はより酷い物になるだろう。
だからこそ、徳政令は出せない。しかし職員達の生活は困窮したままになってしまう。
「広域異動を止めないか?」
ティーベは尋ねる。労働団体の言いなりになるのはシャクだが、職員が貧困に陥るのは避けたい。
しかし、昭弥はクビを振った。
「いや、無理だよ。広域転換のためにローカル線を廃止しないと不味い」
「どうして廃止しないとダメなんだ」
「簡単に言うと採算が取れないんだよ。そもそも、駅の配置が不味い。集落から離れた場所に駅を作っていて不便な場所が多い。乗換が面倒でバスでそのまま市街地へ行く人が多い」
「どうして集落へ繋げなかったんだい?」
「帝都から離れた地域は山岳地帯で集落も山肌に沿っている。建設しようとすると勾配がキツすぎるからね」
鉄道敷設において最大の敵は勾配だ。車輪を回して動く車両の場合、勾配が大きくなると空転して登れなくなる。
通常の鉄道だと二五‰――、一〇〇〇メートル進む毎に二五メートル標高が上がる傾斜が限界と言われている。
車両技術の進歩により三〇‰でも運転できる車両が開発されているが、まだ現実的ではない。
「タイヤを使うバスなら四〇‰でも簡単に登れるよ」
自動車の利点としてゴムタイヤの摩擦が大きいため、鉄道よりも急勾配の道路を走れる。
べた踏み坂で有名な江島大橋の勾配は最大で六一‰だが、一般車両でも通行可能だ。
日本にある立体駐車場のキツい坂道は六分の一勾配――、一六六‰もあるがが登れる。
この自動車の高い登攀性能により道路の敷設は線路より容易でありバスが普及する原因の一つとなっている。
また自動車は鉄道に比べて急カーブに強い。二〇メートルの曲線でさえ特殊な装備を必要とする鉄道に対して、自動車はそれ以下のカーブでも曲がることが出来る。これも道路の建設をより容易にする要因となっている。
これはタイヤの踏ん張り、摩擦が鉄道の車輪より大きく滑りにくいためだ。だが、この摩擦の大きさのためにタイヤ駆動は燃費が悪い。
例えば国鉄一一五系電車十両は質量四〇〇トン、出力二八八〇kWで一トン当たり7kW。大して乗用車のカローラは一.四飛んで出力は八二kWで一トン当たり五八kW。自動車と比較すると鉄道は八分の一しかエネルギーを使わないため、エコロジーであり経費が少なくて済む。
だが自動車には道路さえ有れば何処へでも走って行ける利点、利便性があり、鉄道から乗客を奪っている。
「ヨブ・ロビンはそんな事を考えずに鉄道を通したからね。集落から離れた場所に駅を作るしか無かったみたいだ」
結果、集落と駅をバスで結ぶ事となり、集落に市街地への道路が完成すると直ぐに市街地直通のバスが出来て、鉄道は赤字路線になってしまった。
「集落に鉄道を通せないのかい?」
「難しいね。傾斜が急すぎて敷設が難しい。それに一つの駅で複数の集落と繋がっている場所もある。全ての集落を結ぶなんて不可能だよ」
「鉄道からバスへの乗り換えは不可欠か。乗換無しになると良いんだけど」
「そんな都合の良い車両が……あったよ!」
昭弥は叫ぶと直ぐさまペンを握りしめて計画書を書き始めた。
「それでご提案というのは何ですか?」
数日後、再び昭弥はリグニア国鉄労働団体ミールレフォリウム支部を訪れた。
久方ぶりの徹夜で目の下にクマを作り如何にも不健康だが、目には鬼気迫るような光が宿っておりその勢いにリシェスコリーヌも一瞬たじろいでしまった。
しかし、それでも数千人規模の支部を纏め上げている支部長としての面目もあり、直ぐに冷静さを取り戻し昭弥に尋ねた。
「DMV――デュアル・モード・ヴィークルを導入します」
「軌陸車とは違うのですか?」
リシェスコリーヌは尋ねた。
保線用に使われる線路上も走れるトラックのことを軌陸車という。軌道のみ走る保線用車両もあるが、営業車両が通っている営業線に留置することが出来ないし、高頻度運転をしている路線だと保線箇所へのダイヤに組み込むことも難しい。
そこで軌陸車を使い予め道路で保線予定箇所の近くまで走り、留置線から乗り入れて営業車両が通りすぎてから進出する事で安全と作業時間の確保を行っている。
「それと同じ機能を持っていますが、トラックではなくバスから改造して旅客に使います」
昭弥が提案したのは、線路と道路を走れるDVMだ。
バスを主体にして改造された車両で線路用の車輪を搭載。この車輪は出し入れ可能で線路でも道路でも走れるようになっている。
日本でもJR北海道が自動車メーカーと共同で開発していた車両であり、実用化寸前まで行った。
だが、直前に起きたJR北海道の相次ぐ鉄道事故により経営資源を安全対策に集中させるためDMVを含む新規事業が凍結されてしまった。
これによりJR北海道での導入は断念されたが、その時のデータを生かして四国の阿佐海岸鉄道において導入が進められている。
「これが廃線阻止の切り札になると」
「はい、これを導入すれば利便性が高まりバスに対抗できるでしょう」
山間部や過疎地域において鉄道がバスに負けているのは、道路と線路では建設コストと制約が違いすぎるからだ。
燃費は鉄道の方が良いが、鉄道の通っているところまで行くのが利用者側には負担だ。
「そこで、線路が通っているところは鉄道として走り、集落近くの駅でバスに変換して道路を走ります」
集落までの道筋が急斜面でもタイヤならば走行可能。集落への道路のみバスとして走行し他は線路の上を走れば良い。
「これなら乗換無しで中心部まで走って行くことが出来ます。それどころか、市街地をバスとして循環することも可能です」
鉄道の弱点として線路上以外を走る事が出来ない。市街地の隅々まで線路を通すことは出来ないし通したとしてもダイヤ編成が大変になる。
鉄道が有利とされる大都市部でも小回りの利くバスが運用されているのはこの欠点をカバーするためだ。
だが、DMVならば乗客が乗ったままでバスへの変換も可能。設備さえ設ければ市街地へ線路から飛び出すことも可能。
面倒な乗り降りをせずとも大都市へ繰り出すことが出来る。
行商人の方や、病院へ向かうお年寄りにも優しい。
昭弥は鉄道を通すとき、出来る限り重要インフラを鉄道沿い、主要駅周辺に建設するようにしている。だが土地の事情、線路から離れたところに中心部がある、地形的に線路の敷設が困難、地域の伝統、ヨブ・ロビンの利益誘導により不便な場所への建設などが行われた結果、バスへの乗換を余儀なくされている利用者は多い。
こうした欠点を解消できる方策として昭弥はDMV開発を進めていた。
「確かに素晴らしい案ですね。上手く行くのでしょうか?」
「試算上は上手く行きます。あとは導入するだけです」
「導入には時間が掛かるのでは?」
「乗員と検修員の訓練と、変換用の施設の建設に時間が掛かります。ですが最小限で済みますし、人員は十分に確保出来ます」
軌陸車の場合、線路に入るのに数分の時間が必要となる。
またDMVの先輩に国鉄時代に赤字ローカル線の切り札として英語で両生類を意味するアンヒビアンを冠したアンヒビアン・バススが開発されたが、線路に乗せるのに専用ジャッキが必要だったり駆動系とブレーキ系統の接続が必要など、軌道走行と道路走行のモード変換に手間と時間がかかり、実用化が断念された。
DMVはその点を考慮して作られて変換時間を最小限に抑えている。
変換時は専用のガイドレールで走りながら位置を補正して軌道に入り車輪を出す。
駆動系統は軌道走行時は二輪ある後輪の内、内部がレールに触れる事で駆動できるようにしている。ブレーキも自動車と同じ機構を利用する事で変換なしを実現している。
利便性は格段に向上している。
「……なるほど。これならば利用者を増やし、廃線を免れることが出来る」
リシェスコリーヌも興味を持って資料を見ている。
「あとは労働団体が協力して貰えるかどうかですが」
昭弥はさりげなく聞いた。
機関車の二人乗務制を廃止して人員の配置転換を前提にDMVを導入するのだ。配置換えに反対している労働団体の反発が予想される。
これを抑えなければ導入は出来ない。
「喜んで協力しましょう」
緊張する昭弥に女神のような笑顔でリシェスコリーヌは同意した。




