ローン
「何故拒否するのですか。そもそも人事権に関しては経営陣が持つ物でしょう」
「それは前時代的な考え方です。これからの時代は下から積み上げていくものです」
昭弥の言葉にリシェスコリーヌは反論する。
「残念ながら改革を実行しなければ国鉄自体が潰れます」
「つまり組合員や職員に更に困窮しろというのですか。ミールレフォリウムから離れる広域異動は絶対に反対です。だからこそ合理化にも反対です」
「労働組合が反対するのは分かりますが、赤字路線を維持する余裕が無いのです」
昭弥も赤字路線の廃止は苦渋の決断だ。だが廃線にしなければ、維持管理の要員を捻出できない。運転要員は少数で済むが、保線要員は大勢必要だ。遠距離になれば更に必要になる。
鉄道が高速で走行できるのは適切な保線が行われてこそ。保線が行われなければレールは直ぐにガタガタになり、高速走行は不可能になる。
鉄道大国だったアメリカの鉄道産業が衰退した理由の一つに線路の保線が不十分で、レールがガタガタになりスピードが出せずトラックに遅れを取ったことが上げられる。
昭弥としてはそのような轍をリグニア国鉄には踏ませたくなかった。
他にも車両の保守管理を数カ所に纏めて効率よくやる事を念頭に検修区の集約化を図っており、広域異動はその一環だ。何としても行わなければならない。
蒸気機関車を全廃して電車やディーゼル車に移すのも乗務員を二人から一人に減らし、検修要員を減らすためだ。
蒸気機関車は構造は単純だが、保守に多大な人員を必要とする。その人員を高収益の部門に配置転換するためにも広域移動は不可欠だ。
「何より、安全に関わる問題です。飲酒しての乗務は認められません」
安全が鉄道には必要だ。必ず目的地までたどり着ける。だからこそ運賃をお客様から頂けるのだ。
ほんの三十年ほど前まではリグニア、特に召喚されたルテティアの地は魔物などが跋扈して旅や輸送は命がけだった。
だが、今は鉄道で気楽に移動できる。
鉄道開業時は、それだけで運賃が貰えた。
しかし、今は違う。航空機や自動車が台頭してきており、熾烈な競争が始まっている。
安全なだけでは乗って貰えない。いや、安全であることが最低限の利用条件になりつつある。
ここで利用者の信頼を損ねるようなことは避けなければならない。
特に、アノーウラ事件で利用者の信頼を失いつつあるリグニア国鉄ではこれ以上の大事件、大事故は致命傷になりかねない。
昭弥としては、酒気帯び運転は認める訳にはいかない。
「適正のない運転士を乗せることは出来ません」
「そうやって我々にまた鉄鎖を巻き付けるというのですか。ならばストライキしかありません」
「そんな無茶な」
上層部に抗議して労働者が働かないストライキは雇用者への抗議としては効果絶大だ。
従業員が働かなければ売上は無くなり、会社は大損害だ。
だが、それは農業や林業などの第一次、第二次産業である場合だ。
第三次産業、特に公共サービスの部門では利用者に大きな負担が掛かる。
そもそも公共サービスは弱者や困窮者のために作られている。それが、ストライキで止まると弱者に直撃してしまう。
労働者の権利を守るために、更に立場の弱い人々が困ってしまう。
特に鉄道ではその傾向が著しい。
国の血管と称されるほど全土に張り巡らされたリグニア国鉄が停止すれば、多大な影響が出る。
自動車免許を持たずとも長距離を移動できる事で、どれほど多くの人々が助かっていることか。
仕事に行くにしても行商に行くにしても鉄道がある事で非常に便利だ。
ミールレフォリウムは新帝都に近いが、道路網はまだ十分に整っていない。鉄道網が頼みの綱であり、ストライキに入ればミールレフォリウムの経済は大打撃を受け、困窮するだろう。
何としても避けなければならない。
「どうしよう」
とりあえず改革案の実行は一時保留にして昭弥は国鉄本社に引き返した。
強行してストライキを起こされてミールレフォリウムが崩壊するのは避けなければならない。
国鉄においてストライキは法律違反で逮捕する事は出来る。しかし職員の大半が組合員であるミールレフォリウム支社の場合、万が一支部の組員全員が参加したら、機能は完全に停止する。
結果ミールレフォリウムの経済は破綻する。
「しかしそんなに合理化に反対するだろうか」
現場は支社採用が多く殆どは地元出身だ。だが、ミールレフォリウムは新興地域の為に余所からも出稼ぎでやって来て入社した連中も多い。
仕事がなければ他の地域へ移動して新たな仕事を求める集団だ。
ミールレフォリウムに愛着が出てきているのだろうか。
「しかし改革をやって貰わんと困るで」
経理担当のサラが昭弥に言う。国鉄が著しい赤字のため支出を抑えなければならないので一つ一つの事業の妥当性を考えている。
「かといってストライキも困るでミールレフォリウムは大事な収入源やからな」
事業を黒字に導くには収入を増やし、支出を減らすしかない。
ミールレフォリウムは新帝都に近い新興住宅地であり、通勤需要が著しく定期券収入が期待できる地域だった。
ここでストライキを打たれて、鉄道から他の交通機関に移動されては困る。
「まあ、国鉄の不動産業や金融で儲けとるんで何とかなるけどな」
サラは皮肉交じりに言った。
人口を増やし鉄道利用者を増やすため、リグニア国鉄は沿線開発を行っていた。
その関連事業として不動産と金融は切っても切れない関係だ。
済むには家が必要で土地が必要だから不動産屋が要る。土地を買うにも家を作るにも金が必要なので融資を行う金融業が必要だ。
結果、新興住宅地では金融業と不動産業が盛んだ。勿論他の産業もあるが、成長著しく利益を上げているのがこの二つだった。
元々鉄道事業以外でも儲けを出すために多角化を進めており、利益が出ているのは昭弥には有り難い。
「確かに大きく儲けているけど」
その時、昭弥は一つの疑問、いや悪寒が走った。
「どうしたんや?」
「……一寸、調べて貰いたいんですが。僕が言った資料を探してきて調べて貰えますか?」
「昭弥はんの言った通りやったわ」
一時間後サラは昭弥に頼まれた資料を持ち込んできた。
持ち込まれてきたのは、国鉄職員の人事書類だ。
生年月日、職歴、異動の他にも賞罰も書かれている。その中には収入と負債も記載されていた。
「やっぱり住宅ローンを組んでいましたか」
福利厚生の一環として、金融商品も取り扱っていた。特に住宅ローンは巨額になるので手厚い。沿線開発の顧客にも成るので昭弥は推進していた。
ミールレフォリウム支社の職員も例外ではなかった。いや、殆どの職員が購入している。
「家を買ったら他の土地に簡単に移っていくことはできないからな」
新興住宅街とはいえ、家を簡単に売買できる訳では無い。急に異動を命じられて他の地域へ行くなど不可能だ。
職員が改革案に反対する理由も十分に分かる。
「しかも、高額な商品を買わせている」
国鉄職員はリグニア帝国の中では収入が良い方で、労働者の貴族と呼ばれる程だ。
雇用も賃金も保障されており、金融商品の顧客としては上客で限度額が高い。
しかし限度額まで借りると返済が大変になり生活に使える額が低くなってしまう。
「何でこんなに借りたんだ」
「どうも上司や職場で借りるように押し付けてきたみたいや。同僚の間でも、家を一軒買ってこそ一人前だって」
「何だその価値観の押しつけは」
「そうやって家を買うことがステータスと思わせて売りつけて痛みたいや。関連会社の金融商品を買わせることでディベートを得ていたみたいや。職員は給料は保証されている、遅配や欠配がないから返済は滞りなく行われるんで金融会社にとっても安定した収入源になる。何より職場の部下を借金で雁字搦めにすることで命令を聞きやすくする訳や」
「そこまで悪用するのかよ」
借金させて転職できないようにする悪徳会社と同じだ、と昭弥は思った。
自棄に唯々諾々と従順な社員が多いと思ったが、理由はこれか。
労働団体へ参加する職員が多いのも返済で困窮して労働団体を頼って入ったに違いない。
「従業員の給与を収入に変換する良いアイディアだが、やり過ぎているな。借金という鉄鎖を付けて従わせるとはヨブ・ロビンも酷いことをする」
福利厚生は維持されていると思い込んでいたため、昭弥はこの方面に目を無k亭無かった。
「でも、ヨブ・ロビンがローンを職員に勧めたのは昭弥はんが原因やで」
「どういう事ですか」
「主力になるベテラン職員の大半がチェニス田園都市鉄道が出来て直ぐに移籍してしまったんや。穴の空いた人員を補充するのに難儀しておった。そこで不動産会社と金融会社で不動産ローンと販売を行う商品を作って国鉄職員に売り渡したんや。家を持って借金も持っていると転職に二の足を踏むからな。残った職員の多くは、再就職できるかどうか分からない腕が今一な連中や。首根っこ押さえられた状態で転職なんかできんわ。結局国鉄内で歯を食いしばって理不尽に耐えていくしかあらへん。しかもヨブ・ロビンにとって国鉄本業の赤字も補填できるし一石二鳥や」
「対抗するためにそこまでしますか」
「昭弥はんに比べればヨブ・ロビンなんて口先だけの無能や。そんな奴に人は付いていかへん。離反されんように縛り付けるしかなかったんや。そんな無能は職員の困窮など考えておらへんやろ」




