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外伝 ジャンの乗り過ごし

『……メンダシウム・コルス。お忘れ物なさいませんようお願います。間もなくダアシエリマス』


「うおおおおおおっっっっ」


 電車のロングシートに寝転がりっていたジャン。

 車内アナウンスの後半で覚醒し慌てて閉まり始めたドアに向かってダイブする。

 間一髪でホームへ飛び込むが、勢い余って転がり強かに身体を打つ。


「いてててて」


 幸か不幸か、ジャンに怪我は無く車体から離れたこともあり、列車はそのまま出発する。


「あー、無事に下りられた」


 職を求めて新帝都アルカディアへやって来て一ヶ月。ようやく沿岸部にある工場の短期就労のバイトが見つかって毎日電車通勤だ。

 家賃の安い内陸部しか部屋を借りられず、日々一時間以上の通勤だ。

 それでも歩いて通ったり寝床のみの安宿より住宅公団の作った一人用の一間の方が良い。


「しんどい」


 それでも毎日の通勤は過酷だ。チェニスから直通で入ってくる満員電車を避けて空いている各駅停車に乗っての一時間は辛い。

 相互乗り入れで乗換が無くて楽だが、人が集中しすぎているようにジャンは思う。

 今日は久方ぶりに職場の仲間と楽しく酒場で痛飲したのも憂さ晴らし兼帰りのラッシュを避けるためだ。

 階段を降りて、改札口で定期を見せる。

 若い駅員も眠そうな目をしている。この時間が特に眠いことを地方で鉄道関係のバイトをやっていたときにジャンはよく知っている。

 地方の方が求人が多いと地方巡りをしていたが、何処でも小さな失敗を続けてクビになりその度に新しい場所に移動する生活を続けていた。

 それも徐々にやりづらくなり、ここ一年は新帝都アルカディアで職を転々とする毎日だ。


「部屋はあっちだったな」


 いつも使っている入口を出て、スカイウォークを歩き見慣れた公団の作った団地を眺めた後、利用している階段を降りる。

 夜遅いと足下が見えないものだが最近発明されて普及の進む蛍光灯によって町の中は明るい。

 周囲のアパートの廊下も煌々と照らされており、迷うことはない。


「うん? あんなんだったか?」


 しかしジャンは小さな違和感を感じた。いつも歩いている階段、上から三番目の段のタイルは砕けていた筈だ。なのに綺麗なタイルが貼られている。

 他にも木々の枝振りが違うようにも思える。


「見間違いかなあ、直したか、剪定したんだろうかなあ」


 酒精の作用もあって頭の回転が遅くなっているジャンは、大して気にせず自分の部屋に向かって歩いて行った。

 周りの団地はいつもと変わりない。

 同じ場所に同じ建物、並び順も同じ。何も変わりない。

 酔っている頭でも無事に帰れるはずだった。


「あれ? こんなに綺麗だったかな?」


 いつもは自分と同類の隣人達によって昼の清掃前までゴミの散らかっている廊下が綺麗になっている。


「まあ、そんな日もあるか」


 手紙が来る相手が居ないため郵便受けを確認せずジャンは自分の部屋がある三階へ足を運ぶ。

 階段から四番目の扉に鍵を差し込み回す。

 鍵が開くとノブを手で回しドアを開けて部屋の中に入り込む。


「あれ、こんな靴買ったか?」


 一歩中に入ると、見慣れた玄関に見慣れぬ革靴が綺麗に揃えて置いてあった。靴は磨きが掛けられ光沢さえ放つ革靴だった。


「泥棒でも入っているのか」


 酔いが回っているジャンは鷹揚に構えた。盗まれて困るような物は何一つ無いのも理由だ。

 後ろ手でドアを閉め鍵を掛けると、履いていたボロのドタ靴を脱いで部屋に入る。


「あれ? こんな酒買ったか?」


 玄関から入ってすぐ台所に置いてあった酒瓶を手に取る。

 自分の給料二日分の高級ワインだ。


「誰かから貰ったかな」


 さほど深く考えず、ジャンはコルクを開けてラッパ飲みする。


「うん、こんなツマミ置いていたか」


 テーブルの上に置いてあったアヒージョを摘まんだ所で酔いが醒め始める。

 部屋の様子が違う。清潔で営利整頓されており、家具が少し高級になっている。

 ようやく違和感が酔いを押し退けてジャンの頭の中を駆け巡る。

 その時、背後で鍵が回る音がした。


「だ、誰だ!」


 ジャンは振り向いて叫ぶ。

 つい先ほど自分が開けたドアから入ってきたのは、皺一つ無いコートを身に纏い目を大きく見開いた見覚えの無い男だった。

 ジャンの叫びに男は困惑しながらジャンに尋ねた。


「……あんたこそ誰だ」


「この部屋の住人だ」


「この部屋の住人は私だ」


 落ち着きを取り戻したのか男は冷静に答えるが、一方のジャンは酔いも醒めて興奮しながら捲し立てる。


「俺は公団からこの部屋を借りているんだぞ」


「それは私だ。チェニスの会社に通うためにこの部屋を借りているんだ」


「チェニス?」


 思わぬ単語にジャンは尋ね返す。


「ここはアルカディア郊外のメンダシウム・コルスだろ」


「何を言っているんだ。ここはチェニス郊外のノウム・メンダシウム・コルスだ」


「……一体どういう事なんだ」




「これ、本当に起こったことなのか」


 翌日昭弥が朝刊を読んでいると、昨日のジャンの顛末が記事に書かれていた。


「間違いないよ。警察を呼んで確認済み」


 興味が出るだろうと思ってティーベは予め調べていた。


「どうも酒を飲んで列車に乗って寝てしまい乗り過ごしたらしい。で、その列車は運悪くチェニスまでの列車で降りる駅が偶々、ノウム・メンダシウム・コルス、寝ていた奴の住むメンダシウム・コルスに新しいという意味のノウムが加えられた場所だったという訳」


 駅名というのは非常に厄介な問題だ。

 他の駅と区別する為に付けられるので、同じ駅名を使う事は出来ない。

 だが、郊外だと広い地域を一つの呼び名で示されるため、新興住宅地を作る時狭い間隔で駅を作ると駅名のバリエーションを作るため接頭語が多くなる。

 例えば埼玉県の旧浦和市市域は東京のベッドタウンとして発展し複数の駅が作られた。ただ浦和以外に適切な駅名が見つからなかったのか、浦和駅の他に北浦和、西浦和、中浦和、南浦和、東浦和、武蔵浦和更に追加で浦和美園が追加され浦和を冠する駅が八つもある。

 流石に同じ地名の使い回しは問題だと思ったのか他の新興住宅地では新たな地名を作った。しかし桜ヶ丘とか青葉台、夢が丘など似たような名前が全国に広がりより判り辛くなってしまった。

 メンダシウム・コルスも同じで住宅公団が新しい町を作る時、頭にノウムを付けただけで使い回していた。

 そして運悪く相互乗り入れ先の駅に似たような駅名があったという訳だ。

 車内アナウンスの前半を聞き逃したためメンダシウム・コルスと思い込んでしまった。


「しかし、違う駅に着いたと気が付くだろう」


「いや、公団の請願駅で迅速に作るためにプレハブで作ったので見間違えたらしい」


 近年の急激な人口流入で住宅難に陥った各都市を救うために帝国は住宅公団を設置した。

 この公団は迅速に建物を建設するためプレハブによる団地の大量生産を行い大量供給している。

 だが、空いている土地、団地の建設場所が鉄道沿線の駅から離れた場所にあり、交通の便が悪く住民からは足無し団地と呼ばれた。

 居住者から不満を受けまくった公団は鉄道省に泣きつき、国鉄が主体となった団地に行く新たな路線が建設された。

 こうして足無し団地に鉄道が通ることになったが、迅速に提供するため工期短縮を志向しプレハブで作られたため、外観も構造も同じ駅が帝国中に出来てしまった。


「そして公団の方も同じ建物を同じ都市設計図で作ったから何処も似たような町になってしまった」


 公団も広軌と工費を安くするため建物と町の設計図をコピペしまくり、似た雰囲気の団地が帝国各地に乱立する羽目になった。

 今回のアルカディア郊外のメンダシウム・コルスとチェニス郊外のノウム・メンダシウム・コルスも同じ理由で公団によって作られた新興住宅地だ。

 距離は二〇〇キロ以上離れているにも関わらず、鉄道で結ばれていた。

 ジャンは運悪く終点まで乗り過ごした後、乗った列車は行き先変更が行われアルカディアからチェニス郊外のノウム・メンダシウム・コルスまで運ばれてしまった。


「酷い話だな」


 酒で酔っていて時間の感覚も無くなっていたため、酷く時間が過ぎていることにも気が付かず、アルカディアからチェニスまで来てしまったらしい。

 そして相互直通運転の為に、遠距離に運ばれてしまった。

 東京でも終電で寝てしまって終点まで運ばれてしまった人は多い。中央線沿線の高雄や大月、東海道線の熱海、小田原と言ったところか。


「これでもまだマシらしい。似たよな建物が多くて自分の住んでいる団地で自分の部屋が入った建物を見つけられず迷子になった人が多かったらしいぞ」


 呆れるようにティーベが話す。

 何処を見ても同じよな、いや規格も設計も外観も同じで差異が殆ど無い新築の建物群の中に放り込まれれば合わせ鏡の中に入ったような状況だろう。

 一つ曲がり角を間違えれば自分のアパートにたどり着くのは不可能。同じ建物ばかりで自分の現在位置さえ把握は困難。

 これで迷うなと言う方が無理な話だ。

 実施、日本のニュータウンでも同じ事が起きていたらしい。


「それは酷いな。しかし、よく鍵が回ったな」


「鍵の増産が間に合わず、数種類の鍵を使い回しているらしい」


「……それだと同じアパートでも同じ鍵の部屋が何組も出るんじゃ無いか?」


「実際に起きていることだよ」


「……早急に対策を考える必要がありそうだな」


 新興住宅地は鉄道とセットで作られている。

 団地居住者イコール鉄道利用者であり、彼等が犯罪に巻き込まれて財産を失って鉄道を利用出来なくなればいずれ鉄道に跳ね返ってくる。

 何より鉄道沿線を犯罪地帯にしたら鉄道の安全も守れない。

 昭弥は出来る限りの事をしようと決めた。

 因みにジャンは住居不法侵入は免れたが、酒を勝手に飲んだことにより弁償することとなった。

 自分の給料が吹っ飛び家賃は滞納となり、翌日は警察のお世話になったために職場を無断欠席。解雇さてしまった。

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