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乗り心地

「開業から何往復もしているし試運転も問題無く済んでいる。大丈夫だね」


 珍しく怯えるティーベとは対照的に昭弥は気軽に、いや明らかに浮かれた調子で喋る。


「さあ、切符を買って乗車しよう」


 その証拠にスキップしながらチケット売り場に歩いて行き、足早に地上から高さ八メートルの位置にあるホーム、いや桟橋へ続く階段を上って行く。

 余りにも高い位置にあるそれはホームと言うより、海辺から見上げる桟橋としか言いようが無い。

 その後ろをティーベは躊躇いがちに付いていった。

 車両の走り出しは普通の車両より音が小さかった。

 車輪から離れた位置にあり遊間――レールとレールの間に意図的に作られる隙間の上を渡るときの振動が伝わりにくいからだろう。

 視線も高く建物が移動してるように思えてしまう。

 しかし、これは電車であり、架線から電気を取り入れて走っている。

 しかも海の中にあるレールを伝ってだ。

 車両は暫し海岸沿いを走って行くが、崖が近づくにつれて潮間帯に差し掛かる。

 丁度満潮と干潮の間の時刻で、レールが一部並みに洗われている。

 海の中に向かって車両が走っていくようでティーベは生唾を飲む。

 だが一方の昭弥は期待に満ちた瞳でその瞬間を見逃すまいと身を乗り出して見ている。


「まさかワザとこの時刻に視察するように仕組んだのかい!」


 ティーベが珍しく怒りを尋ねるが昭弥は興奮していて耳に入っていない。万願成就一歩手前の表情から答えは明らかだ。


「おお、入るよ」


 車両は波を掻き分けて海の中へ突入していった。

 軽い衝撃が伝わるが、速度を落とすことなく進んで行く。

 船のような揺れは無く、周りの景色は変わらず流れて行き、ただ波の音だけが大きくなる。

 広大な大海原の中を架線の下を車両はゆっくりと波を掻き分けて進む。


「本当に海の上を走っているんだな」


 異常が無いことに安堵したティーベがようやく口を開き、周りを見る。


「しかし、よく海中に車輪があってモーターがショートしないな」


「モーターはこの客車の真下に取り付けてあって、支柱の中にあるシャフトを通じて下の車輪に伝達しているからね。海中にある訳では無い」


「よく分かるね」


「似たような鉄道が召喚前に居た世界にもあったからね。大体同じ構造だし、モーターの励磁音が下から響いてきている」


「この波音の中でモーターの音を聞き取れるとは凄いね」


 機械関係、いや鉄道関係に関しては昭弥は異常なほどの能力を発揮する。

 しかし、今回は行きすぎのような気がする。

 車両は徐々に海に沈み込んでいくが二メートルほど沈んだ所で止まる。

 押し寄せてくる波も客室までは届かず、波風の囁きを聞く静かな旅だ。


「確かに、良さそうではあるな」


 危険が無いと解れば、ティーベも余裕を持って楽しみ始める。

 車体は楕円形で、中央になある客室の上にも展望台がある。

 架線は海岸側の横に付けられており、海上と空がよく見える。

 客室の中は中央に椅子が背中合わせにもうけられており、背もたれの間には場を和ませるためなのか観賞植物を置いている。鉄道会社の気遣いなのだろうがシュールと思ってしまうティーベだった。


「車体は塩害とかに強いのかな」


 鋼鉄製の車体に塩害は強敵だ。

 北海道に導入されたキハ一三〇は海沿いで風の強い日高本線を走っていたため、もろに塩害を受けた。軽量化のために薄い鋼板を使っていたこともあり八八年に一両目が投入後、二〇〇一年までに投入された一一両全てが廃車となっている。

 他の海沿いの路線でも鋼鉄製は腐食が早いため、車両泣かせだ。

 リグニア国鉄でも塩害は深刻で製造されてからまだ若いにも関わらず廃車が出る理由に、塩害による腐食が大きな割合を占めている。


「ステンレスを使っているから大丈夫だね」


 それに対してステンレス自らが含有するクロムが錆びて薄く強い膜を作り深刻な錆を防ぐので腐食に強い。

 昭弥がオールステンレス車両を投入した理由の一つに塩害対策があった。


「じゃあ問題は無いと?」


「そういう訳でも無いけど」


 そうこうしているうちに、車両は目的地のリセレアに到着する。

 リセレアは周囲を崖に囲まれたリゾート地で崖にへばり付くように茶色い屋根と白い壁の建物が所狭しと建ち並んでいる。

 人工物が多いが建物の周りには木々が植えられており、緑豊かに見える。

 車輪が再び海の中から現れ陸に上がると車両はそのまま高さ八メートルのホームに滑り込んだ。




「本当に良い場所だね」


 リセレアにある宿に入った昭弥は部屋からの長めに満足した。

 木々の間から町の全景が見え、周囲の崖の先に蒼い海が見える。まるで一枚の絵のような景色に昭弥も感嘆する。


「確かに良い場所だね。開放的になるのも分かるよ」


 領地に多数の歓楽街を持ち観光業が盛んで北方の快楽王の異名を取るティーベも同意する。

 自分の領地とはまた違う魅力を持つリセレアを心から楽しんでいた。

 古の偉人達でさえ、その美しさと心地よさから生まれたままの姿で駆け回ったと伝えられるリゾート地。その言葉に偽りはない。


「でも帰りもあの海上鉄道だと思うとね」


 ウンザリした表情でティーベは語る。

 風が強まり、周囲の木々を揺らす。外海の波も白い波濤を見せ始めており、嵐の前兆を示している。

 その時、宿の従業員が部屋に入って来た。


「失礼します。リセレア・オーラ鉄道ですが、嵐接近のため運転休止を決定したことをお知らせします」


「まあ、嵐の中を運転するのは無茶だしね」


 庭の木々が大きく揺れて風が強まっている。その様子を見た昭弥は同意した。


「けど、嵐に弱い鉄道で良いのか?」


 このところ浮かれてばかりの昭弥の意見にティーベが疑問を示す。

 鉄道の長所は嵐に強いことだ。

 強すぎれば運転休止はあり得るが、船ほど弱くはない。海岸部はともかく障害物が多く風の影響を少なくすることが出来る内陸部にあり、同じ嵐の中でも海の船より陸上の鉄道の方が安定している。

 運用コストが船より鉄道の方が多少高いのに沿岸部で鉄道が発展した理由の一つに天候に左右されない運行が可能な事がある。


「沿岸部を通るんだから仕方ないね」


「波をもろに被るしね」


 だがリセレア・オーラ鉄道は海岸ではなく海上を進む。波の影響をもろに受けやすい。

 構造上致し方ないとはいえ、嵐で運転中止になるのは鉄道としてダメではないか、とティーベは思う。


「だが仕方ない。このままノンビリとしましょう」


「バスで帰るという選択肢は無いんだね」


 ここから鉄道までの連絡バスはあるが、谷間をつづら折りに登っていく道のため非常に揺れが激しい。

 何より昭弥はもう一度海上鉄道に乗りたいのだろう。

 先日の私鉄や大蔵省との折衝でストレスが溜まっていることもあるだろう。

 その意味で纏まった休みを取ってくれるのはティーベとしては嬉しい。


「さて、ゆっくり休むか」


 翌日、嵐が収まりリセレア・オーラ鉄道は運転を再開した。

 まだ波は高く波飛沫が飛んでいるが、運転に問題は無いという判断だ。

 実際、海上鉄道とはいえ、歴とした鉄道でレールの上を走るから、揺れは非常に少ない。

 デッキで荒波を観察する余裕も生まれるというものだ。

 途中で架線が支柱に向かって稲妻を発生させない限り。

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