騒動決着
「昭弥!」
恐る恐る昭弥が神殿を訪れると、ゴム鞠のような物体が二つ、昭弥の顔に張り付いた。
弾力がある物体に昭弥の顔全体が圧迫される。
それがエリッサの胸である事に気が付くまでには数秒の時間が必要だった。
「え、エリッサ様」
「君のお陰でこんなに神殿は繁栄しているよ。本当にありがとう。こんなに繁栄したことは未だかつて無いよ」
「ちょ、ちょっと」
「エリッサちゃん、やり過ぎると神様としての威厳が台無しよ」
「う、うん。わかったよ」
リーネの一言でエリッサはようやく昭弥を解放した。
「でも見てくれよ。こんなにも多くの信者が来てくれたよ」
エリッサは両手を広げてその場でクルリと回る。
「エリッサ様可愛い」
「エリッサ様愛らしい」
「エリッサ様私にも笑顔を」
別の意味の信者が大量に混じっているように昭弥は感じたが、それでも聖地を訪れる巡礼者は歓迎だ。特に地元にお金を落としてくれるのなら良い。
それにエリッサの顔も満更ではない。
長い間、少人数での生活が続いたため、大勢が押し寄せてきたことに感動して嬉しいのだろう。その意味では良かったのだが、信者でないのが申し訳ない、と昭弥は思った。
「それで昭弥」
「何でしょう?」
視線をチラチラと動かしながら、エリッサが昭弥に話しかけて来た。心なしか落ち着きが無く、身体を小刻みに動かしている。
そして恥ずかしそうに昭弥に言った。
「神殿を復活させてくれたお礼を君にしたいんだ」
「ご迷惑を掛けたお詫びと埋め合わせですよ。気にしないで下さい。それにウチの会社も収入面で恩恵を受けていますし」
「予想以上に繁栄してしまってね。何かお礼をしなければならないくらいなんだよ。だから何かお礼をさせて欲しい」
「お礼と言われも」
怒られる事も覚悟していただけに、エリッサの申し出に昭弥は安堵したが、同時に困ってしまった。
敷地内に鉄道を通すことと、駅や商業施設の設置許可だけで十分だった。
これ以上の要求など強欲過ぎるのではないか、と思ってしまう。
「それで……もしも良かったらなんだけど……」
頬を紅くして俯きながら、エリッサは両手を下の方で絡ませ、身体を小刻みに動かしている。
腕の間に挟まれた胸が揺れて扇情的なため、昭弥は直ぐに目を逸らした。
「僕の信者にならない? 君は恩人だから手厚くもてなすよ」
「信者?」
昭弥は嫌そうに言う。
かつてマニア神の信者に誘拐、監禁、傷害を負わされたことがあり、それ以来昭弥は宗教関連とは距離を置いている。
「信者は結構です」
「うん、君が大変な事になっているのは知っているよ。神の世界でも話題になっている」
「そんなにですか」
「そうだよ。英雄として祭り上げようという話だし、誰が後見人になるかで話題になるほどだ」
「迷惑です」
昭弥は明確に言い切った。
「そういう勧誘が多いから断っているんです」
実際紙から信者にならないか、と誘われる勧誘は多かった。
現世に降臨できないため、昭弥の夢の中に現れて信者になる様にしつこく勧誘してくる。中でもマニアとか、マニアとか、マニアとかいう神が断り続けているにも関わらず、ほぼ毎晩現れるので昭弥は寝不足気味だ。
そろそろユリアに滅神を依頼しても良いかと検討しているくらいだ。
「誰かの信者になれば他の神からの勧誘は無くなるよ」
「是非信者にして下さい」
いい加減、マニアという神の勧誘に昭弥はウンザリしており渡りに船とばかりにエリッサの信者になる事を選択した。
こんなにも感謝してくれる神が誘ってくれるのだから、酷い扱いは受けないという打算も昭弥にはあった。
「そうか。なってくれるのか。それで話があるんだけど、良ければ僕と結婚……」
エリッサが昭弥に言おうとした瞬間、二人はそれぞれ引きはがされた。
「エリッサちゃんに粉をかけるなと言ったはずよね」
額を密着させて昭弥に話しかけてきたのはエリッサの幼馴染みであり、最高司祭であるエルフのリーネだった。
「高々二十数年生きただけの人間風情がエリッサちゃんから愛情を受けるなど身分不相応よ。分を弁えなさい」
「え、いや」
「たとえ元人間で愛くるし姿のまま永遠に生きて来たとしても、それを愛でて良いのは最も親しい友人であり最高司祭である私だけなの。エリッサちゃんの神殿を奪っておいて近づくなど言語道断よ。人間の分際で劣情を持って近づいて穢すな」
(劣情を持っているのはそっちじゃないか)
昭弥は心の中で毒づいたが、狂気に満ちた双眸でリーネが睨み付けて気圧され、言葉には出来なかった。
「え、エリッサ様の事を大切に思っていらっしゃるんですね」
「勿論よ」
昭弥の言葉にリーネは陶酔とした表情を浮かべて遠い過去を思い出しながら語る。
「初めて会ったときから愛くるしい少女だったわ。愛くるしい笑顔、可憐な肢体、何よりも純粋な心。ずっと一緒にいたいと思ったものだわ。でも命短き人間でそのような姿が保たれるのはほんの数年だけ。何とかならないかとエルフでありながら神に祈ったわ。そうしたら魔族の侵攻があって私たちは危機に瀕した。皆を助けたいという思いからエリッサちゃんは必死に神に祈ったわ。恐怖に押しつぶされそうになりながら必死に皆を救いたいという純粋な気持ちから祈り続けたわ。そして神は答えてエリッサちゃんを陞神させた……」
マシンガンのように出てくる言葉を一度切ってから、エリッサは叫んだ。
「神様、良い仕事よ!」
拳を握りしめて突き上げて賞賛した。
「可憐なエリッサちゃんを神にするなんて本当に良いアイディアだわ。人間の時も可愛かったけど神になってより可憐さが増したわ。後光が差して、神々しさを加えるなんて素晴らしいわ。何より、一番可憐な姿を永遠に生き生きとしたまま残せるなんて、なんて素晴らしいの」
「えーと」
テンションが上がっていくリーネに昭弥は声も掛けられず、黙って見ていた。
「そして私はエルフ。悠久の時を過ごすことの出来る種族。いずれは生に飽きて大樹の苗床になるのだけど、五百年エリッサちゃんを見ていて飽きないわ。永遠にエリッサちゃんを見ている為に私は生まれてきたのよ」
「それも何か違うような」
昭弥は突っ込むが、陶酔としているリーネには言葉が通じない。
「だから、エリッサちゃんと結婚しようだなんて考えないことね。何より一番の信者は私なの。誰にも奪わせないわ」
「いや、私は既に結婚していますし」
「最高司祭の地位も渡さないわ」
「最高司祭の乗っ取りなんて考えていませんよ」
「何よりエリッサちゃんの一番近くに居て良いのは私だけだから」
「結局それが目的でしょう」
「いいわね」
「あ、はい」
リーネの迫力に負けた昭弥は反射的に答えてしまった。
ようやく満足した答えが引き出せたのか、リーネは昭弥から離れていった。
色々と問題がありそうな最高司祭だが、エリッサを大切にしているのは本当だろう。
とりあえず二人に接近しない事にして、昭弥はエリッサからも距離をおいた。
「えーと、ユリアは」
何処にいるのだろうと昭弥は探したところ、エリッサと睨み合っていた。
「私の昭弥を拐かすなチビ神」
「大切な恩人に祝福を与えるのは神の役目だ」
目に力を込めてドスの効いた言葉を浴びせるユリアだがエリッサも引かない。
「邪神認定して滅神するぞ」
「何を持って邪神と言うんだい?」
「昭弥を拐かしているところよ」
「拐かすのがいけないことなのかい?」
「人の夫に手を出すな」
「ふん、恋愛は自由だろう。僕は神だ。人間の法やルールなど知ったことではないね」
「世の中に災厄をもたらす神も邪神よ」
「おや、何が災厄なんだい? 僕は洪水をもたらしたことも無ければ、生け贄を求めたことも無いよ。なのに邪神とするのかい」
「人の夫に手を出そうとしたからよ」
「言ったろう、恋愛は自由だ。夫の心が離れないように妻ががっしりと自分の魅力で繋いでおけば夫が離れていくことはない。それとも君は魅力不足なのかい?」
顎を上げ、目を細めてエリッサは嘲笑する。ユリアより小さいため、イマイチ様にならないが。
「何を言うのよこのチビ神」
言われたユリアは身長の差を生かしてエリッサの上から睨み付ける。
一方のエリッサも、上から威圧されながらも背筋を伸ばして睨み返す。
両者は視線を逸らさない。目を逸らしたら、後退したら負けだとばかりに顔を至近距離まで近づける。
だが次の瞬間、ユリアは、一瞬身体を後ろへ逸らした。
逸らしてから不利になっていると気が付き、負けて為るものかと再び前に出て行く。だが、ユリアは再び身を退いた上に一歩下がる。
それを見たエリッサは一歩前に出てユリアを押していく。
負けるものかとユリアは再び前に出て行くが、また下がっていく。
その後もユリアが一歩進んで二歩下がる状態が暫し続いた。
「あのユリアが負けている。エリッサってそんなに凄い神なのか」
「違うわ」
昭弥の驚きをユリアに随行してきたエリザベスが否定した。
「全体を見てみて」
「全体?」
昭弥は二人の顔ではなく、身体全体を見た。そして気が付いた。
ユリアが前に出る度に、エリッサの鋭く突き出た胸部が背筋を反ったことにより更に突き出て、前に出てきたユリアのささやかな平原に突き刺さっていた。
その瞬間に、自分が胸で負けている事に気が付いたユリアは後退。
下がって接触から解放されてからユリアは怯んだと思われたくなくて前に出る。だが再び双丘が接触して下がることを繰り返していた。
「相性が悪いわね。エリッサの身体の一部がユリアのコンプレックスを刺激しているわ」
「ええい!」
下がることに苛立ちを覚えたユリアは、顔が歪んだまま、破れかぶれに腰の宝剣を抜いて叫ぶ。
「こうなったら剣で決着を付けてやる!」
「自ら負け戦に飛び込むなんて愚か者だね! 受けて立つよ!」
対するエリッサは勝ち誇った顔で迎え撃った。
数分後、二人の勝負は決した。
二人とも前回の勝負で自重したためか、周辺への被害は少なかった。
邪神との戦闘を幾度も行っていて戦い慣れているユリアが剣を握って立ち、一方のエリッサは大地の上に仰向けになって大の字に倒れていた。
だが両者の顔は対照的だった。
打ち負かされて伸びているエリッサの顔は勝ち誇り、天に向かってそびえる双峰がVサインのようだ。
勝ったはずのユリアは悔しさの余り血涙を流していた。
試合に勝って、勝負に負けた、そんな対戦だった。
「なんというか、大変だな」
昭弥は呆然と眺めているしかなかった。
「ところでリーネさん。助太刀しなくて宜しかったのですか?」
昭弥は脇に居たリーネに尋ねた。
「エリッサちゃんの勝ち戦に水を差す気はありません。それに倒れたエリッサちゃんを介抱するチャンスを逃したくはありません」
「……さようですか」
思わぬ返答に昭弥は唖然としたが、リーネは気にすること無く、倒れたエリッサに駆け寄り、抱きしめて介抱する。
一応、汚れを洗ったり、怪我を治しているが、その手つきはどう見てもエリッサを撫で回して身体を堪能する手つきだ。
リーネの有言実行に昭弥は流石に引いたが、相談すべき事があるのを思い出し、リーネの介抱で覚醒したエリッサに尋ねた。
「あの、エリッサ様。お願いしたいことがあるんですが」
「なんだい? 何でもするよ」
昭弥に声を掛けられたエリッサは意識を取り戻すと好意的な言葉を返した。
「えー、私たちがここに来たのは大アルプス山脈を通るトンネルを掘り、鉄道を通すためです」
「そういえばそんな事を言っていたね」
「はい。そこで神殿の敷地内に鉄道を通させて貰いたいのです」
「それは構わないよ」
「あと、もう一つ。言いにくいことなんですが」
「なんだい?」
「お金を、参拝客の浄財を貸してくれませんか?」
「? どうしてだい? 鉄道会社は儲かっているんだろう?」
「そうなんですけど、今回のことで神殿周辺の再開発のために資金を投入してしまったので、工事費用が少し足りないのです」
帝国銀行から借りるという手段もあるが既にかなりの額を借りている。
利子の支払いなども考えるとこれ以上の借り入れは黒字倒産の危険もある。
神殿から無利子か低利子で借りられるなら借りたい。
「なので貸して頂けませんか?」
「いいよ」
「やはり無理ですか……って良いんですか!」
「神殿に再び活気が戻ったのは君のお陰だからね。何よりチェニスの人々や信者が集まれるようにしてくれたんだから、寧ろこの程度済ませてしまって申し訳ないくらいだよ。それに参拝客の皆は君の鉄道で来ているんだ。君が鉄道を発展させるために使うのなら皆喜ぶよ」
「あ、ありがとうございます」
「良かったわね」
その様子を見ていたユリアが昭弥にぶっきらぼうに声を掛けた。
「う、うん。これで何とか建設出来る」
しかしユリアの声も表情も不満が滲み出ていた。
昭弥は何が不満なのか判らず、戸惑う。
「昭弥、ユリアに構ってあげなさい」
見かねたエリザベスが声を掛ける。
「エリッサに乗り換えるようなことはしないよ」
確かに僕ッ子でロリで巨乳なエリッサは非常に魅力的だ。
しかし、昭弥はユリアと結婚しているし、深く愛し合っている。乗り換えるつもりなどない。ユリアは昭弥がエリッサに心変わりしたのでは無いかと疑っていると昭弥は考えた。
だが、昭弥の返答にエリザベスは溜息を吐く。
「昭弥を守るの為に襲いかかって来たエリッサに対して剣を抜いて成敗しようとしました。なのに、昭弥の方が謝罪してしまっては、ユリアの方が悪人です。しかも勝手に仲直りして仲良くなってしまったらそりゃ不満ですよ」
「う」
元はと言えばヨブ・ロビンが強引に神殿の土地を手に入れたことに発する。
それでエリッサが怒りだしたのは当然であるし、迎え撃ったユリアは過剰防衛でもすべき事をした。
しかし、守るために間に入ったユリアの頭越しに昭弥が謝罪して、エリッサと和解し、しかも協力関係になったのではユリアの立つ瀬が無い。
「あ、あのユリアさん」
「何でしょう昭弥さん」
よそよそしい声色でユリアは返事をする。何よりも恐ろしい事に目が笑っていない
「あの……ユリア」
「何?」
「その……今回はありがとうございます」
「結構です。間に入った私が余計な事をしたみたいですし」
「いや、ユリアがいなければ死んでいた」
実際、エリッサの巨大なエネルギー体を食らったら昭弥はこの世から消滅していた。
「その、お礼を言うのが遅くなってしまったけど。本当にありがとう。助かった」
「いいえ、エリッサ様と話した方が宜しいようですし」
「いや、そんな事はないよ。本当にありがとう。助かった」
昭弥は何を言えば良いのか分からず戸惑っていた。
困った顔をしている昭弥を見てユリアは溜息を吐く。
「あー、わかっているわよ。昭弥はそういう所が不器用だし、気の利いた台詞も言えないことはよく分かっているわ。鉄道の方が大事なんでしょうし」
「うっ」
「分かっているわよ」
それだけ言うとユリアは昭弥の元にやって来てその胸の中に飛び込んだ。
「鉄道の仕事が大事だというのはわかっています。キチンと仕事をして下さいね。でも今だけは……」
「う、うん」
昭弥は照れながらもユリアの背中に手を回し、優しく抱きしめた。
こうして昭弥は敷設予定地と資金を手に入れてトンネル工事に邁進することになる。




