田園都市
Garden city――田園都市と邦訳されるこの言葉は一八九八年にイギリスの社会改良家エベネザー・ハワードが提唱した新しい都市形態である。
当時産業革命が進行していたイギリスでは大規模な雇用が行われていた都市部に人口が集中し、人々は自然から隔離され、遠距離通勤や高い家賃、失業、環境悪化に苦しんでいた。
これを憂いたハワードは<都市部と農村の結婚>により、都市の社会・経済的利点と農村の優れた生活環境を結合した、新たな生活を生み出そうとした。
ハワードの提案は実を結び、彼が作った都市、レッチワースとウェリン・ガーデン・シティは一定の成功を収め世界各地の建築家や都市計画家に影響を与えた。
ワイマール時代に作られたドイツの集合住宅ジードルング。アメリカのニューヨークにあるフォレスト・ヒルズ・ガーデン。
ハワードの思想は世界中に影響を与えた。
日本も例外では無く、一九〇七年に内務省地方局の有志により、ハワードの理念が紹介された。
だが、当時の日本において多くの外国語と同じように、曲解されたり誤訳されたり、意図的な翻訳、誤用が為されていた。
そもそも田園都市の田園などイギリスにはない。二一世紀の和食ブームで山葵田が作られているが、ハワードの時代にはない。
日本での紹介の仕方は、日本の郊外に残る農村風景を加味した都市の形成を志向しており、ハワードの理念と異なっている。
さらにハワードが賃貸を主とし、自給自足の町としているのに対して、日本やイギリス以外の都市では宅地分譲を主とし、ベッドタウンとして開発されることが多いなど差異が多い。
日本の場合、ハワードの理念は輸入された直後に日本の事情に合わせて修正された上、独自に発展させ、現実化させたと言って良いだろう。
その結果が小林一三の池田駅近郊の室町、桜井駅周辺、東京では渋沢栄一達の洗足田園都市、そして戦後は東急の多摩田園都市に応用されていく。
昭弥も鉄オタとしてハワードの事は知っている。
しかし、日本で肌身で感じてきた日本型田園都市を昭弥はあえて採用することにした。
よく知らない理論より、実現している都市を優先した結果だ。
必要なのは人口流入によって麻痺が近づいている帝国の都市群を救うための計画であり、鉄道だ。
ハワードの理念が良いと思うが、今は早急に人口増加対策、特に劣悪な住環境を改善することが必要だ。
だからこそ昭弥は田園都市の文字を新会社の名前に入れた。
都市部の人口を緩和し、郊外に住宅街を作る会社。
郊外と都市部を鉄道を用いて結びつける会社。
昭弥の理想を叶え、都市部の人々を助ける鉄道会社を作るため、昭弥はアルカディアに向かった。
久方ぶり昭弥はに帝都アルカディアに降り立った。そして、かつて主として君臨した建物、鉄道省本庁舎に入った。受付で今の鉄道省の主、昭弥を大臣辞任に追い込んだ張本人であるヨブ・ロビン鉄道大臣との面会を求めた。
丁度、ヨブ・ロビンは大臣室にいたため昭弥は直ぐに通された。
「昭弥卿、前大臣とはいえ急なご来訪は止して頂きたい」
「勿論忙しいのは知っています。私も大臣職は勤め上げていましたから。忙しすぎて大臣室の椅子を温める暇もありません。今日は予定を伺うだけにして後日改めてと思っておりましたが、庁舎に居られると聞いて驚いています」
「偶々予定が空いていただけです!」
ヨブ・ロビンは慌てた声で答えた。
勿論昭弥はヨブ・ロビンが今日この時間にいることをセバスチャンの調査から知っていた。会談するために、この時間をはじめから昭弥は狙ってきていた。
偶々来たように言ったのはヨブ・ロビンを動揺させるためだ。
「それでご用件は何でしょうか。私も忙しい身なので」
「チェニスに新たな鉄道会社を作ろうと考えている。田園都市、郊外に住宅街を作り、鉄道で都市部と結ぶことで住宅問題を解決するというプランだ。その鉄道の建設認可を鉄道省へ求めに来た。これが企画書だ」
「拝見します」
昭弥が出した企画書をヨブ・ロビンは乱雑に捲って答えた。
「許可できません」
「何故? 国鉄の標準軌規格に従って鉄道を建設する。何も問題は無いはずだが」
「チェニスとアムハラを結ぶ路線は既に国鉄が敷設しています。重複する路線の建設は認められません」
各鉄道会社が安定した経営を行えるように、重複する路線の開業は可能な限り避けることは、昭弥が大臣在任時からの鉄道省の方針だ。
競合して安値争いをして経営を損ね、安全を蔑ろにさせないための処置だ。
その代わり、利用客が割高な運賃で被害を被らないように、運賃は鉄道省の許可制にしてバランスを取っている。
そのため鉄道敷設の認可は鉄道省の絶対的な権限だ。
だが昭弥は引き下がらず、重複路線では無い事を主張する。
「申請書に書いた通り、都市部と郊外を結ぶ路線であり、競合は少ない。沿線人口を増やすことで利用客を増やしていく」
昭弥の計画では確かにチェニスとアクスムの首都アムハラを結ぶ路線は国鉄と競合する。だが、新会社の線路は離れた場所にあり、しかも駅を多く設けており、沿線利用者の獲得を目的としている。
都市間を結ぶ国鉄とは目的が違い、競合することは少ない。
「なにより沿線が開発されるのは国鉄にとっても良い事だろう。国鉄の駅とも接続するから、国鉄の利用者も増えるぞ」
沿線の利用者が帝国全土へ向かうとき国鉄を利用する。国鉄にとっては補完輸送となるため、利用者増大、収入増加をが見込まれる素晴らしい提案だ。
だが、ヨブ・ロビンは拒絶した。
「あなたの鉄道論、都市交通論ですか。自らの理論を実証するためにわざわざ敷設するのですか」
「確かに理論の実証だが、今の課題である都市部の人口集中を解消するためだ」
「都市部が不便なら、いずれ人口は別の場所へ流れて行きます」
「いや、都市交通を改善し、郊外を開発しなければならない。今までにない巨大都市が出来つつあり、既存の交通手段では能力が足りない。鉄道を使って解決すべきだ」
「だめです。鉄道大臣として、路線が競合するような敷設は認可できません」
既に鉄道省・国鉄から去った昭弥だが、また何かを起こそうとしている。下手に動き回られる前に潰す、新会社の設立など断じて認めないとヨブ・ロビンは決心していた。
鉄道会社の許認可権は大臣の権限であり、大臣が認めなければ許認可は下りない。
大臣の権限を乱用してでも昭弥の新会社を認めない。そのためにヨブ・ロビンは手段を厭わなかった。
「そうか、わかった」
昭弥はあっさりとヨブ・ロビンの言葉を受け容れた。
こうなることは昭弥も予想していた。だから対策も考えてある。
だから、口が歪むほど凶悪な笑みを浮かべて余裕を持っていられた。
「お分かりになりましたか」
「ああ、自分で作る」
「……お話しを聞いていましたか?」
認知症患者に言い聞かせるようにヨブ・ロビンは昭弥に言う。
「私は許可を出しておりません。帝国は憲法で鉄道に関する監督権を持っています。そしてその条項を元に鉄道省には許認可権があります」
「それは承知している。憲法制定に関わったのは私だ」
「ならば」
「同時に各領邦に対する主権の尊重も書かれている。チェニス公爵およびアクスム国王としての権限を以て自らの領内に鉄道を作る」
「認める訳にはいきません。それに帝国内の鉄道に対する監督権があります」
「領内の問題でなければ、領内の法が優先することも憲法で書かれている」
確かに昭弥はリグニア帝国憲法の内一章を鉄道関連にあてて制定したが、貴族の支持を得るために領邦の主権を認めさせている。
その領主としての権限で強引に鉄道を建設することが昭弥の計画だった。
大臣・総裁時代は領主達が勝手に作った鉄道に振り回されていたが、いまは自分が逆に利用する事にした。
しかしヨブ・ロビンもすんなりと認めようとはしなかった。
「し、しかしこの鉄道はチェニス公爵領とアクスム王国領を跨ぎます。領邦に跨がるならば帝国の管轄であり、帝国の法が優先されます」
「二つの領土の間の調定に関しても当事者同士の話し合いで解決するよう書かれている。もし問題があるとすれば管轄は鉄道省ではなく高等法院、司法の管轄だろう。鉄道省が口を挟む問題ではない」
領邦と領邦の間のことは帝国が取り持つことになっている。だが、どちらかの領邦からの嘆願が無ければ審査することは出来ない。双方の領邦の主権を脅かすことになるからだ。
勿論、監督権、監察権を帝国は持っているが、帝国法に反しない限り、領邦間の事業に口出しすることはないし、出来ない。
「しかし」
「以上だ。領主として勝手にやる事も出来たが、鉄道大臣の面子を立てるために立ち寄った。私の話は終わりだ。では」
「待ちなさい」
「……何の権限があって僕を止めるんだ? 大臣は領主を止める権限があるのかい」
「!」
昭弥は余裕の表情で蒼白となったヨブ・ロビンを見返して勝ち誇った。
法律を根拠に、ヨブ・ロビンは鉄道に対して絶大な権限を持っている。だが、法律以上の事をしては為らない。領邦に対する命令権が無い以上、帝国の大臣として国王、公爵が領邦内で行う事に口出しは出来ない。
よって、ヨブ・ロビンは昭弥に何も言えず黙るしかなかった。
当初の目的であるヨブ・ロビンへの宣戦布告を達成した昭弥は執務室を後にした。
「……こうしてはいられない」
昭弥が出て行った後、ヨブ・ロビンはその後の予定をキャンセルして宮殿へ向かった。




