創業地獄再び
元気よく昭弥の手伝いをはじめたティナ達だったが夜明け頃には後悔の念が混じっていた。
昭弥が大臣・総裁に在職していた時も目を回すように忙しかった。
だが、各部署に問い合わせや指示を行い、報告を纏めるだけだった。
今は自分たちで必要な資料を集める必要がある。時には昭弥の指示に従って纏めたり分析も行う。
夜が明けてからは更に要求が増える。
「ここの資料を見つけてきてくれ。ここもだ」
「この土地の権利関係がどうなっているか確認を頼む」
「沿線人口を算出してくれ」
「この計画での予算の概算を出してくれ」
資料は辞任時までの者しかなく、れ以降の資料はない。その資料を集めるために出張を命じられた。 今までならば、必要な資料は電話一本で郵送で届いたが、今では資料請求のためにティナ達が自ら向かわなければならない。
しかも昭弥は大臣・総裁を辞めているため立場上、一貴族として資料を求めるため、資料提供の速度が明らかに遅く、手続きが余計に多い。
それでも昭弥の求める資料を集めるために彼女たちは向かった。
しかし、仕事は何時まで続けても終わらない。
寧ろ資料が集まるにつれて、確認の為により多くの資料を求める必要が出てきて、時に現場に向かうよう昭弥が指示することもある。
それでも彼女たちは文句を言わない。
一番働いているのが昭弥だからだ。
睡眠どころか休みさえ取らず、ひたすら机に向かって紙にペンを走らせ、企画・計画を立てて分析、検討して行く。
彼女たちが持ち帰ってきた資料を読み込み、頭に叩き込んで、他の資料との整合性を確認する。
その姿は鬼神の如しだ。
「この資料、おかしいわ。見直してきて」
「この辺、変よ。直して」
「この資料は鉄道省にあるから、アルカディアにいる人に取ってこさせて」
彼女たちを忙しくさせている原因の一つがエリザベスだった。
昭弥の指示を受けて、その指示をより具体的なものに翻訳してティナ達に与える。
「ずるい」
そのエリザベスに、ティナは不満だった。
「何が?」
資料を確認していたエリザベスが視線を変えずに答えた。
「エリザベスさんの方が昭弥と一緒にいる時間が長い」
ティナ達に指示を出し、資料を確認している合間に、エリザベスは昭弥への食事を用意して提供している。それに昭弥の指示を受けるのはエリザベスが多い。
事実上エリザベスがティナ達の上司になったような形だ。
「代わって欲しい」
「良いわよ」
ティナの願いをエリザベスはあっさりと聞き入れた。
「本当に?」
「ええ。ここの部分がどうなっているのか昭弥に聞いてきて」
「うん」
嫉妬に満ちた仲間の視線を浴びつつ、喜び勇んでティナは昭弥の元に向かう。
だが数分後、ティナはやつれ果てた姿で戻って来た。
「どうしたのティナ」
「……わからない」
「え?」
「昭弥の指示が分からない。凄く細かくて、根掘り葉掘り聞いてきて、全然知らないし答えられない」
エリザベスに頼まれたことは確かにティナは昭弥から聞いてきた。
しかし、その数十倍の質問を昭弥はティナに浴びせてきた。
浴びせられる言葉の洪水にティナの頭はパンクしてしまった。
「しょうがないわね。私が行ってくるわ」
代わって向かったのは、獣人秘書の纏め役であるフィーネだった。昭弥が大臣・総裁のときも完璧に仕事をこなしてきたため、その能力には当人も自信を持っていた。
だが、数分でその自信は打ち砕かれた。
「解らない……」
狐耳を力なく垂らさいたフィーネは戻ってくるなり呟いた。
「採算ラインは判るわ。でも予想沿線人口って、人口あたりの乗車率って……そんな数字を出す必要があるの? 私どうしてわからないの。一緒に仕事をしていたのに」
「既にある事業を進めるのと創業では、仕事の質が違いますから」
フィーネの疑問に対して、エリザベスは資料に目を落としたまま答えた。
「一から全てを作り上げなければなりませんし、手元にある数値から推測するしかありません」
昭弥が転移して間もない頃、王国鉄道を創設するために昭弥の仕事を手伝ったのは他ならないエリザベスだった。
昭弥から放たれる難解な質問に頭を抱え、知っている人達を探し出すべく城内を駆けずり回ったものだ。
創業直前も職員教育に駆り出されたりと、大車輪の働きをした。
王国鉄道が開業して、事業が順調に流れるようになってからは本来の仕事であるユリアのメイドに戻ったが、苦労した当時の仕事の内容は覚えている。
そして国鉄の仕事との違いも理解している。
「調整は私が行いますから貴方たちは指示に従って仕事をして下さい。遅れるとそれだけ昭弥の負担も増大します」
「どうして?」
「資料が手元にないと不安になるんですよ。しかも不安を拭おうと自分で推測を行います。正確な情報が入ったとき、実行に移せるよう条件を変えたり値を変えたりして幾通りもの計画案を出して」
旅行中、不測の事態が起きたときに備えて代替案を作っておくのと同じだ。
だが昭弥の場合、情報がない分、想像出来る限りプランを幾つも用意している。
それが次に繋がることも多いが、無駄である事は事実だ。
「少しでも昭弥の負担が軽くなるように正確で素早い仕事を」
「ははは、大変だね」
話しかけて来たのはエリザベスの夫であるティーベことティベリウスだった。
北方の貴族だが、昭弥の事を気に入りルテティア王国鉄道へ入社。昭弥が大臣・総裁在任中は昭弥の右腕として活躍した。
昭弥が皇配となってからは侍従として昭弥の身の回りの世話をしている。
「妬いているの?」
「うん。僕の昭弥に付きっきりでいるからね」
ティーベはエリザベスと夫婦生活を営んでいるが、どこか昭弥に対して友情以上の感情を持っており事あるごとにちょっかいを出そうとする。
「なら少しでも仕事を手伝って頂戴。はい、この資料を集めてきて。それとこの資料は帝都の知事でないと得られないから貴方の伝手で手に入れてきて」
「って僕も手伝うの?」
「顔が広いんでしょう?」
ティーベは貴族であり、帝国の北方に領地を持っている。北にあるため産業は少なく、領地であるティベリウス伯爵領はカジノや温泉リゾートを行って領地から収入を得ていた。
そのためティーベの領地はリゾートが花開き<北の快楽王>の異名が付いている。
その名に違わず社交的で対人関係に強く、帝国中枢に太いパイプを幾つも持っている。
「昭弥の為よ。さっさと行って」
「う、うん」
鬼気迫る表情のエリザベスに言われてはティーベも黙って向かうしかなかった。
「さあ、仕事の途中よ。早く進めて」
その後もエリザベスの指示は容赦なかった。
次から次へと指示を下し、資料を纏め、昭弥に提出し、持ち帰った質問と指示を具体的なものに直して改めて指示する。
その度ティナやフィーネは計算したり各地に出張したり、大車輪で働いた。
その光景は終わる事無く、石を積み上げ続ける地獄に似ていた。
「出来た……」
三日三晩、休み無く仕事が続いた後、昭弥は呟いた。
手元にあるのは昭弥が今度作り上げる鉄道会社の企画書だ。
事典並みに分厚い企画書を片手で掴み、握りしめている。
「終わったのね」
「うん、ひとまず完成だ。あとは、これを元に出資を募る」
「全部自分でやるんじゃないの?」
「いざとなればね。でも、鉄道会社の利益は皆に配りたいし、会社を作りたいと思っている人達にノウハウを渡したい」
昭弥はアクスム国王であり金持ちだ。チェニスの領地からも莫大な収入があり、その気になれば新しい鉄道会社の資金など直ぐに用意できるだろう。
だが、昭弥はあえて出資者を募った。
出資を受ける事で利益を配当でき人々に富が分配されて行く。それが必要だと昭弥は考えていた。
何より、この新しい鉄道事業を行おうとする人達の為のマニュアル、指針になるよう、事業の大イッpの資金集めが円滑に進むよう、あえて出資からはじめる事にしていた。
仕事の途中で昭弥の真意を聞いていたエリザベスは、その方針を理解していた。
「待って、会社名が仮のままよ。名前はどうするの?」
「あ、いけない」
昭弥は新会社(仮)と書かれた名称を見て、しまったという顔をした。
計画作りに忙しくて、肝心の会社名を考え忘れていた。
十数秒考えてから、ペンで書き上げた。
「これでよし。じゃあ行ってくるよ」
「気を付けて。セバスチャン。貴方も行きなさい」
「はい」
傍らで仮眠をとっていたセバスチャンが起き上がり、昭弥の後に付いていく。
裏社会からの情報を集めるために飛び回っていたのだから眠りこけていたのは仕方ない。
だが、昭弥が行くとなれば執事として立場上付いて行かざるを得ない。
二人が出ていったあと、エリザベスは周りを見て倉庫の惨状を俯瞰した。
床は辺り一面に紙が散らばり、ティナを始めとする獣人秘書達が疲労困憊で死屍累々となって倒れていた。
先日まで元気溌剌としていた獣人の秘書達は目元に黒い濃い隈を作り、耳と尻尾は力なく垂れ下がり、毛の輝きは失われ、肌の艶もなくなって干からびている。
ティーベもいつもの色男な顔では無く、頬が痩けて、髪も乱れている。そして、いつもなら歩き方さえ役者が掛かった動きと立ち居振る舞いをするのに、今は誰にも憚ることなく大の字になって床で寝ている。
その状況を見てエリザベスは感想を漏らした。
「思ったより酷くなかったわね」
『何処が!』
エリザベスの評価を耳にして、倒れていたティーベを含む全員が一斉に突っ込んだ。
「ほう」
全員のツッコミを受けてもエリザベスは怯まず、寧ろ返り討ちにするような態度で全員を見返した。
「この程度で根を上げて文句を言えるなんて良く出来るわね」
凄んだ後、魔王の様な笑みを浮かべたエリザベスに全員は戦慄した。失敗を悟ったときにはもう遅かった。
「本当の地獄というのがどんなものか教えてあげる」
ルテティア王国鉄道創設時の昭弥が行った準備と、それに付き合わされた苦労譚をエリザベスは語り出した。
一言一言に血が混じり命を削った痕のような労苦が染みついており、聞いているだけで当時の地獄が脳裏にこびり付くほどだ。当時の惨状がどんなものだったか、専属絵師に書かせた絵画を持ってきてまで説明し、体験した生き地獄そのままの思い出をエリザベスは語り尽くした。
話が終わった後、エリザベス以外の全員が話の毒に犯されて灰となって再び倒れた。
そしてエリザベスは告げる。
「さあ、一段落しましたし、少しは休めるでしょう。でも、その後も続きますよ。チェニス田園都市株式会社を設立するためにね」




