治外法権とアジール
アクスムとの戦いが終わった数日後、事後処理を終えた昭弥は北ルビコン本線の視察に向かった。
王都から北に向かう路線で、オスティアに向かう南ルビコン本線と区別することにしている。
路線に名称を付けたのは昭弥だ。今までは特に名前を付けること無く、何処方面への線路としか呼ばれていなかった。
だが、昭弥は日本式に呼ぶことにした。
開通したばかりで問題が無いかどうかを確かめるためだ。
また初めての北への路線であり雪害対策などが十分かどうか見る必要もあった。
また実験として、多くの単線の支線を作り、線路網の拡大を狙っている。
「問題は発生していないか?」
北に向かう列車の車内、一等の個室で昭弥はセバスチャンに尋ねた。
「報告は殆ど初期のトラブルや慣れていないことによる失敗ですね」
セバスチャンの言葉に昭弥は、しょうが無いと頷いた。
どんな事業であれ初期のトラブルは付きものだ。ディズニーランドでさえ開園当初は失敗続きだった。
「問題があるとすれば、農民の逃散ですね」
「逃散?」
「領地から逃げ出す農民が多くなっています」
生活が苦しくなり、土地を離れて逃げ出す農民は古今東西多い。
「これから豊かになるのに、人が居なくなるのは困るな」
農業生産力が低下すれば、運ぶ商品が少なくなり、問題だ。
「それだけじゃないんです。領地の政治が厳しくて逃れようとする人達が増えているんです」
「待て、人の移動は許されているハズじゃ?」
「それは帝国と王国と一部の領地だけです。多くの領地では農民が違う土地に行くことは禁止されています」
「農奴と言うわけか」
農奴制と言って一定の私有財産が認められているものの、居住地移動の自由は無く一生その土地に暮らして農作業を行う人達のことだ。
それまでは奴隷を働かせていたが、戦争が少なくなり、奴隷の供給源が少なくなったので、資産の少ない小作人を縛り付けるようにする農奴制が生まれた。
「そうなりますね」
「それがどうして今になって増えたんだ?」
「昔から多かったんですよ。特に北方は気候が厳しく、逃亡する農民が多かったのですが逃げるアテがないので諦めている人が多かったのです」
「逃げるアテが無い?」
「アジールがないので。南の方が気候も穏やかで、発展しており都市や町も多いのですが、北は少なく、逃げ込む先が無かったのです」
「アジール?」
「治外法権を認められた勢力のことです」
アジールとは<歴史的・社会的な概念で、「聖域」「自由領域」「避難所」「無縁所」などとも呼ばれる特殊なエリアのこと>(ウィキスペティアより)を指す
日本の歴史を見れば、寺社地、比叡山や高野山などの宗教勢力、堺や博多などの自治都市を思い浮かべれば解りやすい。
どの勢力も幕府や朝廷に直属しているため、周囲の大名や領主から独立しており、干渉を跳ね返していた。信長が比叡山を攻めたのも、比叡山が信長の支配下に入るのを拒絶したためという理由が大きい。
現代にもある駆け込み寺を想像して欲しい。
「普通は神殿が逃げ込む先になるのですが、何処も領主からの喜捨が収入の大半を占めているため、領主の農民が逃げてくるのを拒否するところが多いのです」
「ひどいな」
「ええ、ですが最近、新たなアジールが出来ました」
「鉄道か? どうして?」
「はい、鉄道保安法を作りましたよね。その中に鉄道上の犯罪は鉄道公安隊及び公安職に一任するとありますよね」
「ああ」
鉄道は幾つもの領地を越える路線を持つため、何処で犯罪が行われようとも、鉄道上であれば迅速に処罰できるように考えたのだ。
だが、これは領主の権利を脅かすものであり、反発が予想されていた。何とか反発をユリアの威圧で押さえつけたが、このような事態は想定していなかった。
「さらに、鉄道で産業が活発になった上、我々が大量に人員を雇用しているため、農奴の生活を離れても生きて行けることが知れ渡っており、より拍車を掛ける事態に陥っています」
「より良い生活を求めて動くのは普通だよ」
「しかし、農奴が離れると領地の農地が荒廃するので領主達にとっては死活問題です」
「十分、儲かる要素はあるんだけどね」
実際鉄道の通った領地の中には、繁栄している場所もある。
そのため、早急に鉄道を通すように要望してくる貴族もあり、対応に苦慮している。
しかし、保守的な貴族ほど変化を求めず、鉄道に否定的な人達が多い。
そうした領地では、衰退が加速していた。
「一応、王国直轄領を中心にモデルを見せているんだが」
王国の直轄領が各地にあり、そこを中心に農協を作って王都に作物を売り出したり、漁協で魚を作ったり、ギルドを集約化して商品を作り出すなど、成果を上げているところはある。
そうしたノウハウを各領地にも開示しているのだが、実行している領主は僅かだ。
「何とか変わって欲しいんだけど」
「収入も増えませんしね」
「それだけじゃない。人々が豊かにならないからさ」
その時、ドアを叩く音が聞こえた。
「どうぞ」
入って来たのは制服を着てポットを持った小さな少年だった。年は十才くらいか。いや、この背かは栄養状態が悪いため成長が遅く、十二才くらいかもしれない。
そういえばボーイ制度を始めたんだ。
列車や駅、社屋に十二才くらいの少年少女を雇って雑用を行う制度だ。そんなに小さい子供を雇うことに抵抗を感じたが、他の商家とかはもっと早い時期に雇い始め、ゆくゆくは商家の幹部に取り立てている。今のうちに有望な少年を受け入れておかないと後が、大変だと言われて始めたのだ。彼も雇われた一人だろう。
「お湯をお持ちしました」
「ありがとうございます」
セバスチャンが頼んでいたんだろう、給湯サービスを受けている。生水より安心なので、お湯を出すサービスを始めたが評判は上々のようだ。
「失礼します」
セバスチャンがポットを受け取るのを見ると部屋を出ようとしたが。
「一寸待ってくれ」
昭弥に呼び止められて止まった。
「はい、何でしょう」
身を縮めて昭弥を見た。
「何か失礼を?」
「いや、君のことが一寸知りたくて、名前と年は?」
「名前はジョージ・プルマン、今の年は一三ですが」
思ったより年かさだった。
「仕事を始めたのは?」
「半年前です」
「慣れたかい?」
「はい」
「辛くないかい?」
「いいえとんでもない」
その少年は慌てて否定した。
「これほど良い職場はありません。他は朝から晩まで働いても見習い期間中は食事と寝るところはあっても無給です。でも、ここは食事と寝る場所が付く上お給料まで貰えます。しかも列車に乗せてくれて遠くに連れて行ってくれますので家族にお土産を渡す事も出来ます。何より仕送りをして弟達を腹一杯喰わせることが出来ます。満足に食わせることが出来なくて死んだ弟もいます」
「……亡くなったのか」
「はい、凶作だった年の冬に。薬どころか満足に食わせる事も出来ませんでした」
「……」
「だから、ここは本当に良い職場です」
「そうか。何か希望とかないかな? できる限りの事はするが」
「……あの。握手して貰えますか」
「? 良いけど」
言われて昭弥は手を差し出した。
握られた手は嬉しさのあまり力がこもっていたが小さい手に似合った弱い力だった。
「ありがとうございます!」
ただの握手だったが少年は感激して感謝の言葉を述べると出ていった。
「どうしたんだろう。握手であんなに喜ぶなんて」
「嬉しかったんですよ。尊敬する人、恩人に握って貰って」
「僕が」
セバスチャンの言葉に昭弥は驚いた。
「社長ですから、それにボーイ制度を作ったのは社長ですよ。彼らにしてみれば働き口と仕送りのチャンスを作ってくれた恩人ですよ。そして目指すべき目標です」
「目標ね」
野球を習う少年が野球選手に憧れるようなものか。
少し照れくさくなって、顔を紅くしたとき、外から悲鳴が上がった。