紛糾する元老院
元老院はリグニア帝国の最高意思決定機関である。
都市国家時代から続いているため皇帝よりも歴史は古く、皇帝を承認する機関でもあり、権威が保たれていた。
だが、近年は少々機能不全に陥っている。
産業革命に伴い、階級が急激に変化したため企業家や資本家の影響力が強くなった。更に労働者達の団結も強まり、彼等の保護を訴える議員が多くなった。
度重なる戦争とクーデターで、古くからの元老院議員や貴族階級が相次いで亡くなったこともあり、議員の顔ぶれは大幅に変わった。
若返ったと言えるが、若年による経験不足と力量不足が目に見えるようになった。
小泉チルドレンや小沢チルドレン、魔の二回生議員などが大量に入っているのと同じ状況だ。
「少しでも国益を考えてくれると良いんだけど」
昭弥がぼやいたのも無理はない。
そうした新人議員の中には、選挙区への鉄道を新たに敷設すると公約して当選した議員もいて、延伸するように陳情してくる。
これはまだ可愛い方で、中には私財を投入して地元に鉄道を建設した議員もいる。
古来よりリグニアでは地元の資産家は自らの私財を投じて公共施設を作り、寄付することが伝統だった。それが一種の選挙活動となり、議員になる初めの一歩だった。
賄賂政治に見えるが、作られた施設の出来具合で当人の力量を判断する材料となるため、重要な選挙活動ともいえる。
だが、鉄道の場合は裏目に出ていた。
国鉄と結ぼうとしても、そこは素人の悲しさ。計画が杜撰だったり、基準が適合していない箇所があったりして経営難になる事が多かった。
勝手に作って経営に行き詰まり、国鉄が買収して直してくれと泣きつくところもある。
道路、自動車との競争に負けて赤字となり、国鉄に買収も求めてくる会社もある。
地元活性化のために車両工場を作ったが、技術が低いばかりに出来の悪い車両しか出荷できない工場を助けてくれと頼まれる事もある。
しかも彼等は鉄道を新しい道路と勘違いしているようだ。維持費という概念がなく、保線費用や運転費用に頭が回っていない。建設して自分の役割は終わったと国鉄に丸投げした者もおり、国鉄は字路線の維持に苦しんでいる。
こういった事を体験してきた昭弥には今回の元老院が明るいものとは思えなかった。
最近のラザフォードも積極的に間に立とうとはしておらず、元老院の混乱が予想された。
そのため、大臣席に座った昭弥の表情は晴れなかった。
「では、最初の議題を取り扱いたいと思います」
議長の開会宣言に続いて最初の議題が取り上げられた。
「昨今労働者の暴動が相次いでおります。これを抑制するために治安維持法と禁酒法を制定したいと思います」
資本家と企業家の息の掛かった議員が提案した。
暴動を起こして機械を破壊することは勿論、デモやストライキを行う労働者を取りしまる法案を出してきている。
最近は労働団体の活動が活発で、ストライキや暴動による工場の破壊も行われていて、資本家は損害に頭を悩ましていた。
「共産主義は黒死病の如く帝国に広がりつつあります。何より私有財産の否定は狂気としか言い様がありません。断固として取り締まるべきです」
きつい口調で言うが、無理も無かった。
企業家の工場もだが、農場の農地も生産手段であり資本だ。
帝国は昔から農場経営を行うのが最上とされており、貴族階級や中間層以上は農場を持つことが夢だ。それを否定する共産主義への反発は大きい。
言論統制になりかねない法案だが、治安維持法賛成者が多いのは仕方ない。
「禁酒法はやり過ぎでは?」
思わず昭弥が質問する。
昭弥は酒好きではないのだが、個人の楽しみを奪うのは危険だと考えてのことだ。
好きな物を取り上げられたら人は怒り狂い、ストレスを溜め込む。
母親から入試の為に鉄道趣味禁止を言い渡された事のある昭弥には、対象物の違いはあれ反対すべき法案だと思っている。
しかし、提案した議員はそのように思っていない。
「酔っ払って暴動を起こすことを抑制するのが目的です。これは崇高な目的の為に行われる方法です」
禁酒法に対する意見もこんな趣旨だ。酔っ払わないように酒を取り上げてしまえという意味だ。
勿論これは建前で、労働者が酒を買うための出費を抑えれば賃金を安く出来ると考えてのことだ。
結局の所、資本家は自分に利益が出ることが第一なのだ。
「待ってください。酒を禁止すればあまりにも影響が大きすぎます」
それでも昭弥は意見を述べる。
「泥酔して保護される人が少なくなる」
「ですが酒税も入らなくなりますよ」
帝国では醸造所の設立を許可制にして保護している。代わりに酒税を取って財源にしていた。
日本も同じで明治時代から酒税を取り軍事費に充てていた。酒税で連合艦隊は浮かんでいると言った税務署長がいたとかいなかったとか、そんな話も伝わっている。
当然リグニアでも軍事費などの財源に充てられていた。
「酒税が無くなった分の財源をあなたは出してくれますか?」
昭弥が尋ねると議員は黙って引き下がった。
このように私利私欲がむき出しになっているのが元老院だった。
ただ、反対派の議員も似たようなものだった。
「工場法を制定し労働者の八時間労働とそれ以上の労働に残業代を渡すよう求めます」
帝国元老院議員に何故か当選してしまったポーラ・ワトソンが議員提案を行った。
何故か当選というのは少々、感情的な言葉に成ってしまったそれだけ労働者の保護を訴える彼女の支持者、困窮した労働者が多いことを示していた。
「八時間しか働かないのでは工場の経営に支障が出る」
「最早奴隷制度は無くなりました。これ以上、労働者を奴隷以下の劣悪な環境に置くのは悪徳です」
「奴隷以下というのは中傷ではないか」
「では証人を召還します」
ポーラが連れてきたのは一人の少女だった。
「貴方の名前を」
ポーラは少女に尋ねた。
「ヴィヴィアン、ヴィヴィアンです。姓はありません」
「貴方は今どこで働いていますか」
「アルカディア近くの繊維工場です」
「活況の時期に朝の何時に工場に行きましたか」
「活況の時期は六週間程です。その時は朝の三時に工場へ行き、仕事を終えるのは夜の一〇時頃です」
「十九時間の労働の間に休息、休養の為の休憩時間はどれだけ与えられましたか」
「朝食に一五分、昼食に三〇分、そして飲料を採る時間に一五分です」
「もしも僅かに遅刻したとして、何をされるのですか?」
「クオーターされます」
「クオーターとは何ですか?」
「賃金を四分の一減らされます」
「どのくらい遅れたらクオーターされますか?」
「五分です」
「ありがとうございます」
少女に質問を終えるとポーラは議員達に向き直って訴えた。
「これほどの酷い労働環境は奴隷制でも見られたでしょうか」
奴隷なら自分の財産であるから大切に扱う。しかし労働者とは契約関係であり、給与の対価として労働力を提供する存在、商品として企業家は扱っている。
機械を動かせば誰でも代わりに出来、代替が可能となったためにより悪化している。
「だ、だが、彼女たちは契約に基づいて働いている」
「このような過酷な労働を強いるのは契約とは言えません!」
「そもそも、そんな過酷な労働環境ならば仕事を辞めればよいではないか」
一人の議員が傲然と言うと、ヴィヴィアンは突然泣き出した。
突然泣き始めた事に全ての議員が戸惑い議論が止まった。
「……どうしたのですか?」
ポーラが駆け寄り尋ねる。
「私は……元々奴隷で……何の技能も……ありません。奴隷……解放……されても働き口が……無くて。他に稼げる所が……無いのです……」
嗚咽混じりにヴィヴィアンは答える。
「辛いです……でも生きて行くために……他に仕事が……無いんです。だから……働かなくては……一日暮らすためのお金を……手に入れるために……一日の……半分以上を……費やしても」
「一日をただ資本家のために製品を作ることに費やさせるのが実態です。このような制度は奴隷制度、いやそれ以下です」
「ならば奴隷制度を復活させるか」
情勢不利になった反対派の議員が破れかぶれにヤジを飛ばす。
「それは時代の後退です」
負けじとポーラも声を出して言い返す。
その後は当同社と資本家の代表議員が互いの立場で発言、より正確には非難合戦を行ったために元老院は混乱、波乱のうちに閉会した。




