共産主義
「凄い演説だね」
昭弥はウラジミールの演説を直に聴いて感想を呟いた。
勿論、労働者に変装して広場の端で偵察している。
だが、昭弥の普段の格好もかなりラフなので、労働者のように自分の服につぎはぎを付けたり皺を付けたりする程度で紛れることが出来た。
「彼の名前はウラジミール。ただのウラジミールで姓がありません。貧困層の出身だと言っています」
「そんな名前だと思ったよ」
日本国鉄解体の引き金の一つは労働問題だった。それに関心があったため、多少だが資本論と共産党宣言に昭弥は目を通している。
今のウラジミールの言葉は資本論や共産党宣言に同じ記述がある。ウラジミールも偽名に違いない、と昭弥は判断した。
「けど、こんなにも労働者が集まるとは思わなかったよ」
「周辺の工場の労働者が集まってきていて勢いが凄いですよ」
昭弥を案内しているセバスチャンが答えた。このところ労働運動が盛んになったと知り、昭弥はセバスチャンに情報収集を命じていた。そして今日、アルカディアの郊外で丁度演説会が行われるため、昭弥自ら偵察していた。
「しかしまさかクラウス達が加わるとは思わなかった」
「国鉄内にもシンパが入り込んでいるようです」
機関区は関係者以外立ち入り禁止で。ポーラがそこに立ち入れたのは共産主義者のシンパの手引きによるものだった。
共産主義者達はポーラの異常な自己陶酔と他人を引き込む能力を使って、自分たちのイデオロギーに染まる人間を増やしていた。
そのため共産主義のバラ色な未来を語ってポーラを舞い上がらせ、共産主義に賛同するように仕向けて使っていた。
「まあ、騙されるか勢いに乗せられて連れてこられただけなんだろうけど。……まさか、労働条件悪いのか国鉄は?」
クラウス達が集会に出ているのを見て昭弥は動揺していた。これまで職員の福利厚生に力を入れてきたが、方向性が間違っていたのではないかと。
職務に精励できるように福利厚生には気を使っている昭弥だ。共済会を通じて職員用の保養所や保育所社会教育館などを作り、彼等が休める場所や教育の場を作り上げてきたつもりだ。
鉄道は一寸したミスで大事故や大災害を起こしてしまう。
人がミスをするのは心身のどちらか、あるいは双方が疲労しているときに起きやすい。
十分な休息を取り、万全の体調で動けるように、つつがなく職務を遂行できるように、福利厚生を整えるのは組織の長として当然のことだ。
福利厚生への投資をケチっても、大事故が起きれば復旧と補償でケチった分は吹っ飛んでしまう。
何より鉄道事故が起きないようにするのが昭弥の職務だ。
だから、国鉄は労働環境が良い。それはセバスチャンも認めるところだ。
「いえ他と比べると格段に良いですよ。でもどんな場所にでも不満分子はいます」
「そんなものか。でも、他は、国鉄以外は悪いと言っているけどどういう事だ」
「ええ、機械が導入されて誰でも簡単に製品を作れるようになりましたからね」
鉄道の発展に伴って機械産業が振興し、帝国中のありとあらゆる分野に機械が導入されている。
様々な製造機械が生み出され、それまで職人にしか出来なかった製品の数々がスイッチを入れるだけで生産できるようになっている。
「機械の使い方を教えれば性別年齢学歴不問。誰でも出来ますからね」
「技術とはそういうものだからね」
特別な技術という言葉を使いたがる人は多いが、昭弥にしてみれば馬鹿げた言葉だ。
技術は使い方さえ知れば誰が何処でも使えるものだ。失敗するのは使い方を覚えていないか使うべき時を間違えたかのどちらかだ。
一部の特別な才能のある人間だけが使える術は技術ではない。
「誰でも簡単に直ぐに使えるようになるのが真の技術だよ」
「それって誰でも良いという事ですよね。老人だろうが子供だろうが」
「そういうことになるね。それが技術だ」
技術というのは手順を踏めば誰が使っても同じ結果を生み出すことだ。
自分用のパソコンでも誰がスイッチを入れても電源が入る。個人認証は別として、特定の人物にしか扱えない機械など無意味だ。
逆に言えば誰が使っても変わらない、誰に代わっても良い、代替可能ということ。
機械を正しく扱えるのなら誰でも良いことになる。
「でもそれは一面だよ。誰でも使えるという事は、働ける人が増えるという事さ」
これまでは体力自慢で頑健な人しか多くの収入を得られない、長時間働かないと収入は増えなかった。だが、機械の導入によって体力の劣っている人でも仕事に就けるようになり、負担も減った。
「その結果、多くの人に働き口を提供することが出来る。それまでの作業に関わる人の数が減っているけど」
機械で簡単に作れるようになった、効率が向上して同じ製品を同量作るのにかかる人手が少なくなってしまい、必要な労働者の数が減ったのも事実だ。結果、失業者が増え、労働者の価値が下がり、給料も減ってきていた。
「結局失業者を増やすことになっていませんか」
「その分、他の事業、第三次産業へ転換するようにしているけどね」
鉱石、農作物などの原料を作り出す第一次産業と、それを加工して製品を作る第二次産業、そして製品を売る第三次産業がある。ただ第三次産業はサービス業、小売りだけでなく喫茶や美容、映画なども含まれる。
「これま第三次産業は少なかった。主に利用できるのが貴族などの有閑階級、つまり時間と金の余っている人にしか提供できなかったからね。でも機械の出現で多くの人々に時間と金の余裕が出来た」
短時間で成果を上げられるため、余った時間と得られた金を使ってサービス業を利用する人々が増えていた。
復興特需で、景気が良くなったことも一因だった。
そのためサービス業界では人手不足が深刻化していた。
「サービス業の人達を増やすための学校も作っているんだけど機械のように上手く行かないからね。人の教育は」
「そういう所で教育を受けられなかった人達が労働者となり他企業の工場で働くんです。でむしり取られていきます」
「酷いのかい?」
「奴隷の方がマシですよ」
奴隷制度は廃止されたが、代わって労働力を買いたたかれる労働者が生まれた。
時間と金の余裕が出来ても、資本家が労働者への給与ではなく自らの利益へ金をつぎ込んでいるからだ。
奴隷であれば主人の財産だが、労働者は契約で一時的に結んだだけの立場で使い捨てが可能だ。
「私有財産はあっても一日の大半を労働に取られています。農奴みたいなものですよ」
「前々から生産機械を売り込んでいるからね」
国鉄では産業育成のために機械製造業も行っている。
だが鉄道事業に専念するために一部事業を独立させていた。独立したからには利益を追求しなければならない。
そのため、製造会社は機械を大量生産して帝国中に太陽販売し、帝国内には機械が増えていった。
同時に機械で作られた製品が帝国中に溢れかえった。
結果、職人の数が減り、労働者が増えていった。そして、効率的な機械が出回って、生産数が上がった結果、過剰生産状態となり生産調整が行われて失業者が増えた。
「誰でも良いというのですから安い賃金で雇えますよ。しかも鉄道関係ではないので我々の指導も入れません」
鉄道省関係の企業に関しては昭弥が労働基準の遵守を徹底している。そのために十分に配慮されている。
しかし、それ以外の産業、企業に関しては昭弥の監督は行き届かず、劣悪な状況に陥っている。
失業者、そして労働者の生活環境は悲惨であり、一六時間も働いてようやく一日分の生活費が賄えるかどうかのレベルだ。
機械や技術の発達により、誰もが労働者になれる世界。だからこそ、悲惨な状況が生まれやすくなっている。
労働者の過酷な現実が彼等を共産主義に走らせていた。
「やはり共産主義が良いんでしょうか」
機械を共同保有し、生産物を公平に分配する共産主義が正しいようにセバスチャンは思えた。少なくとも理論上、労働者と資本家の格差はなくなる。
情報収集のため貧困層の調査を行う事も多く、自らも貧困層出身であり、盗賊をしていた身としては彼等に同情するセバスチャンだ。
だが昭弥は否定的だった。
「うーん僕は思わないよ」
「鉄道を取り上げられるのが怖いんですか?」
「それもあるけど。そうだな、セバスチャン。女性用の下着を与えられて嬉しいかい?」




