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蒸気機関車の意地

 その日、貨物列車の運転乗務をしていたクラウスは苛立っていた。

 ボイラー破裂事故で重傷を負ったが、奇跡的に回復して復帰することが出来た。

 職場へ復帰出来ないと考えていた時期もあったが、総裁である昭弥が見舞いに来て、今回の事故は国鉄の責任である旨を述べ、治療費を国鉄が負担し、見舞金まで支給された。

 さらに、治療が終わって体調が回復次第、機関士として復帰出来るよう手はずを整えてくれた。

 戦時で機関士が足りないこともあって、直ぐに復帰することが出来た。

 助士は事故で即死したため残念だったが、新しい助士のピエールは年が若いわりに筋が良く、腕の良い機関士になる事が期待できる。

 クラウスはガリアでの事は覚えている。あの列車から生き残った子供が国鉄に入ってくれるのも嬉しい。

 将来は機関士になりたいと言う志もまた良し。

 自分が憧れた同じ蒸気機関車への乗務を目指してくれるのは嬉しい。

 だからこそ今の状況にクラウスは苛立っている。

 先日、総督いや総裁から発表された<動力近代化>計画。

 十年以内に電化とディーゼル化を進め、蒸気機関車は動態保存用の極少数を除き全廃する。

 そのような計画が発表されて現場の機関士の間に動揺が走っていた。

 前々から電車、電気機関車、ディーゼル機関車の増備が進んでいる。それらの乗務員への転属を、機関区全ての機関士、機関助士に勧められていた。新幹線が開通してからはその傾向に拍車が掛かっている。

 それでもクラウスは蒸気機関車にこだわった。

 確かに蒸気機関車は整備に手間が掛かりすぎる。準備についても、無火から運転可能になるまで時間はかかってしまう。

 そんな蒸気機関車だが、いや、だからこそクラウスは好きだった。

 罐焚きは重労働であるが、助士のピエールもその辛さに耐えて運転に携わっている。

 蒸気機関車こそ我々の誇りだ。

 走行性能が電車より劣ると言われているが、まだまだ十分に対抗できる。

 今、帝都近郊を走っているとき、電車に追い抜かれているのは規定の制限速度を守っているからであり、決して性能が低いからではない。

 重量物を積んだ貨物列車を牽引していても、全力を出せれば電車などに遅れはとらないと自負していた。

 そのような事実を無視して、電車の運転士が蒸気機関車を見下した態度を取る事を腹立たしく思っていた。

 人族より身体能力に優れる猪人族のクラウスに正面から挑発的な言動をとる電車運転士は少ない。だが代わりに年若いピエールをからかう奴は多い。

 並行する旅客線に電車が後ろから接近してくるのが見えた。また、追い抜かれて見下されるのか。普段クラウスは耐えられるが、接近してくる電車を見るピエールが表情が視界に入ってしまい、クラウスの忍耐も限界だった。

 クラウスはレバーを押して速度を下げた。


「ピエール、運転を交代しろ」


「は、はい」


 クラウスは運転席にピエールを座るよう命じた。

 その間に電車はクラウス達の乗務する列車を追い抜いていった。追い抜くときに電車の運転士の顔が見えた。運転席にいたのはいつもピエールをいじり回す運転士だった。


「すこし減速が急過ぎた。回復運転を行ってくれ。全速を出して良い」


「!……良いんですか」


「ああ、遅れを取り戻してくれ」


 クラウスは石炭を火室にくべて言った。ストーカー――自動給炭機だけでは足りない細やかな給炭。火力の弱い場所に石炭をくべ、蒸気圧を上げて行く。

 クラウスの本気を見たピエールは答えた。


「行きます!」


 喜び勇んでピエールはレバーを引いた。

 ドラゴンブレスのようなブラスト音と共に、爆発するような加速で蒸気機関車は走り出す。

 前に進んでいた電車との相対速度は小さくなり、一瞬だけ同速となり、そして追い抜いて行く。

 やがて電車の先頭と並ぶと、向こうの運転士も気が付き電車を加速させる。

 クラウス達も負けてはおらず、ピエールはレバーを引いたまま動かさない。クラウスは火室の燃焼状態を見極めて、猪人族の膂力を使って大量の石炭を火力の弱い場所へ適切に投炭し、蒸気圧を維持する。

 だが加速を続ける機関車は高速運転に伴う動揺と振動が激しくなる。


「ピエール! 止めるな」


 直ちに危険となる振動ではないとクラウス瞬時に判断し、走らせ続ける。


「はい!」


 ピエールも確信していたらしく、力強く答えレバーを緩めない。

 機関車は遂に電車を追い抜き、そのまま電車と分かれていった。




 クラウス達は電車に勝ったことで気分良く目的の貨物駅に到着する。

 貨物列車から機関車を切り離し、所属する機関区へ回送した。給炭と給水を受けた後、機関庫へ向かう。

 定位置に機関車を止めると、庫内手に機関車を引き渡して、意気揚々と運転報告の為に事務所に向かう。

 だが事務所で機関区長アリサに呼ばれいるとクラウスは事務員に言われた。用向きの見当がついているクラウスは黙って区長室へ向かった。


「どうして呼んだか判るわね」


 女性区長のアリサが尋ねた。


「回復運転の事ですか?」


「貴方なら普通に走らせて到着する事が出来たでしょう。制限速度を超えるような加速を行ったと電車区から注意するよう申し送りが来ているわ」


 抜かれた電車の運転士が腹いせに報告したのだろう。区長を通じて注意、事実上の報復をしたらしい。

 姑息な手にクラウスは呆れる。クラウスの態度を見てアリサは語気を強める。


「安全上、規則には従って貰います。重量物を積んでいる貨物列車で事故を起こしたらどうなるか判っているでしょう」


「安全には細心の注意を払っています」


「競争の為にワザと速度を落としたでしょう。貴方たちだったら普段することのないミスよ。故意にやったとしか考えられないわ」


 流石、百両前後の機関車を有する機関区の長だけあって、所属する機関士の技量をアリサは知っている。クラウスが故意に遅れたことを見抜いていた。


「それで電車区の連中の注意を伝えると?」


「電車区はともかく、安全上も見過ごせません。それに蒸気機関車の全速運転は周辺からの苦情が来ます」


「またその話ですか」


 蒸気機関車が少なくなっている理由の一つに煤煙がある。

 原野を走る分には問題無いが、都市部は洗濯物に煤が付くなどの理由で運転中止や電化を求める声が多い。

 抗議の声に押されて国鉄は都市部での運転は原則、蒸気機関車を除外する旨を決定。今では郊外のみの運転となっており、ここ最近牽引するのは貨物列車ばかりとなっている。

 だがそれも安穏とはしていられない。

 機関区周辺も元々は原野だったが、開発が進み住宅化が進行している。蒸気機関車の煤煙を問題視する声が増えている。

 国鉄が動力近代化を進める理由の一つが、この煤煙問題だった。

 新帝都近郊の電化が終わり、クラウスとアリサが所属する機関区も近日中に閉鎖することが決定している。

 クラウス達には転属か電車、気動車などの運転士への職種替えが通達されたのもそうした理由だ。


「このままで良いのですか?」


「仕方ないわ」


 既に総裁の決定と理事会の決定は降っており、アリサにはどうすることも出来なかった。


「到底受け容れられません」


 しかし、奉職してから蒸気機関車一筋だったクラウスには到底受け容れられない事だ。

 そのため、彼に同調する一部の蒸気機関車の乗務員と共に廃止反対を訴える団体を立ち上げて国鉄上層部に抗議している。

 国鉄に歯向かうことが、総裁に歯向かうことがリグニア鉄道員にとって神に弓を引くようなことだとは分かっている。だが、クラウス達は蒸気機関車のためにあえて抗議の道を選んだ。


「それでも決定は覆らないわ」


「機関車はまだ十分にやれます」


「……わかったわ。まあ、それはついでで本題はこっち。出張命令よ」


「左遷の下準備ですか?」


「いいえ、総裁からのお呼び出しよ。ルテティアへの視察に随行するように総裁自ら言われているのよ」


 総裁からという話にクラウスは驚いて一瞬思考が止まった。

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