軍隊輸送
「ああ、だから貨車に積み込んだまま各地へ分配させろ。そのまま運び出すんだ。積み替えずに直接送り込め」
ブラウナーは電話先に荒い声で命じた。
総督、いや総裁が軍の車両を国鉄の指揮下に置く事に成功して車両数が増え指示を出す場所が増えてしまった。そのため忙しくなったが、使える本数が増えたので輸送自体は上手く行きつつあった。
何しろ軍隊を輸送した後、列車に穀物を回収させて満載させた貨車を本土に送れば良いので回送列車を出さずに済んでいる。
各地で起きた災害も迅速な復旧作業により回復しつつあり、平常業務に戻せそうだ。
浸水した操車場は使えないだろうが、そちらはブラウナーの管轄ではないので考えない。ただ総裁のことだから、川からの被害を受けない場所に操車場を移転するだろうな、とブラウナーは思った。
元々旧帝国鉄道が舟運との接続を考えて川縁に操車場を作った為に起きたことであり総裁の非では無い。だが、鉄道の現最高責任者である昭弥は責任を感じて移転を命令するだろう。
実際、移転計画を多数出している。
旧式化して能力が落ちている、小さくて使いづらいというのが理由だが、今回の災害を受けて前倒しする可能性が高い。
だが、それは未来の話であり、今膨大な作業に追われているブラウナーには関係のないことだった。
「あとは頼むぞ」
ブラウナーはそれだけ言うと電話を切ったが、直ぐにベルが鳴って受話器を取った。
「私だ。装甲第一師団の輸送列車をどうするか? それならパルティアへ送った小麦輸送列車が戻ってくるから、そいつに載せるんだ。信号所に伝えるから着いたら載せろ」
一旦電話を切るが直ぐに電話機を取って話しかける。
「交換手、全国運転指令所に繋いでくれ。至急だ。ああ、指令所か? 統括指令所のブラウナーだ。今到着しつつあるパンノニアからの回送列車を帝都北方の軍駐屯地に向かわせろ。貨車の中の清掃がまだ? 構わない、連中に掃除させる。兎に角、列車を向かわせるんだ。軍に渡す事が必要なんだ」
そう言ってブラウナーは電話を切った。
エフタルの侵攻に対して対応する帝国軍の鉄道輸送を引き受けた。それを完璧に遂行しなければ、帝国軍、特に鉄道軍のハレック元帥が難癖を付けて国鉄を支配下に置こうとするだろう。
緊急輸送を名目に国鉄を管理下に置くことも非常時大権を使えば可能だ。皇帝陛下の承認が必要だが、緊急事態と言うことで押し通される可能性もある。
それは不味いとブラウナーは必死だった。
ブラウナーは現役軍人であるが、鉄道の重要性、特に物流の影響力が大きいことをアクスム駐屯軍時代に知っている。
軍の輸送でも活躍したが治安戦、住民を慰撫しこちらに付かせるための支給品を送り届けるのに必要だった。さらに経済的な安定をもたらす為、産業を発展させるためにも産物を運び出す鉄道は必要だった。
鉄道は軍の輸送手段ではない。帝国の根幹を担う重要な一部いや、帝国の血管と言って過言ではない。一部門が自らの目的の為に占有して良い存在ではなくなった。
全帝国の財産と言っても良いだろう。
「感化されたのかな」
受話器を取ってやりとりをしながらブラウナーは呟いた。
出向しているが現役の軍人であるブラウナーは軍の事を考え優先するべきだろう。
だが事あるごとに総督、いや総裁が鉄道優先を口にするので自分も同じ思考になってしまったのか、とブラウナーは疑り、苦笑した。
ただ、目の前で実績を見せつけられてしまっては心酔もする。今だけで無くこれまでもずっと鉄道の優位を実績で示してきたため、それが真実のように思えてきた。
だが、それも一瞬の事で、直ぐに電話が鳴った。
「もしもし、ブラウナーだ。駐屯地の連絡員か。どうした? 軍の連中が粉っぽくて乗るのが嫌だと。乗り物が用意されたんだから文句を言うな。何、アクスム歩兵が獣人差別だと訴えていると。緊急時には帝国軍人は誰でも同じだと伝えろ。え、俺の名前を出したら黙り込んだだって、電話を代わって欲しい? そんな暇ない切るぞ」
次の用件が差し迫っていたためブラウナーは電話を切った。
しかし、その用件を終えたら直ぐに電話が鳴った。
「もしもし、どうした。え、軍人が直ぐに出発させろと叫いているだと。搭乗終了したんだから出られるはずだと」
軍人の馬鹿にありがちな思考だ。
鉄道というものは緻密なダイヤによって初めて大量輸送が出来る。
事故が起こらないように間隔を開けて、分岐で衝突しないように定時に発車させて初めて安全確実に目的地に行ける。
勝手に出発しようものなら衝突事故を起こして運転不能になる。被害はその列車に止まらず、事故が起きた路線全てが不通になってしまう。
そして輸送されるはずだった部隊の到着が遅れて、戦局に重大な影響を及ぼす。
軍人としても鉄道に関わる者としても、身勝手な出発など決して許してはならない。
「ダメだと伝えろ。え? 俺に言えば直ぐに通してくれるって? 俺の元部下だって?
そんな事で優先できる訳ないだろう。誰だそんなこと言っているのは」
ミード大佐だと連絡員が伝えるとブラウナーの表情筋が沈黙した。
「……一寸馬鹿を黙らせてくる」
「待って下さい!」
席を立ち上がろうとしたブラウナーをオーレリーは止めた。
「ブラウナーさんにはここで指示を出して貰わないと。軍の輸送に関してはブラウナーさんが適任です。離れたら捌くのは無理です」
「うっ」
オーレリーに言われてブラウナーは我に返った。
確かに帝都周辺に駐屯している帝国軍の配置に詳しいのはブラウナーだ。そして国鉄の事情に詳しいのもブラウナーだ。
何処の部隊が移動を命令されており、その部隊に近い鉄道が通じている駐屯地は何処か輸送に何両編成の列車が何本必要なのか、輸送先は何処か知っているのはブラウナーだ。
そして何処に列車があり、手配できるか、向かわせる事が出来るか判断できるのは現状ではブラウナーのみだ。
実施に関しては部下や各地の現業機関に任せているが、上手く行くように大枠を考えて方針を示して指示する必要がある。
どの路線に客が集中していて何処に向かおうとしているのか、そのために列車を増発できるか、増発するにしても何処の基地から出させるか判断する運転指令のような役目だ。
その運転指令が一客を黙らせるために席を離れてはいけない。
例え二〇〇〇名の部隊を率いる連隊長相手であってもだ。
ブラウナーが統括指令所から居なくなると、帝都や帝国各地から派遣予定の帝国軍数十万が鉄道輸送の段階で動けなくなり、戦闘が躓く。
それが何を意味するか知っているだけにブラウナーは動けなかった。
「でもなあ」
かといって、戦闘狂のミードを放って置く訳にもいかない。
下手をすれば勝手に機関車を走らせかねない。ミードが事故って死ぬのは別に構わないが、彼の部隊が今居るのは帝都でも最大荷捌き能力を誇る軍の駐屯地だ。軍の部隊や集積物資を迅速に運び出すために建設された施設で、ここが使えなくなると帝国軍の移動計画に大きな支障をもたらす。
何とかして避けたいと考えていると再び電話が鳴った。
「ブラウナーだ。あ、メッサリナ。出動だったな。ああ、出発はダイヤ通りだと一時間後、これは動かせない。解っている。けど、無理なんだ。あれ、どうしたメッサリナ、声が遠くなったぞ。誰だ。あ、スコット中将、久しぶりです。え、出発時間を前倒しできないか? 無理ですよ。密集していてこれ以上は無理です。他にも輸送する必要のある部隊や物資があるんです。大丈夫です。必ず。ええ。困ったことですか? ああ、ミードの奴が出発を早めろと言ってきて勝手に出発させるんじゃないかと心配で。黙らせて動けないようにしたいと思っていたんですけど。え? あたしが黙らせるって。そりゃ有り難いですがどうやって。あの、ちょっと」
ブラウナーの問いに誰も答えなかった。
代わりに、剣戟と発砲音と電撃音が受話器から流れて来た。
何が起きているか聞くのが怖くて、ブラウナーは受話器をそっと置いた。直後、その駐屯地の軍用列車一本が発車不能、引き込み線一本使用不能という報告が流れて来たが、大枠の運用に支障がないため、ブラウナーは復旧を命じただけで自分の業務に戻った。
中央集権が基本方針となった帝国軍は新帝都アルカディアに大軍を駐留させている。
そのための軍施設が鉄道沿線に建設されており、多数の部隊が駐留している。
彼らを迅速に戦場となるエフタル北方へ派遣するのがブラウナーの役割だった。
部隊のみではなく、それら部隊が消費する食料や弾薬、武器、その他装備の輸送もしなければならない。
出発地だけでなく、到着地の受け入れ態勢も整えさせておく。
帝都周辺だけでなくルテティア周辺の部隊も動員する必要があり、どの列車を向かわせ、何処に派遣するかを指定しなければならない。
更に送り出した軍用列車を穀物回収に向かわせるので、何時何本の列車が使えるかを穀物回収の担当部局に伝える必要もある。
膨大な作業量でパンク気味だったが、ブラウナーをはじめとする統括指令所の要員はトラブルに見舞われながらも部隊輸送を完遂。
終了後は穀物輸送を再開させ、輸送作戦は遅れを出しながらも進んでいった。
ちなみに装甲第一師団は、指揮下にある突撃歩兵第一連隊本部の出発が一日遅れただけで、無事に派遣地に到着。極めて軽微な損害で任務を遂行したそうだ。




