オペラハウス
『チェニス本線第三トンネル区間を不通に変更』
「了解」
回線から流れる指示を受けてエリカ・ゲッツは目の前のボタンを押して言われた区間の色を変更した。そして変更した箇所と日時を鉛筆で記録して一作業を終える。
『チェニス支社、機関車予備率を五割へ。待機本数を三〇本に』
更に細かい指示が流れてエリカは、言われたとおりに表示を変更して行く。
(意味があるのか)
二月前に配置が変更されてこの統括指令所に着任したが、意味のある配置なのかイマイチ分かりにくい。
指示されたとおりに表示板を切り替えるだけなのだが、こんな事をして意味があるのか分からない。
幾つものボタンが並んだ机が雛段状に並べられ、エリカと同じ女性オペレーターが表示を操作している
反対側では、エリカ達と同じように雛段に並んだ机で男達が表示板を見て議論したり電話で指示を出していたりする。
運転指令所のようなモノだと聞いているが、列車の運転状況は通常、混雑、不通のみを伝えるだけ。あとは機関車や客車、貨車の数を表示するだけ。
それが分かることにどういう意味があるのだろうか。
「総裁が来るわ」
表示板の向こう側で指示を行う統括指令のハンナ・ハーゼイが言う。複数のアクシデントに対応できて、多数の指令員やオペレーターの声を聞き採れる上、状況把握とダイヤ構成が可能なため総裁によって任命されていた。
アクスムの兎人族から人質として送られてきているとか、総裁の愛人の一人とか言われているが、能力は本物でありエリカも信頼している上司だ。
その上司が天井の一角、空いている空間に視線を向けていた。
そこから会議室が丸ごと下がってきた。そこには玉川総裁をはじめとする国鉄上層部が大量の書類と共に乗っている。
オペレーター達の間で動揺が広がる。上層部が視察以外でこの部屋に来るのは緊急事態という意味であり、国鉄が緊急時である事を意味する。
「総裁はこれからここで指揮を行います。皆さん、指示通りに動いて下さい」
一瞬戸惑ったがハンナの声で再び動き出した。だが、会議スペースに居る総裁が気になってオペレーター達の動きはぎこちない。
だが、絶えず流れてくる報告や指示の要求が支社から流れてくるため、直ぐに動揺は収まり各自の作業に没頭している。
エリカも一瞥しただけで自分の作業に戻った。
「すげえ……」
降下を停止した会議スペースで、ブラウナーは驚きの声を上げた。
昭弥がボタンを押した瞬間、会議室の床が下がり始めたのにも驚いたが、降りた先も驚いた。
国鉄管轄下にある全ての支社と主要幹線の状況が表示板に全て映されており、一目で国鉄の状況が掴めるようになっている。
各支社の運転状況、機関車の数と稼働率、予備車両数、各路線の運転許容容量、貯炭量。
どこの路線が最も混んでいるか、どの支社に車両が少ないか判る。
戦場では混乱して全体像が把握しにくい。そのため地図や駒で彼我の位置を示すことはあるが、詳細な戦闘力、兵数、損害、残存弾薬までは解らなかった。
だが、ここは国鉄で動いている車両の予備数、路線の運転状況、施設の稼働状況、全てが解る。
「統括指令所。運転指令所の全国版だ」
現在、国鉄はJRグループの支社と同じ役割を持つ複数の支社を帝国全土に配置している。各支社に車両を配置して運転指令を出させて管理している。ちなみに全国を繋ぐ重要幹線、高速線は全国総支社を置き一括管理させている。
しかし支社の間を結ぶ路線で事件事故が起きた場合、何処の支社が対応するか話し合いを行っても、同格の支社同士のため中々決められない。その間に状況が悪化する可能性がある。
そこで担当部署を何処にするか指示するのが統括指令所だ。迅速に担当を決める事により、被害を最小限に抑える。更に迂回ルートの指定などを行う事により混乱を最小限に抑えられるようにしている。
季節毎の輸送需要変動は予め本社の運転局が支社からの需要予測を元に配車を行っているが、突発的な需要の変化や事故、災害に対応できない。
そこで、この統括指令所で車両配備、運転方針の一時変更などの微調整を行っている。
一時的に足りなくなった支社へ貨車や客車を配車して需要に対応させるのが統括指令所であり、そのためのシステムが作り上げられていた。
仕組みは簡単。
表示板には電球が埋め込まれており裏側にいるオペレーターが各支社、運転指令所から送られてくる情報を表示する。
それを表側にいる指令員や各支社の連絡要員が各支社に指示を送る。
また分析室が併設されており、今後の需要変動予測などを行い指令員に助言する。
第二次大戦のドイツ空軍本土防空部隊が各師団司令部に設置した指揮所、通称オペラハウスを元に構築したシステムで、ルフトバッフェ(第二次大戦のドイツ空軍)オタクの同級生が自慢たらたらに話しているのを聞いて、鉄道に応用できるなと感想を抱いた昭弥が覚えていたため実際に作り上げた。
表示板を中心に両側に雛段状に配置された席がオペラハウスに似ていることからオペラハウスと名付けられていた。
昭弥はその慣習に従ってオペラハウスと呼んでいた。
ちなみにオペラはこの世界でも発展していて似たような施設のため、昭弥が使った通称が国鉄内部でも広がっている。
「どうして最初からここに来なかったんですか?」
「輸送作戦の指揮に専念したら国鉄の他の事務が滞るからね。輸送作戦だけに集中する訳にはいかないからね」
国鉄総裁として人事や決済、他の省庁との折衝があり統括指令所に入り輸送作戦に集中すると、それらが滞る。出来たばかりの国鉄を動かすには様々な指示が必要だったので、事務関係が近い会議室で指揮を執っていた。だが現状では統括指令所に移らないと破綻すると考え移動した。
統括指令所に降りて固定された会議スペースから昭弥は表示板を見た。
明らかにパンノニアの列車本数が少ない。消灯している路線が多いのは、連絡が付かず表示不能になっている事を示している。
鉄道沿線の電線が切断されて連絡不能になっているのは明らかだ。
被災状況も解らない。
「電信、電話の復旧を最優先に」
混乱する中、昭弥は指示を与える。
「線路の状況調査と報告を行うように指示しろ。復旧部隊の準備と位置を確認。幹線を優先して確認の部隊を送れ」
「総裁、軍がパンノニアへの移動要請を出してきました」
「承認。少しでも早く部隊を向かわせて復旧を始めるんだ。こちらも各支社の保線員と作業員を送り出す準備を急げ」
「総裁、機関車と貨車が周辺支社でも足りません」
指令員の報告を受けて昭弥はもう一度、表示板を確認した。
「リグニアとガリア、イスパニア、それとゲルマニアの予備を回すんだ。保線員と救援物資を積み込んで送り出せ」
「アルカディアから送り出さないのですか?」
「送り出した支社へ補充として回せ。空車と予備の状況は常に確認。今は近いところから送り込む。隣接する支社との連絡路線の復旧を最優先。支社内は接続駅と大規模操車場、そこへ向かう路線を優先して復旧しろ」
全ての支社に応援を出すためにアルカディアには大量の予備を保有している。だが、送り込むには時間が掛かる。路線の状態も良くないので到着するまで時間が掛かる。
だから、パンノニア近くの地域から送り込んだ方が良い。
特にリグニアは旧帝都と言うことで、大量の貨車が配備されている。
送り出すには丁度良い。
パンノニア周辺の路線状況も悪く到着に時間がかかるが、それまでに通信状況を回復させ適切な場所に運び込む。
送り出して少なくなった分はアルカディアからの配車で埋める。
通信の回復状況によって配車の状況が変わるが、何もしないよりマシと考えて向かわせることにした。
「総裁、チェニス本線の復旧が出来ました」
指令員の報告で表示板を見てみる。アルカディア―チェニスの間の表示が不通を示す赤から緑に変わった。だが直ぐに容量一杯を示すオレンジに変わる。
「列車の優先順位を旅客、小麦輸送、食料品輸送、貨物とする。石炭や鉱物など腐らない物は後回しだ」
「待ってや、荷物が届かんと違約金が発生するで」
昭弥の指示にサラが反対した。確かに腐らないが定時に到着する石炭や鉱物を待っている顧客もいる。
「小麦が届かないと顧客が餓死するかもしれない。違約金は払えるようにするから説得を頼む」
「ほんま頼むで」
そう言ってサラは自分の電話を取って顧客に話しを付けはじめた。
昭弥の方も帝国銀行総裁のシャイロックに電話を掛けて緊急融資が得られないかの交渉に入った。
その間にもパンノニアの状況が解り始める。各所で不通を示す赤が表示され雹による車両被害、施設被害が報告され機能不全状態だった。
だが、昭弥が先の指示を出していたため、徐々に不通を解消し施設の復旧も進み支援物資が届けられ始めると、状況は回復し始めた。
複数の事態に対して全体を見通すことが出来る、その上で対応可能な支社を見つけ出し対応策を練り上げ指示して各所に伝達できるのが統括指令所の真価だ
その効果は今、発揮されつつある。
だがチェニスから物資の受け入れも始まり、上手く行きそうに思えた時、凶報がもたらされた。
「ガリアで大規模な洪水が発生しました」




