機関車三〇万両
「三〇万両の機関車ですか?」
昭弥が口にした数字にブラウナーは驚いた。
「本当に必要なんですか?」
「自分の頭の中で概算しただけだから、少なくなる可能性は有るけどね」
第一次大戦時のドイツは三万両の機関車を保有し、第二次大戦中も三万六千両の機関車を保有していた。
リグニア帝国本土はヨーロッパとほぼ同じくらいの広さで更にルテティア王国が加わるので単純にドイツ帝国の十倍くらいの面積だ。
地形や線形、路線図の違いもあるが、単純計算で十倍の車両数が必要になる、と昭弥は考えていた。
勿論、面積だけで考えた訳ではない。
「大体一時間に片側四本通せる複線の本線があるとして、切りよく二十四時間で二〇〇本としよう。その本線が帝国内に一〇〇カ所あるとして、一日に必要な列車数は二万本。それぞれに機関車が一台必要として二万両だ。使った後二日間の整備と準備が必要なので三倍の六万両が必要、更に予備と長期検査で同じ台数が必要だとすると一二万両。支線は本数が少ないとはいえ距離が長かったりするので、同じだけの数が必要として本線と合わせて二四万両。さらに入れ替えや仕分け作業、客車貨車の連結作業に六万両必要とすると三〇万両になる」
大まかな考え方だったが、昭弥は間違っているとは思わなかった。
大正年間の日本でさえ営業キロ一万キロ程で機関車三〇〇〇両、貨車六万両
第一次大戦のドイツは営業キロ六万キロ程で機関車三万両、貨車七〇万両以上であった。
戦時による増強があったと考えても、帝国の発展を考えるとこの車両数が必要だと昭弥は考えていた。
だからこそ、粗製濫造の戦時量産型、製造工程を簡略化し運転台の一部や炭水車を木製化した奴を生産している。軽くなりすぎて動輪の粘着力が足りなくなりコンクリートの塊を載せて重くして、粘着力と牽引力を増すという状況さえ生み出すおかしな機関車だ。
そんな機関車を生産する、いや大量生産に優れていると言う点だけで生産しなければならない状況に陥っていた。
「……それだけの車両数だと人が必要では?」
「下手をしたら数百万になるしな」
単純に言って、普通の機関車には機関士と機関助士が必要だ。蒸気機関車は整備に時間が掛かるので二人一組で一両担当すれば良いとしても三〇万両なら六〇万人が必要となる。更に訓練や交代要員を考えたら倍増してもおかしく無い。
更に列車には車掌が必要となる。一本当たり一人か二人、交代の要員も必要だ。一日に四万本、平均二人としても八万人。交代、休憩を考えると倍から三倍は必要になる。
他にも車両を整備する整備士に線路を守る保線要員、駅に勤める駅員、彼らの仕事を支える事務員に貨物を運ぶ荷役要員、各種車両の製造要員、鉄道公安官、技術開発者などなど。
鉄道を運用するには膨大な人員が必要となる。最終的に数百万の規模になってもおかしく無い。
「……大変な数ですね」
軍の編成上最大規模の総軍に匹敵する人員数にブラウナーは気が遠くなった。
「まあ、省力化、人の数をなるべく少なくするように考えている」
「どんなことですか?」
「よし、見に行こう」
よくぞ言ってくれた、という表情で昭弥が言うとブラウナーは、しまったと思った。
これは長い自慢話になる。
だがブラウナーは付き合うことにした。このところ総裁としての政務が多すぎて鉄道見物もとい視察に行く時間が無かった。
気晴らしのためにも、外に付き合ってあげようとブラウナーは思った。
その機関区にはF8型高速線機関車が配属されていた。百両以上の機関車が配備され、予備若しくは整備中のため常に数十両が停車していた。
機関車を整備する機関庫の中に一両の機関車が入れ替え用の小型機関車に押されて入って来た。入ってくると動輪の各部に車止めが置かれて動けないようにする。
同時に灰受け皿を解放し、通気を良くする。
そして前面の扉を開けると機関車の前方から無数の円形金属ブラシを備えた長い棒が林立する機械が迫ってきた。
接近すると高温の熱水を撒き散らしながら各ブラシが高速で回転を始め、機関車のボイラーの中に入って行く。ボイラー内へ熱水と空気を送り込み灰受け皿から大量の水が流れてくる。
そしてボイラー内を一往復すると離れてゆき、今度は天井につり下げられたボイラーと同じ直径の器具が降りてきて装着されると、空気を送り出してボイラー内の水分を飛ばした。
空気と水と灰は灰受け皿から出て行き、ボイラー内を綺麗にした。
「何ですかこれ」
あまりの勢いにブラウナーは驚きを隠せなかった。
「ボイラーを綺麗にするための機械だよ」
機関車は石炭を燃やして進む。
石炭は燃やすと灰や石炭カス、煤となる。それらがボイラーに付着して行く。
「付着すると煙管を細くしたり塞いだりして燃焼を妨げるから、ああやって掃除するんだ」
「大掛かりですね」
「アレが無いと火室に入って煙管を一本一本手作業で清掃する事になる」
煤が漂う真っ暗な空間で行う作業でキツくて手間は掛かるので誰もやりたがらない。何より時間が掛かりすぎる。
「この機械を使えば三十分くらいで一両終わるからな。時間短縮になる」
昭弥の考えたオリジナルの装置だが、上手く役に立っているようだ。
清掃の時間が短縮される事によって運転できる時間がトータルでは増える。つまり稼働率の向上、収入の増加に繋がる。
「頻繁に清掃するせいか運転の状況も良くなったそうだ。石炭が良く燃えて蒸気が出来やすい」
「清掃をせずに何回か走らせたらどうですか?」
「やってはいるけどね。やっぱり手入れをしないと性能低下、通風が悪くなって良い燃焼できず、蒸気の上がりも悪くなる。他にも注油の必要な部品もあるし、灰を処理する必要も出てくるので整備の時間が必要になる」
蒸気機関車は運転するのに非常に手間が掛かる。車のようにキーを回せば動き出す訳では無い
釜の火が消えた機関車を動かすには、火を入れて水を沸かし蒸気を作り出すのに数時間かかる。
運転中も石炭を給炭する必要がある。自動給炭装置があっても釜の隅々まで石炭を送ってくれる訳ではないので人の手が必要になる。
また蒸気機関車は大量の水を消費する。走行中でも水を給水できる高速給水装置があるが、不充分だ。
運転後は、燃えた石炭の灰を掻き出して処理する必要もある。
整備も難しく調整は熟練を必要とする。
何より保守点検に時間が掛かる。動かす前に数時間、動かした後も釜を冷やして整備する必要があり事実上一、二日動かしたら、整備のために二日ほど動けない。
運転することで収入を得ている鉄道にとってこの時間はできる限り短縮したい。
「三〇万両を調達して運用するのは難しいのでは?」
「そう思っているよ。だから洗浄装置とか高速起動装置を導入して時間短縮を行っているんだよ」
かつてウェントゥスを起動したときに使った機関庫のボイラーを使った起動装置も起動前の数時間を短縮して運転時間を増やすためだ。
そうすれば稼働率、運転中の機関車を保有数で割った数字、どれだけ機関車を効率的に動かしているかを示す指標を上げる事が出来る。
こうした装置を導入することで機関車の稼働率を上げて、経営を安定化しようと考えていた。
「効率的に動かすことになれば、調達数を減らすことが出来るよ」
「大変なんですね」
「ああ、鉄道を動かすのは大変なんだよ。それに危機も迫っているしね」




