経済戦争
機能不全が近づきつつあるリグニアからアルカディアへ遷都して一月。
帝国内では、混乱が続いていた。
帝国中枢の機能の大半が移動、あるいはその途上にあるのだから仕方ない。
一応、彼らを収容する箱物は出来ていたが中身の整理が終わるまで、更に時間が掛かることは間違いなかった。
それでも立地の良さから貨物の取り扱い量は増え続け、それに合わせて人口が増え、その人々を相手にしようと更に多くの人が集まってくる。
アルカディアは博覧会を終えてからも更に膨張を続けていた。
鉄道線のみが敷かれた荒野が人工的に区切られ、間を道路がはしる。
ある区画は住宅となり、ある区画は企業に売却され社屋が建ち、ある区画は農地となって近隣に食料を供給し、ある区画は工場となって製品を作り出す。
東方と帝国本土を結ぶ土地として、双方の文化が混じりだし、清新な雰囲気の中に独特の香りが立ち始めている。
だが、それでも問題が無い訳では無かった。
「元老院は移動を拒みました」
「まあ、そうなるわね」
帝国宰相ガイウスの報告に皇帝であるユリアは頷いた。
リグニアに多くの利権を持つ元老院議員達が自分たちの既得権益から離れようとする訳がない。
「ただ一部の議員、特に地方出身の議員はこちらへ合流しています」
「それは良い事ね」
各州や各領邦から選出される議員は基本的にその地域の為に動く。
現在鉄道が何処を通るかが地域発展の鍵を握っており、鉄道の開通は文字通り死活問題だ。鉄道の建設あるいは自らの作った鉄道の買収を求めて移ってきている。
「しかし、元老院も対抗策を出してきました」
「どういう事?」
「遷都の勅令を認めず、更に帝国銀行の承認も行っておりません」
皇帝は絶対的な権力を持っており強力な勅令を出せる。だが、短期間だけの命令に過ぎず、長期的な効力を持たせるには元老院の承認が必要だった。
「そう」
だがそれは予想された事態だった。
元老院と皇帝が対立することは良くある事だし、勅令も執行前に更新すれば大丈夫だ。
「ただ一部の議員が合流しており、また官僚の中からもこれぞという人材を選抜し枢密院に入れております」
枢密院とは皇帝の諮問機関であり、皇帝の相談役たちの集団だ。
日本の内閣官房やアメリカの大統領顧問団に似ている。閣僚もメンバーだがそれ以外にも議員や顧問官がおり皇帝の施策の手助けをしている。
もっとも無能な皇帝の場合、彼らが変わって政治を行うこともあるので評判は悪い。
だが、優秀な人材を引き上げ帝国の中枢で活躍させる機会を与える長所もある。
「現在は彼らが中心となり政務を行っております。現在の所、問題はありません」
「元老院は?」
「元老院は我々の政策に対する不承認を乱発して政務不能にする気です。ですが実行力、特に物流の根幹となる鉄道は我々が大半を抑えており問題ありません」
幾ら法律を作ろうともそれが実行できないのであれば意味が無い。
役人への報酬としての給与、施しを行うなら食料が、建設を行うなら建築資材が必要だ。
給与はともかく、食料や資材は鉄道が運んでいる。現地で足りないのなら余所から運ぶしか無く、有効な移動手段は鉄道のみ。水運もあるが時間が掛かり、必要な時に必要な物が届かない事が多い。その点鉄道は速度が速く迅速に大量に物資を運び込む事が出来るので鉄道を抑えているユリア側が優位だった。
「しかし、元老院は対抗手段として独自に銀行組織を作り、経済面での攻勢を強めております」
「元老院が国法銀行を作り出した?」
「はい、旧貨幣の維持を目的に元老院銀行を作り上げ、旧貨幣の維持を目的にしています」
シャイロックが申し出てきた緊急会談の内容に昭弥は驚いた。
「つまり、前の通貨制度を維持するための銀行を元老院が独自に作り出したと?」
「はい」
現在、帝国銀行を作り出して新通貨リラの発行と流通を行っている。
銅貨一枚を一リラとして一〇リラが銀貨一枚、一〇〇リラで金貨一枚を充てている。一リラは基準となる物価にもよるが一リラが百円ぐらいの価値だ
これらは帝国と王国にあった金銀を元に兌換紙幣を発行している。
「彼らは何処から金銀を調達しているんですか?」
「元老院議員達が互いに金貨を出し合い、株式を出資比に応じて分配しているようです。それを元に旧貨幣を元手に紙幣を発行し、銀行、議員達の配下の銀行に流れ市場に出てきます」
「完璧に機能しますね」
金本位あるいは銀本位は通貨の発行量は金銀の保有量で決まる。
帝国内で二つの発行銀行が出来ると言うことは、金銀の取り合いとなる。
「帝国の国庫や王国銀行が保有していた金銀のお陰で六対四で有利です」
「だが、帝国全土の経済を掌握するのは難しい」
旧帝都リグニアは、レパント海の中央にあり、周辺の海域、通商網の重要な地点だ。
東方からの玄関口となるアルカディアだが、そこから出てくる物流の多くはリグニア近海を通って帝国各地に回る。
その影響でアルカディア近辺で皇帝ユリア、自分たちの勢力圏はアルカディア周辺から東側だけに限定される。
事実上、帝国が二分されているようなモノだ。
「しかし、痛いところを突いてきたな」
軍事力なら帝国軍の大半を占めていた東方総軍を傘下に入れ、帝国軍の多くを指揮下に置いたユリア達に優位だ。
物流に関してもこちらが重要な地点であるアルカディアを抑えている。
元老院は重要度が低下しつつあるリグニアから移動してより優位な地点に移動するようすもない。
ならば経済、金の流れをコントロールする事で権力を維持しようと考えている。
幾ら皇帝側の会社だとしても、取引先が元老院派で彼らの通貨しか通用しないとなれば、元老院に寝返えざるを得ない。
非効率な鉄道網と水運しかない帝国本土だが、それを補って有り余るほどの経済力、蓄積された富がある。
幾ら効率的なベンチャー企業で大金を動かせると言っても、一〇〇年以上にわたって君臨してきた財閥の富と重厚な組織力に敵わないのと同じだ。
「今後の課題は我々が経済圏を取り戻せるか。如何に通貨を供給するかに掛かっています」
通貨の流通量、発行量が多いほど影響力が大きくなる。
通商圏を広げ鉄道の発展の為には、自分たちで経済を上手くコントロール出来るようにしなければならない。
「既に影響は出ています」
昭弥は情勢にマイナス要素が出ていることをシャイロックに伝えた。
アルカディアに集まる労働者の人数が思ったよりも少なかった。確かに戦後の不景気で人は集まっているが元老院を構成する貴族達が人を囲い始めていて集まりが悪い。
その源泉は元老院銀行であり、潤沢な資金提供により事業が各地で興っており労働者を雇っている。
雇われる者達にとっては非常に良い環境なのだが、昭弥達には影響力が小さくなるため不味い状況だった。
しかも新帝都の開発が遅れてしまう。
「通貨の発行はどうですか?」
「できる限り発行しているが、もう限界だよ」
シャイロックは肩を竦めて認めた。
金本位の欠点は国内の生産力にかかわらず、金の保有量によって通貨の発行量が制限されることだ。
生産量が保有量と同じなら価格は維持できる。だが生産量が過多になると、通貨を多くすることは出来ないから物の値段が安くなるデフレになってしまう。
結果不況になる。
経済が縮小することであり、流通によって儲けを得る鉄道には厳しい状況となる。
高校で異様に経済史に詳しい先生がいて、お陰で昭弥は経済に詳しい。鉄道による経済的な影響について研究しており度々昭弥に質問をしてきたからだ。
多少、辟易していたが、今非常に役に立っている。
もし、昭弥への教育を狙って行っていたとしたら、非常に優れた先生だっただろう。
「管理通貨制にできませんか?」
昭弥はシャイロックに話しかけた。
管理通貨制は金本位とは違い帝国銀行の一存によって紙幣を刷ることが出来る。勿論、交換できるだけの資本、資産を持つ必要があるが、その資産の分割を細かくすれば事実上無制限に発行することが出来る。
あとは、生産量に比例して発行すれば物価を維持することが出来る。
「いや、それでは負けてしまう」
しかしシャイロックは反対した。
確かに管理通貨制にして通貨を増やすことは出来るので需要を満たすことは出来るだろう。しかしそれ以上に信頼という面で負けてしまう。
「通貨なんて保証を付ければ瓦礫でも良いでしょう」
通貨とは共同幻想、使用する者が互いに通貨に価値があると錯覚してこそ価値がある。
別に金で無くても政府が保証するなら瓦礫や鉄でも通貨になる。
古代スパルタは、経済の変革を恐れて鉄貨のみを利用させ、外の商人が嫌がってスパルタに来ないようにした。
だが、後の世の東の果ての島国に出来た江戸幕府は、銭不足のため銅ではなく鉄で寛永通宝銭を鋳造し流通させ受け入れられた。
通貨は何で出来ているかでは無く、誰がどのように保証するかで価値が決まる。
現に現代日本でもポイントカードなどが流行っており使える。別に日本銀行が発行したものでは無いがグループ内とはいえ、現金のように価値があり使用できるし、利用者はそのように認識している。
瓦礫でも良いという昭弥の話は間違っていない。
「極論すれば、いや事実を言っているよ。だが仕組み自体が理解されていないから無理だよ」
だが人の先入観や歴史的伝統というのは、共同幻想を補強する材料である。
紙一枚のモノに価値があると思っているのは、何時でも金貨に交換することが出来るからだ。
そして現在の所、金貨というのは非常に価値があり、元老院の通貨も新帝国通貨リラも金と交換できるからこそ価値があるとされている。
だが、金貨と交換できない通貨など誰が信用しよう。
持ちたいとも思わないだろう。
「不兌換紙幣を一部の国法銀行が発行していた。それは完全に紙くずとなり誰も信用していない。そんな物を発行したら帝国銀行を信用せず元老院銀行へ勝ちを譲ってしまう」
「では金を増やすしかありませんね」
「何処から集めるんだ。大量の金の入手先は何処になると言うのだ」
周は先の戦争で国内が混乱しているしマラーターは商売の国で商売道具の金を出してくれる訳がない。
現在の所、有望な鉱山は見つかっておらず、増産できるアテは無い。
その時、昭弥の仕事を手伝っているオーレリーがやって来て耳打ちした。
「アルカディアに近い大アルプス山脈の一角で金鉱が発見されました」




