異世界の車内
視察のために列車に乗り込む昭弥、中で見たのは
「社長、何もわざわざ自ら乗らなくても」
南岸駅のホームでセバスチャンが昭弥に呆れるように言った。
「鉄道に乗らなくてどうする」
生真面目に昭弥は答えた。
鉄オタである昭弥は、鉄道が大好きで列車に乗ることも好きだ。
最近、鉄道経営に関わるという、夢のような時間を過ごしていたが、唐突に飢餓感に
襲われた。
その正体が列車に乗っていないと言うことに気が付き直ぐに列車に乗った。すると飢餓感はすっと無くなり、幸福感に包まれた。
以来毎日南岸駅に行き、貨物駅か鉄道学園駅を往復し、週に一度は遠方の駅に視察名目で乗り込んでいる。
仕事が滞るからやめたらどうか、と口にした役員がいたが
「俺に死ねというのか!」
普段温厚な昭弥が、怒髪天を衝くほど大きな声で怒鳴り返した。
普通の人間にとっては、取るに足らないことだろうが、鉄オタ、特に重篤な症状を見せる昭弥にとっては鉄道に乗れないと言うことは、生きるなと言うことであり、死も同然。
そんな事を認める訳にはいかない。
なので、半ば公然と列車に乗っている。
それでいて仕事もきちんとこなしているので文句は来ていない。
「さて、たっぷりと楽しみますか」
「一等で行きましょうよ。なんでわざわざ三等に乗るんですか?」
「三等も鉄道の一つだ。きちんと確かめないと」
「自ら乗る必要があるんですか?」
「自ら乗らないと実態が分からない。だから乗る必要がある」
そう言って昭弥はオスティア行き列車の最後尾に付いている三等車に乗り込んだ。
三等車には既に大勢の人が乗り込んでいた。
老若男女、様々な風体の人が乗り込んでいる。
少し身なりが良い商人風の男に、白いフードの付いた巡礼服を着た老夫婦、バードを持った吟遊詩人など様々だ。
「やっぱり人が多いな」
雑然とした雰囲気に昭弥は、興奮する。
早速座席に座る。
木で出来た椅子だが、ドワーフの手により滑らかな曲線に沿って板を敷いているため、楽な姿勢で座ることが出来、身体に優しい。日本の直線的な椅子とは違う。
少々値が張るが、お客様が何回も使うことを考えれば安い投資だ。
「うんうん。いいものだ」
暫くして、先頭の機関車の汽笛が鳴った。
出発の合図だ。
車掌がハンドルを回してブレーキを解除。直後に機関車が動き出し、進み始める。
「よし、上手いぞ」
運転手と車掌が連携したファインプレイだ。
機関車が不用意に出発しないようにするため、停車中は常時ブレーキを掛けているが、出発時には直ちに解放することで滑らかに動き出すことが出来る。
「最高だ」
列車はホームを飛び出し、暫くの間東に向かった後、南に向かって方向を変え進む。
進行方向左側には、ルビコン川。川幅がこの辺りでも数リーグある大きな川で対岸が霞んで見える。
景色が次々と過ぎ去って行き、止まることは無い。
馬車鉄道は全て排除した。
走るのは早い機関車のみだ。
更に進んで行くと、信号器が見える。
機関車が脇を過ぎると、腕木が倒れた。
昭弥が苦心して考えた、信号だ。
魔術師による通信網が出来ているが、駅と駅の間しか通じない。その間列車が何処を通っているか信号所が無い限り不明だ。
そこで、一定間隔であの腕木信号器を設けた。列車が通過すると腕が倒れる。そして五分後、自動的に戻るようにしている。
こうすれば、腕が起きていれば五分以上前に前の列車が通っていったと分かる。もし、倒れていたら五分以内に通過したという意味であり、減速して間隔を開け、追突を防ぐ。
もし通過後に何らかのトラブルがあって線路上に停止しても、車掌が後方に走って後続列車に知らせる余裕があるという訳だ。
列車が高速で密集しながら走行しつつ安全を確保するために考えた方法だ。
万が一、大量の列車を走らせて輸送力を確保する、浜の赤い奴の十八番、逝っとけダイヤをやることになってもこの信号器が役に立ってくれるはず。列車と列車の間隔が分かりやすくなり、安全に運転できるだろう。
更に進んで行くと、次の駅に近づいた。
第二閉塞に近づき通過、汽笛が鳴り、機関車は減速する。更に第一閉塞を通り過ぎ汽笛が再び鳴り、今度は車掌がハンドルを回してブレーキを効かせる。
客車が機関車を押すのを防ぐためだ。
リヤカーは分かるだろうか、人が引っ張る二輪車だ。荷物を多く積んで走るように速く進むと止まるとき後ろのリヤカーに押されて止まれない事がある。
列車でも同じ事が起きる。
後ろの重い客車に機関車が押されて止まれなくなる事がある。それを防ぐために一番後ろの車両でブレーキを掛けて、リヤカーを後ろから引っ張るように止める。
機関車の運転士と最後尾の車掌が息を合わせて止めるのだ。
これを教育期間中に昭弥は徹底的に教えた。
まさか鉄オタである自分が、運転士や車掌を教えて育てるなど思いもよらないことだが、中々充実していた。
そして、教えた事を現場で実行しているところを見て、これまでに無い達成感を感じている。
「ああ、よかった」
列車は、第一閉塞を過ぎて駅の構内に入って行く。
駅の手前に閉塞を設けたのは、駅構内に入る列車を管制し易くし、列車を順次ホームに入れやすくするためだ。
ダイヤ上、駅と駅の間を走らせる列車の本数を三本以下に制限することで、線路上での立ち往生を防いでいる。
とはいっても、今はまだ、そんなに走らせられるほど列車は多くない。一時間に二本から三本ぐらいか。だが、いずれ増えることを予想して手を打っておかなくては。
日本にいた頃、昭弥は頻繁に鉄道に乗っているので事故などで列車が止まり、駅と駅の間で閉じこめられたことが数回ある。
しかも満員電車に乗っていたときに起きたことがある。
なので、絶対にそんな事が起こらないように駅を配置してダイヤを編成した。
やがて、列車は完全に停止し、昭弥は無言で感動に震えていた。
自分の行動が上手く行っている感動だった。
だが、全て上手く行くとは限らない。
その駅で昭弥の乗る客車に六人の乗客が乗り込んできた。
他の乗客と違うのは一人は杖、一人は錫杖、一人は弓、一人は短剣、一人は斧、一人は剣、一人は銃を持っていることだ。
「何だあれは」
思わず昭弥は呟いた。
「冒険者ですね。持ち物から魔術師、聖職者、狩人、盗賊、戦士、騎士、銃士といったところですか」
セバスチャンは武装を見て想像した
「いや、武器を持って入ってくるの?」
「物騒ですからね。皆大概何らかの武器を持っていますよ」
「……そうだね」
鉄道に乗っているので忘れがちだが、ここは異世界。この世界は、基本的に物騒なんだ。
盗賊が出る、獣が出る、魔物が出る、警察がいる訳では無い、助けてくれる人が近くにいるとは限らない。だから自衛のために武器を持つのは当たり前。
安全な日本とは違う。
「やっぱり武器が必要か」
必要なものを取り上げる訳にはいかない。
だが、彼らの持っている武器があちこちにぶつかる。
「うわあああ、客車に傷が」
思わず昭弥は立ち上がって叫んでしまった。使用して痛んだり、不注意で傷が付くのは仕方ない。だが、あんな大きな武器を入れてあちこちに、ぶつけるのはやめて貰いたい。
「貨物扱いにして欲しいんだが……」
よく見ると周りには大きな荷物を持った人が多い。多分行商人だ。
彼らは良くて冒険者はダメというのは、いけない。
「大きな荷物専用のスペースを客車の端に作るか」
スキー用の客車やスーツケースの客が多い成田エクスプレスに設けられているのと同じ物を取り入れようかと考えた。
だがセバスチャンに否定された。
「良いアイディアなんですけど、荷物から離れると置き引きに遭います」
客室と荷物置き場が離れる事で持ち主の目が届かず、盗まれてしまうか。
「日本のマナーと治安の良さを再認識するよ」
マナーとか風習とかは、こういう所で役に立つ。車両や線路だけで無く、車内マナーの確立も早急に必要だな。一応、法律や規則は作っているが、乗客に浸透させ良い車内にするには時間がかかりそうだ。
「せめて荷物車に持ち込んで預かるようにしておこうか」
客室に入れるのが難しいし、盗まれるというのなら乗務員の監視が出来る荷物車に預けるように変えた方が良いか。
そんな事を考えていると、杖を持った魔術師らしき冒険者が呪文を唱えて火を生み出した。
「車内で火をおこさないで下さい!」
昭弥は大きな声で叫んだ。
車両は木製だから火事になったら一大事だ。
「魔法の火だ。呪文で呼び出しただけで火打ち石でおこした訳では無い」
確かに車内で火をおこしてはいけないと書いてあるが、魔法を使ってはダメとは書いていない。
「火災になる危険があるので魔法でもやめて下さい」
規則の改定が必要だと昭弥は実感した。さらに異世界だから、それに合った規則が必要だ。
「やっぱり日本の感覚が抜けないな」
肩を下ろしながら昭弥は呟いた。
「嫌になりました?」
「いや、むしろやる気が出た。鉄道を広めるためにもっと見なくては。今後も視察は続けるぞ」
「逆効果だったか」
セバスチャンは溜息を付いた。
更に列車は進んで行くが、突然昭弥の足に何かがぶつかった。
「うん?」
見てみると陶器で出来た容器だった。後ろのお客様が転がしてもしまったのか。
「転がってきましたよ」
昭弥は声を掛けて渡した。
「ありゃ、転がっちゃったか、丸っこいから後ろに転がりやすいんだよな」
「え?」
床に置いていたのか。座席にはきちんとテーブルを用意している。折りたためない小さいものだがコップぐらいならおける。通路側で遠いからか。ならば、座席にカップホルダーを着ける必要があるな。
「叩き壊しておいた方が良かったか」
「ってゴミを捨てていたのか!」
叫んだ後、周りを見回してみる。座席の下は結構ゴミが溜まっている。野菜や果物の皮や紙くず食べ物のカス、陶器の破片。
床が汚れていた。
「ゴミ箱は設置していたよな」
「設置しましたけど、遠いのであまり使っていないようですね」
「遠いって……」
車両の両端にあるけど近いでは無いか。それに降りるときに纏めて出せば良いだろう。
「そういうことよく分からなくて。大体、皆床に捨てますし」
これが習慣の違いか。
日本も列車にゴミを捨てる習慣があったと言うが、改善運動で良くなった。
「マナーも導入しなければ」
昭弥は硬く決意した。
やがて列車は、その日の終着駅に着いた。