裏切りの意味
凱旋式が行われた後、ユリアは将兵の歓呼と共に元老院から皇帝に即位することを承認された。
即位後の祝賀会が開かれ、帝都にいたほぼ全ての国王、貴族が帝城に集められた。
「お姉様ああああああっ」
皇帝を示す赤いマントを着て現れたユリアにコスティアは一直線に走って行き抱きしめた。
「ああ、お姉様の凛々しい姿を久しぶりに見られて幸せですわ」
「前にあってから一週間も経ってないじゃないの」
「ええ、一週間近くもお目にかかれなくて寂しかったですわ」
彼女の頬ずりは止むこと無く、ユリアを自分の胸に抱き寄せて王冠の載った頭を頬ずりしている。
「コスティア様、そろそろ」
近くにいたラザフォードが促すと一瞬コスティアは殺意の籠もった視線を向けたが、別の目標を見つけてそちらに向かった。
「おい、ゴミ」
コスティアはドスの効いた声で昭弥に話しかけた。
「まだ生きていやがったのか。ゴミの分際でお姉様の近づいただけでも死に値するのに、自殺せずにオメオメ生きていやがるんですか。いっそあたしが刺し殺してやりましょうか」
「はあ」
再びの睨み付けに昭弥は呆れた。そして尋ねた。
「あのユリアさんが皇帝に就いたのはどう思います?」
「当然でしょう。姉様の他に皇帝なんて考えられません」
真面目な顔になってコスティアは答えた。
「ユリア、ユリア様に皇帝は似合わないという考えとかは」
「ある」
きっぱりとコスティアは断言した。
「皇帝なんかでは物足りない。と言うよりあのクソ兄が就いていた穢れた皇帝位などユリアお姉様が穢れてしまう。偉大なお姉様少なくとも神が相応しい。出来れば全ての神をひれ伏せさせる絶対神、最高神が相応しい」
そういう意味か。
似合わないというのは力不足ではなく、役不足という意味で使っていたのか。それも信仰レベルで。
「はあ。私を救ってくれたお姉様は、まさに女神。お姉様に危害を加えようとした馬鹿兄を成敗しようと思いましたが、先手を打たれてしまいダキアへ嫁ぐ事になって仕舞いました。しかし、お姉様に教えていただいた剣術で不埒者達を蹴散らし、再びお会いできました。何と言ってお礼をすれば良いのか分からず、唯々抱きしめる以外に恩に報いることが出来ません」
陶酔して語り出すコスティアをみて昭弥は呆れた。
「もしユリア様の事を田舎娘とか怪力女とか脳筋バカとか言う人がいたらどうします」
「刺し殺す」
殺意の乗った声でコスティアは即答した。
余りにも純粋すぎる殺意に恐怖を通り越して清々しささえ感じてしまう。
「帝位に就いた馬鹿兄が、そんなこと言ってやがったので殺して馬鹿を直してやろうと思ったんですが、失敗してダキアに飛ばされた。二度と間違いは犯さない。今度そんな事を言う奴はその場で殺してやる」
トラキア侯爵はコスティアの言葉の意味を取り違えてユリアを貶し、自分の死刑執行書に舌でサインをしてしまったのか。
で、カッとなって殺害してしまった。何というか、ものすごくつまらない理由で人を殺すコスティアに昭弥は戦慄した。侯爵を殺した証拠もなにも無いのだが、コスティアが犯人だと昭弥は確信していた。
「さっきからお姉様のことを馬鹿にする言葉を話しますねゴミ。お姉様のことを馬鹿にしているのかクズ」
「違います!」
「本当か?」
コスティアは昭弥を睨み付けつつ近づいた。
マイヤー隊長もユリア大好き人間だが、あの人は場所を弁えている。だがこの人は一切隠す気も無いし行動も直接的だ。どちらかというとオーレリーの駄メイドと同類だ。
出来ればお近づきになりたくないが放してくれそうも無い。
「コスティア、近すぎない?」
「ひっ」
だがユリアに睨まれてコスティアは昭弥から離れた。
笑顔なのだがユリアの背後にどす黒いオーラが立ち上っている。
「す、済みませんお姉様、勝手に離れて」
すぐさまコスティアは昭弥を放してユリアに近寄った。
「折角の再会を台無しにしてしまって」
そう言って再びユリアを抱きしめるコスティアだったが、ユリアは心底迷惑そうだった。
「はあ」
祝賀会が終わって、全ての客人を送り出し新たに居室となった帝城の奥でユリアは溜息を吐いた。
「お疲れ様です」
「あ、ありがとう」
昭弥がお茶を手渡すと疲れていた顔が一変して輝く笑顔になった。
「大変だったでしょう」
「ええ、コスティアがしょっちゅう抱きついてきたから。お互いに」
「ははははは」
昭弥は乾いた笑いで応じた。死と隣り合わせの抱き付きなど二度、いや三度はゴメンだ、と心に付け加えて。
「ところで前に言っていたコスティア様が『裏切り者』というのは、どういう意味でしょう」
話題を変えるべく昭弥がユリアに尋ねると彼女は怒りと悲しみの表情を浮かべて語り出した。
「十年以上前になるわ。私が父に連れられて初めて帝都に行った時フロリアヌスからイタズラされ不快な思いをしていたよ。返り討ちにしても不快な記憶は残るので」
微妙に内股になりながら昭弥は神妙にユリアの話しを聞いた。
「気晴らしに園庭を歩いていると小さな女の子が茂みに隠れていたの。それがコスティアだった」
「どうして隠れていたんです?」
「側女が産んだ子で他の子との折り合いが悪かったの。特にフロリアヌとは酷く悪かったわ。気弱で、身体も小さくて貧弱だったので身を守れなかったの」
フロリアヌスの異母妹との話しだったがそういう事情なら仕方ないだろう。
「だから私が身体を鍛えるために稽古をつけてあげたの」
「え……」
昭弥は絶句した。
勇者の血をひき、力を受け継いだユリアは日々の稽古を欠かさない。
その稽古は過酷で魔力の消耗の激しい魔法を使いつつ全力疾走したり、城壁を飛び越えたり、千人抜き――千人の近衛兵が身体のどこかに身につけた素焼きの陶器のみを制限時間内に兵士を傷つけず破壊する、など過酷としか言いようのないものだ。
さらに時折演習場で大規模破壊魔法を展開したり、ジャネット魔術師の容赦ない魔法攻撃に耐えるなど常人では耐えきれないものだ。
「わ、私も自分と同じ事をやらせてもダメだということは分かっていたわ」
昭弥の絶句の意味を理解してユリアは慌てて補足し話を続けた。
「レイピアの型稽古と稽古の前の体操やトレーニングを教えたのよ」
「それでも過酷なような」
ユリアの武器は大剣だが、時折レイピアなど他の武器の稽古もやる。レイピアは一突きしただけのように見えて、実は数十回も突いている上、速度が速すぎて的をハンマーで叩いたように完全破壊してしまう。
一般人に出来るとは思えなかった。
「一通り基本の型を教えて後は自分で練習するように言ったわ。そのお陰か後から送られてきた手紙を読んだら、他の子に虐められる事は無くなったみたい」
「良い話ですね」
「けど、コスティアは裏切ったのよ」
「え?」
「二年後、再び帝都を訪れた時コスティアは、すっかり変わっていたわ」
毒舌を吐き、誰彼構わず睨み付ける娘になったのではユリアも嘆くか。
「私より二歳も年下なのに身長が伸びて追い抜いていたの」
「そっちかい!」
思わず昭弥が突っ込んだが自分の世界に入り込んだユリアは止まらなかった。
「私よりチビでガリガリだったのに……身長が伸びているのよ。手足もスラリとして顔も整って。身体も細いのに、出るところは出ていて」
ユリアの一人語りは止まらない。さらに内容が痛々しいため耐えられず、同じ部屋にいたエリザベスに救いの手を求めた。
(エリザベスさん、何とかして)
(こうなった姫様は誰にも止められません)
ユリアのメイドであり親友であるエリザベスも手が付けられないようだ。
「と、特に胸なんて手で掴めるくらいあったのよ。あたしがあまり成長しないのに、いえ一寸ずつ成長しているのに、あの子はそれ以上のスピードで年上の私を抜いて成長したのよ」
ユリアの話す内容はドンドン痛々しくなっていく。
(エリザベス、兄として命じる止めろ)
(兄としての威厳を見せるために自分で止めて)
昭弥は自分の姉か妹にあたるエリザベスにアイコンタクトで命じるが拒絶された。
「な、なにより、わ、私よりデカくなってメロンのように大きくなったのよ。こ、これを裏切りと言わず何というの。そのくせ、今の私があるのはユリアお姉様のお陰です、と言って抱きついて自分の胸を押し付けてくるのよ。酷いとしか言い様が無いわ。毎回毎回、私に対する当てつけか! 毎日よりハードな稽古ををしている私より、どうして成長するのよ!」
本人にとっては感謝でも相手には迷惑、という事が良くある。
ユリアとコスティアの関係が正にそうだろう。
ユリアはコスティアのために身体の鍛え方を教えた。だが、予想以上の結果となりコスティアのユリアへの感謝は信仰レベルに。それも、殺人を犯すレベルでだ。彼女の感謝の気持ちは本当だろう。
だがユリアとしてはこの結果は不本意きわまりないだろう。
(お姉ちゃん何とかして)
(自分で解決しなさい昭弥)
遂に泣き始めたユリアに昭弥はいたたまれず、下手に出てエリザベスに懇請したが却下されてしまった。
「口では私の事好きだとか崇拝していると言っているのだけど。同じ場所にいると私の事を追いかけてくるのよ。しかも私と同じ金髪碧眼だから、誰もが私とコスティアを見比べるのよっっっっ」
(何とか出来ません?)
(全部吐き出さないと後々グチグチ言うからもう少しスルーで)
エリザベスにも止められない勢いでユリアは口から愚痴を吐いて行く。
「しかも、『お姉様と、お揃いが良い』とか言って私と同じタイプと柄の服を着てくるのよ。お陰で何もかも違いが強調されるのよ!」
確かに服装が同じだと体型の違いがより強調されてしまう。
ユリアの心中は察するに余りある。
遂にベットに俯せになったまま大泣きしはじめた。
(ホラ行きなさい)
(分かっている)
エリザベスとアイコンタクトを終えた昭弥はベットの上で俯せになって泣き崩れるユリアの元に行き頭を撫でた。
「大丈夫ですよユリアさんはコスティアさんより素晴らしいですよ」
「気休めは要らない!」
「確かにユリアさんより綺麗でスタイルも良いでしょう。けど、私を信頼して様々な事をさせてくれるのはユリアさんだけです。私にとって本当に感謝を述べたいのは、大事なのはユリアさんです」
「昭弥」
そう言って二人はお互いを見つめ合った。
一方残されたエリザベスはやれやれという表情でその場を後にした。




