講和
三月の晴れたある日、西原平原の中央、両軍が対峙する戦線の中間地帯。
周皇帝文武帝がリグニアに対して講和を唱えたところ、ユリアより受け入れる返答があり交渉は一挙に進行した。
すぐさま休戦協定が締結され両軍の即時交戦停止、現状維持が確約され講和交渉の開始が合意された。
そして今、交渉が始まろうとしている。
両軍進撃停止が命令された場所で停止し、双方武器を携えて対峙している。
銃口を相手に向けることはしていないが互いに相手に舐められないよう精一杯、虚勢を張っている。
周軍は先日の大敗北にもかかわらず多くの兵力を集め、自分が健在であると示そうとした。打つ手がなくなったとはいえ朝貢国や蛮族に周の不利を悟らせてはならないからだ。
リグニア軍も先日の戦闘では勝利していたが補給が続かずこれ以上の軍事行動が限界である事を、周に知られないよう出来る限り兵力を集めている。
特に先日投入された巨人兵の重装甲歩兵が先頭に立ち、ガトリングを構えて周軍を威圧している。
だがリグニア軍も全てにおいて万全という訳ではなかった。
重装甲歩兵の食料こそ十分に供給されているが部隊数が少なく、彼らはここ数日連戦の為疲労しており今後の戦闘に不安があった。
それでも周軍に刻み込んだ恐怖を煽るために完全武装で前方に立たせて威圧していた。
白い雪原に立つガトリングを持った黒い服と装甲板の異様な人型に周軍は息を呑んだ。
人間至上主義の周では巨人族や獣人は人権が認められず、ケモノとして扱われ場合によっては駆除の対象になる。寧ろ人間の生存圏を脅かす者として排除されている。
そんな駆除の対象が装甲を着込み武装しており、対抗手段が無い事が周の兵士にプレッシャーをかけていた。
実情を知るリグニアの指揮官にとっては冷や汗ものの状況であり、珍しく晴れ渡った空にもかかわらず、不安の黒い雲が心の中で湧き上がっている。
そんな中、両軍の陣地からそれぞれの交渉代表者が歩み出して中央に用意された交渉のテーブルに着こうとした。
交渉の為に用意されたのは文字通りテーブルと座るための椅子のみ。
他にはテーブルを雪原に置くための板とそれを覆う絨毯、風から逃れるためのテントだけだ。
両国の代表者は双方の陣地より歩み寄り随員を外に残してテントの中に入ると抱き合った。
「王氏!」
「マルケリウス!」
戚とマルケリウスはテントの中で抱き合った。
「会いたかった」
「私もよ。大攻勢で敗走したと聞いて心配したわ」
休戦協定の中に講和交渉の代表者の指名も行っていた。リグニア側が戚を指名し、代表者もマルケリウスにしたので二人の再会が実現した。
「僕も解任されたと聞いて心配した。元帥に結婚のことが知られて通報されたみたいだ。済まない」
「仕方ないわ。私もあなたの軍を打ち破るために戦争を指揮したのだもの」
「それは祖国のためだろう。私は気にしていない」
「私も気にしてはいない」
そう言って再び力強く抱きしめ合い互いの愛情を確認したが、それが何時までも続けられない事は二人とも分かっていた。
だから二人ともゆっくりと離れてゆき、無言でテーブルに着いた。
「リグニア帝国軍中将アンミウス・マルケリウス。講和交渉のリグニア代表となりました」
「周大将軍戚王氏。講和交渉の周帝国代表となりました」
互いにそれぞれの元首、皇帝の全権委任状を見せて代表者である事を示した。
「講和条件はこちらの通りです」
「拝見します」
マルケリウスが渡した書類を戚は素早く読み取る。
1.双方現状を維持し、その中間線を新国境とする
2.新国境から双方五〇キロを非武装地帯とし軍隊を置かない。ただし少人数の国境警備隊は別とする。
3.三年間の相互不戦
4.九龍王国は存続させ周への朝貢を行う。ただし新国王はリグニア帝国が指名する
5.相互の内政への不干渉
6.双方首都に大使館の設置
7.捕虜の即時解放
8.双方無賠償、無謝罪とする
9.新たな協定を結ぶときは双方の合意を必要とする
要は戦争を止めて捕虜を返還して現状を維持しましょう。
互いに何かをするときは話し合いで決めましょうというものだ。
「全て受け入れます。問題ありません」
戚は全条件を認めた。
勝手に開戦した上に西原平原南方を占領しているリグニア帝国に都合が良いが、周帝国には占領地を奪回する余裕は無い。再び戦争になれば帝京を攻め落とされる事さえ考えられる。
一方のリグニアにしても一度は帝京に迫ったが大損害を出している。それで得られたのは一部だけ。非常に得るものが少ないが仕方ない。
とりあえず双方が合意できる内容だった。
「分かりました。ではサインを」
そう言って二人とも自分の名前をサインした。ただ、戚だけは周の公印を追加で押した。
周では名前の他に公印を押さなければ有効な書類と認められない。
それぞれが保管するために同じ書類数枚に同じ作業を行い調印を終えた。
「これで戦争は終了しましたね」
「そうね」
二人は立ち上がると固く握手を交わしたが、直ぐに互いを抱き寄せた。
「ずっとこのままでいたい……」
「僕もだよ」
二人は互いに言葉をかけるがそれが不可能な事も知っていた。
戦争は終わったが互いに軍務があり、それぞれの国に戻り義務を果たす必要がある。
「でも、いつか」
「うん、いつか」
それだけ言うと自然と二人は離れ、揃ってテントから出て行った。
「なあ」
「何だ?」
テントの外で待たされることになったマルケリウスの随員ブラウナーが同じく戚の随員である兪に話しかけた。
「二人の事は聞いているか?」
「……直接お聞きしたことは無い。ただ、幾度か西の方角を見ていたことはあったし、指輪を見ている時があった。直ぐに隠したが」
「売国奴とは思わないのか?」
「戚大将軍は英雄だ。敵将と結ばれていたとしても、その後周をお救いになった事に変わりは無い。そちらも同じだろう」
「まあ上官としてみると危うさを感じるな」
「? どういう事だ?」
「マルケリウスとは長い付き合いでね。階級抜きの付き合いだ。だから公私共に一緒にいることが多いんで、酒の席で弱音を吐いて少し不安になる事もある。まあキチンと仕事をしているから良いけどな」
「……そうか。羨ましいな」
「うん?」
ブラウナーは真意を尋ねようとしたが、二人がテント内から出てきたので聞きそびれてしまった。
戚とマルケリウスはお互いに視線を合わせず別れると互いの陣営に向き直り大声で伝えた。
『講和条約は成立した! 最早戦いは無い!』
二人がそれぞれの国の言葉で伝えると両軍から歓声が沸き上がった。
そして条約文を持ったまま二人は互いに背を向け自分の陣営に戻って行く。
「全く、不器用だね」
ブラウナーは呆れながら兪は無言で、それぞれ随員として代表者の後に続いた。




