南方軍集団司令部
「あははははっ! これだけの氷上船を押しとどめることなんて出来ないでしょう!」
司令部から氷上船が突撃して行く姿を見て呂は高笑いした。
氷上船は確かに火に弱い。だが大量の火龍を積み込んで移動砲台として使うことが出来る。
呂は氷上船を前進させて後方の陣地へも雨あられと火龍を降らせて火力の密度を上げ黙らせようとした。
その間に歩兵を突入させて敵の前線を占領しようと考えた。
何だったら氷上船を直接陣地に乗り付けても良い。氷上船の予備は、まだ有る。
しかし進撃していた味方の歩兵がいきなり雪原に伏せた。
「どうしたの地面に伏せて」
「敵の連発銃のようです」
後装銃とガトリングの銃撃で前進できず伏せる者が多かった。
「兎に角前進させなさい。氷上船も前に進ませて。何なら敵の陣地に突っ込んで」
「ですが味方撃ちになる可能性が」
「味方に殺されたくなければ敵を殺せば良いのよ。兎に角前進させて。火龍も撃ちまくって」
呂の命令で火龍が放たれ、兵士達は前進する。氷上船も前進して陣地に乗り付けようとした。
だが、その時呂は一つ気が付いた。
「どうしたのやけに左翼に部隊が集中するわね」
「敵の配置が手薄なようです」
「だったら嬉しいんだけど」
能力が無くても疑問を抱くだけの才能いや勘だけは呂にあった。
右側の敵の攻撃力が強いのか、それとも別の理由か。
そう思ったとき疑問の答えが呂の目の前で展開された。
「敵が予想通り南に集中しました」
「そうか、良かった」
周軍が南の方に集まり自分たちの集中攻撃を受けて炎上している姿に、ガブリエルは安堵した。
「参謀本部と南方軍集団司令部からの通達の内容は間違っていなかったな」
氷上船を使っている周軍は南に戦力が集中しやすい。
それが南方軍集団司令部の出した通達だった。
氷上船は凍り付いた大地を帆に風を受けて滑るように進む。
そのため風の影響を受けやすい。
冬季の西原平原は北からの風が強く、風は北から南へ流れて行く。氷上船も北からの風を受けるので南に流されやすい。
故に氷上船を主力とする周軍も同じく影響を受けて南に部隊が集中しやすい。
北から攻撃を始めたのも南に部隊が行きやすい集中しやすいが、北に行きにくいためだ。
そのため南側を故意に陣地を後退させておく。すると周の氷上船は抵抗の少ない方角へ向かう。それが風下なら尚更だ。
そうして周の兵力を集中させ陣地の南端あたりに予め杭を打ち込んでおいて足止め、砲撃で仕留める作戦を実行した。
結果は予想通り全て上手く行き、ガブリエルの部隊は周軍の攻撃を撃退した。
九龍山脈東方、麓の町に置かれた南方軍集団司令部には前線から報告の波が押し寄せていた。
電信や電話、鉄道による郵便などで次々と運び込まれている。
戦闘詳報に救援要請、物資の集積情報、敵情報告、輸送要請など様々な連絡が入りそれらを分類、分析してしかるべき場所に送られ対処を行う。
時系列が逆になった通信文や先の通信の訂正文もあり、司令部は混乱の一言だ。
それでも参謀長のマルケリウスは適切に通信文を読み取り正誤を判断し処理して行く。
彼の仕事は必要な情報を集め戦況を纏めて総司令官に報告し、受けた命令を関係各部署に送ることだ。
その作業にマルケリウスは没頭していた。
「戦況はどうかのう」
声を掛けられたので振り向くと誰もいなかった。
「……こっちじゃ」
下から声がして視線を下げるとヴィルヘルミナ元帥がいた。
「失礼しました。現在、予定通りに進んでおります」
敵の攻撃は想定された期間に始まった。準備の時間、攻勢の時間、残敵掃討、各地への補給と兵力の移動。それらの時間を考慮すると今しかない。
今年の冬が早く始まったと言う事を考えても周が攻撃できるのは今だ。
「各地の防御は進んでおります。予め構築した防御陣地が機能しているようです」
「兵力不足で戦線の間はスカスカじゃが?」
戦況図を一目見てヴィルヘルミナは指摘した。各所の陣地の隙間から周の軍勢が入り込み後方へ進撃している。
「各地の防御陣地は孤立しても籠城できるだけの広さと物資を蓄えています。暫く孤立しても継戦可能です」
鉄道での補給と現地調達に頼っていたため最近の帝国軍は孤立すると弱かった。
だが鉄道により大量の建築資材と食料弾薬を運び込む事により長期間に渡って籠城できる陣地を短期間で構築できた。
「しかし、あちこちで突破されて後方に回り込まれると大変じゃろう?」
実際多くの周の部隊が後方へ進出していた。
「ええ、ですが鉄道の操車場や分岐点は予め拠点化しており防御できます」
マルケリウスの言うとおり突破した周軍の先には幾つか拠点、鉄道の操車場や分岐点があり、そこも防御陣地が構築され、いずれも陥落していなかった。
「それらに敵が集まってくる可能性があるのじゃが」
ただ突破した部隊がそうした陣地に集まって攻撃してくると厄介な事になる、とヴィルヘルミナは危惧していた。
「周軍には不可能です」
しかしマルケリウスは否定した。
「? どうしてじゃ?」
「この戦術の良いところは単純な事です。兵士は火龍を用意して撃って、あとは真っ直ぐ突撃して長い距離を進めば良いだけです」
「簡単すぎるのう」
「ですが有効です。ですが弱点でもあります。曲がることが出来ないんです」
「確かに氷上船じゃと風上に向かって進むのは難しいが、多少の無理は出来るじゃろう」
「いいえ、この戦術だと周軍は途中で曲がることは出来ません。というより出来ないんです。不可抗力でも無い限り、前線の兵士は真っ直ぐ進むだけです」
「何故じゃ?」
「この戦術の成否は遠方に短時間で歩兵を送れるか否かです。それが出来なければ鉄道の要所を押さえられず、援軍が届いてしまうので負けてしまいます」
実際にルテティア帝国は幾つかの拠点では防衛に成功していた。だが鉄道網、特に分岐点や操車場を抑えられて救援が送れず結果的に降伏する部隊が多かった。
帝国軍が町や村の占領を重視して郊外に出来た操車場の守備に重点を置いていなかったのも原因だった。
「残念ながら我が帝国軍の将兵は、鉄道の操車場が重要とは思っていませんし」
「そうじゃな。鉄道の防衛など考えたことも無かったわい。操車場と町では町の方を優先してしまう」
マルケリウスの意見にヴィルヘルミナも同意した。
帝国軍はこれまで食料などは現地調達していた。その物資が豊富にある場所が町なので町を占領することが多い。更に寝床に出来る建物も多いし周辺の村々との結びつきが強いので町を占領すれば周囲を支配下に置くことが出来る。
さらに周の町は城市といって城壁で囲まれているため守りやすい。
そのためこれまで無かった鉄道を守ろうという考えが思い浮かばず鉄道にとって重要な分岐点や操車場を占領され、補給を絶たれていた。
補給は届いて当たり前、という意識も出来てしまったこともあり鉄道を守ろうという意識は少なくとも連隊長から軍団長レベルでは少なかった。
「そこで重要な場所、分岐点や操車場を拠点化して守っています」
「敵が突破口から拠点の後方へ部隊を移動させてくるとは考えんのか」
「周軍には不可能です」
「敵を侮ると痛い目を見るぞ」
「いえ、これは事実です」
たしなめるヴィルヘルミナに対してマルケリウスは冷静に答えた。
「周軍が部隊を真っ直ぐ進ませるのは直線に走らせれば早く目的地に到着出来るという事もありますが、最大の理由は部隊に曲がるように命令が出来ないのです」
「どういう事じゃ?」
「我が軍には電信がありますが、敵にはありません。また魔術師も殆どいないため、総司令部と前線部隊の間に連絡手段が皆無なのです」
周では魔術師は人を惑わせる者という理由で一時期弾圧されたため、殆どいない。一部魔術を使う人間もいるが術者自身の能力向上、体力増強、身体の一部分を硬化などが主でテレパシーはない。
「司令部の命令を受けて違う場所に向かうのはほぼ不可能です。と言うより伝令が追いつきません。最大速度で移動しますから」
一箇所の拠点で防ぐことが出来れば、後続も通すことはない。左右がスカスカでもだ。
呂が本来なら陣地占領後に後方へ進撃するはずの部隊を落ちていない陣地に攻撃を行わせたのも、他方向へ向かわせる事が出来ないからだ。真っ直ぐ進むこと以外、命令されていなかったから。それが周軍の弱点だった。
「それでは互いの援護ができんではないか」
「だから、百キロ単位で突破するんです。最大速力で進んでも左右が味方なら問題無いでしょう。それにこちらは兵力不足ですから一度突破すれば有力な反撃を受けることもありませんでしたし」
「冷静に自軍の弱点を語るな。事実じゃが」
失礼しました、とマルケリウスは言って説明を続けた。
「なので周軍は真っ直ぐ進む以外に方法はありません。というより出来ないのです。数百万の軍勢を予め配置に付かせ、予定日時に進撃するよう命令し真っ直ぐ進ませるだけです。自由に動かせるのは精々手元にある総予備ぐらいです。それも一度出撃させると殆ど連絡不能です」
原始的な手段でありながら周軍は数百万の軍勢を動かしていた。
総司令部の行う事は作戦開始場所、進撃方向、開始時刻を定めるだけだ。あとは結果を待つだけ。簡単なようだが全て決められているため作戦開始後の変更は不可能。齟齬があったら全てが破綻する危険のある戦術だった。
一応、各地の司令部が調整したり万一の時修正することになっていたが、数百万の周軍を動かすには能力と技術のある将軍が周に少ない事もあり、柔軟な運用が出来なかった。
だが、それも織り込んで戚は作戦を立てて実行し成功させてきた。
「そうして広大な土地を奪回、占領します。帝国軍は溢れる周軍の中で孤立し戦死か降伏しかありません。折角の鉄道も敵が多い上に鉄道網が破壊されて援軍も運べませんから」
「今回は違うと?」
「はい、方向転換や列車の編成に使う分岐点や操車場を確保出来ますから。そういう場所は修理の手間が掛かります。単純に二本のレールを敷けば良い他の区間なら、破壊されてもレールを直せば簡単に済みます」
実際、分岐点のポイント敷設は大変な工事だ。多方向からやって来るレールを上手く繋がないと乗り心地が悪くなるし最悪の場合、列車が脱線する。
操車場も小さい面積に多くのレールを置くだけだが施設の充実度、馬車が通り易いようにレールの間に板を置いていたり、クレーンが有るか無いか、それらの点で荷役能力、荷物を列車に積み込んだり下ろしたりする能力が違う。それは援軍を素早く送り出す能力にも関係しており無視できない事実だった。
「そうした点、重要施設を守っている拠点を結びやすくしているので迅速に援軍を送れます」
「その援軍の方はどうじゃ?」
「それなんですが」
バツが悪そうにマルケリウスが答えた。
「吹雪が発生し、何時止むか分かりません。そのため援軍を運ぶ列車に遅れが出ています」
雪に強い鉄道だが、台車や車体にかかる程積もると走行不能になる。
現在九龍山脈周辺での積雪は二メートル。定期的に除雪しており補給線は確保している。しかし西原平原に散らばる各陣地まで離れている事と、敵の進撃による妨害があって援軍の到着は遅れ気味だ。
「増援到着に遅れが生じます」
「大丈夫かのう」
ヴィルヘルミナが心配しているのもその点だった。
彼女は先ほどハレックに鉄道の運行状況を確認していたのだが、吹雪でダイヤが乱れ援軍を送れない、補給が行えないとヒステリックに叫んでいた。
吹雪で無理だ、動かせない、だからこれでは足りないと言ったんだ、俺に全帝国の鉄道を寄越せ、と電話の向こうから声が流れて来て当分無理だとヴィルヘルミナは悟っていた。
それでも鉄道総監として除雪車を手配して送り出したり、昭弥が送ってきた追加の列車、そして前線から帰ってきた機関車を素早く掌握し、優先順位を付けて補給と援軍派遣を手早く片付けたのは流石、鉄道の軍事利用第一人者と言えた。
それでも限界はある。
出来ない事は出来ないのだ。
「現在の状況でギリギリ間に合う予定です」
報告書を睨みつつ鉄道の到着予定時刻と各拠点の備蓄と予想消費量を計算して、マルケリウスは答えた。




