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毒ガス

 それは、北方軍集団の一部隊で起きた。

 上がらぬ進撃速度に業を煮やした一部隊が、後方から持ち込んだある兵器、いや物質を使用した。

 その物質は塩素だった。

 ルテティアでは産業の発達、特に製紙業、織物産業が発達し原料となるパルプや繊維類の漂泊に塩素を使っている。そのため塩素は産業に欠かせない物資であり、大量生産が行われていた。

 近代毒ガス戦が初めて行われた第一次世界大戦イプール会戦でドイツ軍が先に塩素ガスを使用したのも、当時のドイツが化学工業で世界最先端を行っており、大量の塩素を工業用に生産あるいは副産物として生成していたからだ。

 今回も同じ事となった。

 彼らが毒ガスを使用しようと考えたのは塹壕に籠もって戦う周の兵士を容易に無力化するためだ。

 銃撃は壕の奥や底を攻撃する事は出来ないし、砲撃は命中しにくく、全滅させるにhあ膨大な弾薬量が必要で輸送に多大な労力が必要であり、補給が困難となる。

 だが毒ガスなら、必要な砲弾の量に比べれば少なく、輸送が容易だ。しかも壕の奥や底へ侵入し効果を発揮する。

 戦闘ではボンベに詰めた塩素ガスを風下に向かって放出するだけの簡単な方法がとられたが、効果は絶大だった。

 突然の塩素ガス攻撃に対応出来る装備など無かった周軍に対して行われたため、完全な技術的奇襲となり、大打撃を受けた。

 防衛の為に配置されていた周軍二万人に死傷者が出て戦闘不能となって戦線に穴が開き、突破に成功。帝国軍は結果的に進撃出来た。

 失敗があるとすれば、局地的に逆風が吹き毒ガスが味方の陣地に戻ってきて実行部隊にも二〇〇〇人の死傷者が出てしまったこと、ガスマスクなどの防備手段を用意しておらず進撃したら残留ガスで死傷者が出たこと、予想以上の効果により十分な進撃の用意が出来ていなかったため、戦果を拡大出来なかったことである。




「クソッ、なんて物を使いやがるんだ!」


 昭弥は毒ガスが使われたことを知って悪態を吐いた。

 確かに有害な化学物質が出るのは近代工業で仕方が無い。製品製造の過程で出てくるのは化学合成上、防ぎようがない。

 故に取り扱いは厳重にやっていた。

 だが、それを無に帰するような行為は何とも許しがたい。


「そう悲観することもない」


 怒りを放つ昭弥にラザフォードは声を掛けて落ち着かせた。


「しかし、今回の行動で講和交渉が挫折しました」


 状況の好転を可能とする武器が手に入った帝国軍は交渉の席に着かないだろう。砲弾を輸送するより手軽で、効果的な毒ガスを多用する可能性が高い。

 周も混乱して交渉どころでは無いかもしれない。


「だが、今回の毒ガス攻撃は味方の評判も悪い」


 帝国軍の中には一種のプライドのようなものがあって卑怯な武器、毒を使うことは卑怯者という考え方がある。毒は弱者が使う武器というイメージがあり、使う奴は弱い奴、強い帝国軍には不要という考え方が根強かった。

 今回、使った部隊にもプライドはあったが、遅々として進まぬ戦闘に苛立ち、やむを得ず使用したという感覚だ。

 一時の思いつきという感じだったが、そのために他の部隊からの反発は強力だった。


「特にヴィルヘルミナ元帥はお怒りでね。強烈に非難している」


「栄光ある帝国軍において毒ガスを使用するとは。我々は何者だ。帝国軍将兵では無いのか。毒を使うなどそこらの野盗さえも行わない。卑しい暗殺者風情に身を落としてそれで誇れるのか。これ以上の不名誉を重ねる必要は無い。即刻中止するべきだ」


 帝国軍最年長の元帥がこのように言っては、さすがに毒ガスの再使用は行わなかった。

 更に意外な応援となったのは新聞だった。

 昭弥が鉄道の収入源にと考えた新聞事業、印刷事業により多数の新聞社が出来ており、ルテティア王国のみならず帝国各地へ配送、また帝国各地にも新聞社が出来つつあった。

 その彼らにとってこの戦争は一番のスクープであり、多数の従軍記者を出していた。彼らがもたらした記事は直ぐに紙面に載り、賑わせた。今回の毒ガス戦も書かれ、各地で帝国軍に対する批判が載せられた。

 次期作戦に備えて大量の備蓄を行っている部隊があったが、直ぐに取りやめることとなる。


「他にも理由があるが、まあ何とかなるだろう。それと戦争を止めようという意識も働いている」


「どういう事です?」


「これ以上進軍しても成果が得られないのではないのかという思いがある。寧ろ損じゃないのかと」


「しかし、進軍すれば領土が得られるのでは」


「それを獲得するためにどれだけの戦費が掛かる。いくら売れる商品を高値で買っても、売値より安くしか売ることが出来なければ損だ。特に最近は弾薬の消費量が多くて戦費がかさみがち。そろそろ手打ちにして利益を確定させたいだろう。特に占領地を保有する諸侯にとってはな」


 主君に領地を認めて貰う代わりに戦争に力を貸すのが封建国家だ。

 そして戦争に加わったら報償が無ければ働かない。義務と対価だと言っても人にやる気を起こすような報償を与えなければ人は簡単に手を抜くし、働かない。

 諸侯が戦争に喜んで加わっているのは彼らが、新たな領地を得られると言う動機からだ。だが損をしてまで欲しいとは考えていない。

 特に現時点で十分な報償、領地候補の占領地を得ている諸侯は、占領地を確保したいので講和を望んでいた。

 株が高騰している内に売り抜いて利益を確定させたい投資家の心理と同じだ。


「何とか、それらの勢力と話し合いを行って結びつけてみよう。君は周との接触と交渉を続けてくれ」


「はい」




 数日後、西龍にてルテティア王国の御前会議が行われた。

 皇帝の親征と言うこともあり、さらに戦地に近く情報の遣り取りが出来るので西龍へ、閣僚などの重要人物を駐在させていた。

 今回の議題は、帝国に対する周への講和勧告だ。


「しかし、実行可能な方法はあるのですか?」


 財務大臣兼王立銀行総裁のシャイロックが尋ねた。

 理想が良くても実行可能で無ければ絵に描いた餅である。

 特に今回は一王国の分際で帝国に対して意見を言うのだ。何ら権限が無いのに言うのは、部下が上司に突然意見を言うようなもの。よほどの準備が無ければ、口答えするなと拒絶される。特にユリアを嫌っているフロリアヌス皇帝相手では尚更だ。


「大丈夫です。現状は帝国軍内でも講和派が出てきています」


 そう発言したのは王国宰相のラザフォードだった。


「現在、先の毒ガス攻撃の批判が帝国軍内で出ています。帝国軍は卑怯者に落ちぶれたのかと。特にヴィルヘルミナ元帥が先頭に立って批判しています」


 また、帝国軍内で一番進撃しているのはルテティア軍だが、彼らは毒ガスを使わずに進撃している事を指摘して、更なる批判材料となっている。


「何より、鉄道より遠くへ進撃し補給が困難となっています。それ故、これ以上の戦闘は困難であると考える指揮官、司令官が増えています。彼らを中心にまとめ上げるのは困難ではありません。更に諸侯の中にもこれ以上の戦争は損では無いかという考えが増えています」


「しかし、講和は相手も承知しなければ意味が無いのでは?」


「周との間に交渉チャンネルの準備は出来ています。一部では有力なパイプも出来ています。交渉開始は可能です」


 最後に報告したのは昭弥だ。捕虜を買い取り、送り出す事でパイプを作ることに成功していた。


「時は来たようですね」


 最後にユリアが声を出して命じた。


「次の大本営会議で私は皇帝陛下に対して周との講和を求める事にいたします」


 正式な御前会議と言うことでフロリアヌスに対して陛下と付けているが、内心は玉なしと呼びたかった。今回の戦争でどれだけ苦労することになっているか、文句の一言二言言いたい。

 だが、今回の提案で向こう臑を蹴り上げる事が出来る。

 多数の軍司令官や諸侯と示し合わせて講和を求める事が出来れば、無下には出来ない。

 皇帝の権力は帝国臣民の支持があってのことだ。それに反する様な事、講和を求める諸侯や毒ガス使用に嫌悪感を抱いている市民の反発は無視出来ない。

 特に軍司令官達は大きい。

 影響力の大きいヴィルヘルミナ元帥が講和を唱えれば、多数の軍司令官が賛同するはず。


「元帥と話しを取る必要がありますね。今どちらに?」


「郊外の演習場でジャネット魔術師が開発した新兵器の視察をしております」


 それ、不味いんじゃないか?


 秘書官の一人が報告すると、会議室にいた全員が思った。

 そして、すぐさま凶報が伝令と共にもたらされた。


「演習場にて新兵器実験中に事故発生! ヴィルヘルミナ元帥負傷!」

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