トクスン会戦 前編
「何で別れて作戦なのよ」
「仕方ないでしょう。近衛軍団が遅れているんですから」
先ほど与えられた指令にふて腐れるノエル・スコット准将をフラウナー大佐は宥めた。
「先発隊と後発部隊に分けるので我々もそれぞれに別れるのは普通です」
「けど、兵力の集中は基本でしょう」
「移動の際は分進合撃が基本です」
一箇所に纏まった方が兵力も大きくなるし攻撃力も大きい。だが、移動の際には大きすぎて統率が執れないことが多いので別れて移動する事が多い。
「兎に角、軍人だから命令を受けるしか無いでしょう」
受けた指令は、先発するトラクス大将にブラウナー大佐が、後発のユンガー中将にノエル・スコット准将が従うように命令されていた。
「現地で直ぐに合流出来ますよ」
「そうね。獲物はとっておいてよ」
「ははは、敵の兵力が多すぎますから、直ぐ来て貰わないと死にますから、早く来て下さいね」
そう言って二人は別れた。
「ブラウナー大佐、只今出頭しました」
ノエルと別れた後、ブラウナーはトラクス大将の下に着任した。
「宜しく頼む。貴官は実戦経験豊富なようだな」
「はい、ここ数年戦ってばかりです」
年齢をごまかして入隊し王国軍の兵隊として東奔西走してきた。運良く上官に恵まれ昇進してきたし先の大戦では撤退戦を経験している。故に実戦経験は豊富だ。
「ただ兵隊出身のため、士官学校を出ていないし参謀とはいえ、まともな教育は受けていないようだな」
「は、はい」
痛いところトラクス大将に指摘されてブラウナーは気落ちした。
兵から下士官、下士官から士官へ昇進したため正規の教育を受けていないのがブラウナーの劣等感だった。
「よし、私自ら教育を行ってやる。では基本操典を最初から述べて貰うぞ」
「え?」
基本操典とは帝国軍のマニュアルのようなものだ。
敬礼、動作の仕方、歩兵の運用、師団規模の動かし方まで書かれており、指揮官はこの操典通りに動かすことを求められる。
勿論帝国軍に準じて運用される王国軍も同じだ。
そして操典は非常に長い。一応、士官になったとき渡されたが分厚い書物で長々と書かれているのでブラウナーは、読み始めて直ぐに投げ出していた。
一応覚えている部分もあるが兵隊に必要な部分、下士官に必要な部分だけだ。人間自分に関わりのある事しか覚えようとしないのだ。
「では、序章から行おう。暗唱したまえ」
「げっ」
「スコット准将、只今出頭しました」
ブラウナーと別れた後、スコット准将は、ユンガー中将の下に着任した。
「宜しくな。あたしがユンガー中将だ。校長のお孫さんだったな」
「はい、ですが祖父とは関係ありません」
「殊勝な心がけだな。安心しろ校長には恩があるが、特別扱いはしない」
「はい、ありがとうございます」
「そういえば士官学校を首席で卒業したそうだな」
「はい!」
胸を反らせて返事をした。
「では基本操典も覚えているか?」
「はい、全文を暗記しています」
「よし、今すぐそれを忘れろ」
「え?」
準備の整っていた一個旅団五〇〇〇名を率いてトラクス大将は直ちに迎撃に向かった。西龍からは途中まで鉄道が建設されており、移動にさほど時間は掛からない。ものの半日で鉄道の終着駅まで行く。
現地で撤退してきた部隊や周辺の部隊も指揮下に収め、一個師団に再編成した。
九龍王国軍から接収した新型後装銃を持ってきて、新たに指揮下に入った部隊に手渡し、攻撃力を高めた。
そして河岸段丘の上の平地、崖が始まる地点に到着した。
「ブラウナー、陣地構築の章を述べてみろ」
「えっと、トイレの作り方でしたっけ」
「……平地を横断するように構築せよ」
「一線ですか?」
「いや、二線だ。河岸段丘の上まで伸ばし塞ぐんだ」
「了解しました。しかし、峠の出口に構築した方が宜しいのでは?」
大軍を迎え撃つには少人数でしか通れない場所に布陣して通せんぼする方が戦いやすい。特に兵力が少ない時は重要だ。
「大丈夫だ。多少広い方が展開しやすく攻撃しやすい」
「はい」
そう言うとブラウナーは陣地構築の指揮に入った。
「しかし、敵はここを通るんですかね」
「間違いなくここを通る。と言うより我々がいるから攻撃せざるをえない。崖の上を取っているから。上から大砲を撃たれでもしたら大損害だ。強行して進撃しても我々に後方を脅かされる。嫌でも戦うしか無い」
「しかし、敵は西から二〇万の兵力で接近してきます。東から圧迫して我々が対応出来ない間に河原を突破して後方に回り込み包囲される可能性が」
「宜しい、正しい判断だ」
「ありがとうございます」
「だが、今回は却下だ。直ちに陣地構築を」
「せ、せめて後背に防衛陣地を」
「兵力が足りないので却下だ。」
一方、トラクス大将に遅れて到着したユンガー中将達は、河岸段丘の下、河原の後ろにある深い森に到着した。
今居るのは先遣隊のみだが、鉄道の輸送力により二四時間でほぼ近衛軍団の全兵力が到着予定だ。
「さて到着したな」
「では早速」
「飯にしよう」
ユンガー中将とスコット准将の間に割り込んだのは近衛歩兵第二師団師団長テオドーラ・アルダー少将だった。
「な、何でですか」
「腹が減っては戦は出来ぬ、だよ」
答えたのは近衛歩兵第三師団師団長のクリスタ・ゼルテ少将だ。
「そうそう、飯を食わないと力が出ねえぜ」
「何を言っているんですか! 到着したら警戒線の構築と宿営地の建設をしないと。ってユンガー中将何をやっているんですか」
「何って? 飯の準備だ」
そう言ってユンガーはエプロンを着て鍋の火加減を見ていた。
「あとユンガー中将というのはどうもこそばゆい。アデーレと呼んでくれノエル」
「い、いや、任務中ですよ」
「姉御がそう言うなら構わねえよ。私の事はテオで」
「私のことはクリスタで、ノエルっち」
「ノエルっち、って誰ですか」
更にアルダーとクリスタも加わりノエルは混乱する。
「そもそも何でここに布陣したんですかユンガー中将!」
「アデーレだ。ここが休憩しやすくて進撃にもってこいだから」
「敵はほぼ確実にそこの河岸段丘の上を通るんです。万が一発見されたら上から一方的に攻撃を受けて壊滅します」
「そうだな」
「ならどうして、飯の準備なんかしているんですか」
「自分の納得出来る飯の味を作るためだ」
「何でですか」
「戦いの勝敗は時の運で、勝ち越し出来れば気にしない。だが、不味い料理が部隊に出て行くのは私には耐えられない不名誉だからだ」
「何格好いいこと言っているんですか、うぐっ」
激昂するノエルを無視してシチューの味を確認するとスプーンに掬って、声を出しているノエルの口に放り込んだ。
「あ、おいしい」
「だろう」
「姉御の料理の腕は一級品だからな。まあ、食えよ」
「サンドイッチうまーっ」
と四人で和やかに食事を行い、お代わりしたシチューを食べ終えたときノエルは気が付いた。
「って、暢気に食事をしている訳にはいきません。直ぐにトラクス大将の部隊に合流して支援しないと」
「食事の後の運動は身体に悪い。休んでいろ。敵なんて勝手にこっちにやって来るから、待っていろ」
「しかし」
さらにノエルが口にしようとした時、アデーレは右手をノエルの前に持って行った。そして親指と中指で輪を作り、力を込めると中指を放し、ノエルの額に当てた。
いわゆるデコピンだ。
「がはっ」
ヒットした瞬間、ノエルは後ろにのけぞった。
頭が割れるほどの本当にデコピンかと疑うレベルの威力だった。
「うううううっ」
「部隊の様子を見てくる。暫く休んでいろ」
そう言い残し去って行くアデーレだったがノエルは痛みの衝撃で返事どころか動くことも出来ずその場に暫く倒れ込んだ。
「痛たた」
士官学校や部隊で剣術訓練や格闘訓練などを行い怪我に慣れているノエルだがアデーレのデコピンはそれ以上の威力だった。
「もう何なのよ」
「良かったじゃ無いか、デコピンで済んで」
「姉御も丸くなったよね」
「どこが?」
テオとクリスタの話しにノエルがツッコンだ。とても丸くなったとは思えないレベルだ。
「士官学校時代の姉御は凄かったんだよ。一寸でも弛んでいたり出来が悪いと怒声が来るし、怠けたり、歯向かったりしたら鉄拳制裁だったし」
「……本当ですか」
「そうそう、私なんか回し蹴りと踵落とし喰らったよ」
「そりゃお前がつまみ食いしたからだろうが」
クリスタの感慨にテオがツッコンだ。
「……よく、一緒にいられますね」
「ああ見えて面倒見いいからね姉御は。慕う仲間には優しいし」
「回し蹴りや踵落とし、鉄拳を浴びせる人が?」
「仲間に対しては比較的にね。出来が悪い上級生や教官相手だと更に容赦なし。医務室送りにされた人など数知れず」
「お前が数を数えられないからだろ」
「……よく卒業出来ましたね」
「まあな。上級生も教官も下級生や生徒にボコボコにされたと言うには外聞が憚れることだからな。それに優秀だったし校長も姉御のことよく知っていたし。卒業後もやって行けたのは校長が姉御の気性を考慮してウマの合いそうな卒業生が上官やっている部隊に入れてくれたからな」
「……どうしてお爺ちゃんは、あんな人を卒業させたんだろう」
暫くしてその答えはノエルの前に現れることとなる。




