西龍での会見
列車の中に出発の汽笛が鳴り響き、列車はゆっくりと走り出した。
「出発か」
列車内の特別室に入ったトラクス大将が呟いた。
「あと一二時間で西龍か」
「とんでもない時代になりましたね」
同席した第一近衛軍団軍団長アデーレ・ユンガー中将が追従した。
「かつては全力行軍でも十五日はかかりました」
歩兵は条件さえ良ければ一日に六十キロ歩ける。西龍周辺までは千キロほどだから少し強めに歩いて十五日、通常は二十日、天候が悪ければ一月以上だ。
下級士官時代、増援として歩いて向かったことのあるアデーレは、懐かしそうに言った。
「あの頃は炎天下の中を歩き、大変でした」
「……あの止めませんか? 敬語を使われるのはどうもこそばゆくて。誰もいませんし」
「そうか、なら遠慮無く」
二人は士官学校時代の先輩後輩でアデーレのほうが一期上だ。
アデーレは途中で予備役になった為、トラクスの方が昇進してしまった。
「可愛がった後輩に抜かれるとどうも緊張してな」
「その節はどうも。それでも復帰するなり昇進を重ねるのは流石先輩です」
「止めてくれ。望んで復帰した訳じゃ無い。出来ることならずっと町の料理店をやっていたかった。陛下の頼みで無ければとっくに予備役編入願いを出しているよ」
先の大戦で臨時に近衛軍団を指揮した時、ユリアに見初められたアデーレはそのまま軍団長に就任し現在に至っている。
「ところで聞いていいか?」
「どうぞ」
「私の軍団だけで足りるか? それと間に合うか?」
現在派遣されている増援は第一近衛軍団のみだ。そして輸送には所要時間にして一二時間、更に五万の兵力と必要物資を運ぶのに百本の列車。それらの積み込みで合計で三日はかかる予定だ。
かつての一月からすれば十分短縮されているが、それで任務達成出来るかどうかは、また別の話だ。
「東方軍は制圧作戦の為に動いているとはいえ、ある程度の対処能力がありますし予備兵力もあります。それに北方民族対策で送っておいた兵力もありますし、現状は近衛軍団だけでも十分です」
「そうか。ユーエルの奴が何かあるか分からないから一個軍渡すと息巻いてきたが」
「玉川社長にハレックだってそんな馬鹿げたことは言わなかったぞ、と怒っていましたね」
軍団が三つに支援部隊が付いた部隊である軍は単純計算で軍団の四倍規模だ。時間をかけるならともかく、短時間で西龍に運ぶなど王国鉄道でも現状不可能だ。
「ありがたい話だったが」
「無理なものは無理でしょう」
「では心配は周の討伐軍か?」
「ですね。流石に東方軍とはいえ同規模と予想される周の軍勢を相手にするのは難しいでしょう。故に近衛軍団に対処するよう命令することになると思います」
「そうか」
そう言うと、アデーレの隻眼に強い光が宿った。
「今から楽しみだ」
列車は予定通りに西龍へ到着した。
トラクス大将とユンガー中将は、揃って東方軍の司令部のある建物に入って行く。
そして来着を知らせると東方軍総司令官のアグリッパ大将と会見した。
「よくぞ来て下さった」
「応援に参りました」
「心強い。しかし参謀総長自らでは、私が指揮下に入ることに?」
アグリッパは事を荒立てないように指揮系統について確認した。軍隊では誰が命令を下すかを明確にしないと混乱が発生する。
「いえ、総司令官の役職を今変えるのはダメでしょう。統帥本部長と軍務大臣より臨時に上級大将へ昇進し、我々が指揮下に入り補佐します。何なりとご命令を」
そう言って、トラクス大将とユンガー中将はアグリッパ上級大将に敬礼した。
「分かりました。これより指揮をとります」
答礼して、アグリッパは席に座るように促した。二人が席に座ってから彼は地図の前に立った。
「現状を説明する」
アグリッパは、地図を差しながら伝えた。
「現在東方軍は九龍王国各地へ制圧するために展開中。幸い死傷者の数は千に満たない。九龍王国軍三〇万の内、二五万を拘束することに成功し武装解除中だ」
「残りの五万は?」
トラクス大将が尋ねた。
「国境地帯へは流石に展開が行えなかった。更に一部取り逃した部隊もおり追撃中だが、直ぐに終わるだろう」
「帝国軍は?」
「要所を抑えており、我々に追撃を命じてきた」
予め取り決めた作戦に従えば王国軍は帝国軍の指揮下で九龍王国を制圧することになっていた。だがあからさまに命令されるのは気持ちの良いものでは無い。
「幸い、今は秋で収穫も終わっている。逃走した兵士も直ぐに捕らえる事が出来、逃しても大した活動は出来まい。勿論我々も歩兵を各城市に派遣し騎兵による巡察隊を編成して展開中だ」
幸いと行ったのは収穫の終わった晩秋に作戦が行われた事だった。九龍王国の辺境部は寒さが厳しく雪が降る場所が多い。故に野外で活動するのは難しい。
逃げ出した脱走兵は、寒さで凍え、凍死するか投降するしか無い。村を襲って食いつなぐ寝床にするという事も考えられるが、多くの村は防壁とかがあるから防御力は高い。村に入り込んでも巡察隊が見つけ出して捕まえる。
突然の帝国軍による制圧行動に怒りの湧いた三人だが、この時期に動いてくれたことには感謝していた。だが、発動時期もはじめから計算してやっていたようにしか思えず、より怒りがこみ上げてくる。
「周の軍勢はどうしていますか?」
「現在のところは動いているという報告はない。国境に警戒の部隊を送っているが……」
「失礼します」
その時一人の士官が入って来た。
「周の軍が動きました。トルガルト峠を越え、この西龍へ向けて約二〇万の軍勢が接近中です」
一個軍規模の部隊が接近していると聞いて、三人に緊張が走った。
「帝国軍はどうだ?」
アグリッパ大将が尋ねる。
「現在制圧作戦遂行中のため余剰兵力なし。王国軍が一週間の間、独力で対応せよとのことです」
「拙いな、現状要所確保の為に出ている兵力が殆どで対抗出来る部隊を編成するには時間が掛かる」
「アグリッパ上級大将」
トラクス大将が話しかけた。
「何だね」
「宜しければ我々が対処しましょう」
「そうして貰えると助かるが、こちらで用意出来る兵力は一個旅団あるか無いかだが」
「十分です。現地の部隊を指揮下における権限さえ貰えれば何とかなるでしょう」
「お任せ下さい」
隻眼のユンガーも同意してアグリッパに頼み込む。
「わかりました。直ちに出撃せよ。作戦はトラクス大将に一任する。直ちに後方より本隊を後続させる。一戦するも良し、本隊が来るまで持久するも良し、対峙するも良し。平野に来るまで持ちこたえよ」
「はっ」
「さて、どんな手で行く?」
ユンガーはトラクスに話しかけた。
「どうせここまで来る間に、対応策を作ってあるんだろう」
「ええ、勿論」
士官学校時代からトラクスが用意周到である事をユンガーは知っていた。
トルガルト峠までは、最初は平原が広がり素早く移動出来る。その平原の終わりにある町トクスンまで鉄道が建設されており、そこまでなら直ぐに移動出来る。
そこからは九龍山脈の尾根が伸びはじめ、河岸段丘が現れ南から川、広い河原、深い森、十数メートルから数十メートルの崖、平地、尾根の傾斜の順になる場所が出来る。
その後は尾根と尾根の間が狭くなり河原と平地の差は無くなり、狭い峠道となってトルガルト峠まで続く。
「定石通りに行くか?」
「いえ、ライン演習で行こうと思います」
「ああ、あれか」
ニヤリと肉食獣のような笑みをユンガーは浮かべた。
「楽しそうだ。じゃあ、先発は頼むぞ」
「お任せあれ。それと、連れてきた幕僚も分けましょう。実地試験ということで」
「よし、そうしよう」
こうして後にトクスン会戦と呼ばれる戦いが始まろうとしていた。




