ウェントゥス
「ウェントゥスの整備中断! 緊急発進させる! 緊急起動用意! 後端車も用意しろ!」
翌日の実験に備えて整備員がひしめき合う機関庫の中に主任であるアンナの声が響き渡った。
「整備中断! 緊急発進! 緊急起動用意! 後端車連結用意!」
矢継ぎ早に作業の指示を出しやるべき事を伝えていくと整備士達も動き始めた。
「チューブの掃除はもう良い! 石炭の給炭準備しろ!」
「水入れるぞ! 水垢掃除は終わりだ!」
整備士達の声が響きわたり、あちこちで駈けだし、より喧噪が大きくなる。
「全機器、バルブの確認! 点火前確認作業を行え!」
「主蒸気管閉鎖確認!」
「ブレーキ弁閉鎖確認!」
「バイパス弁閉鎖確認!」
「給水弁確認!」
「全機器確認完了!」
「よし! 緊急点火開始!」
「了解!」
アンナの号令で更に整備士達の動きが速くなる。
「高圧蒸気ホース、低圧予備ボイラーホース上部及び下部接続! 上部安全弁の解放忘れるな!」
「軸受けとコネクティングロッド、連結棒の給油も行え!」
「給炭開始! 炭水車給水、給炭開始!」
「急げ! 時間が無いぞ!」
整備士達は次々とホースを接続、石炭の積み込み火室への給炭を行う。
「ボイラー内満水確認!」
「下部ホース! 排水開始! ボイラーの予熱を行え!」
機関車はボイラーの熱で蒸気を作り出す。
ボイラーが冷たいと蒸気を出しにくい。なので機関庫の予備ボイラーから熱水を供給して機関車のボイラーを温めている。冷たくなった水を下から排水して、速く高温になるようにしている。
「下部ホース! 熱くなりました!」
「給水停止! 上下の給水弁を閉鎖後、ホース分離! 安全弁閉鎖!」
「ホース分離よし!」
「安全弁閉鎖しました!」
「火室内給炭完了!」
「バイパス管解放確認! 解放確認後高圧ホース解放!」
「了解! 解放します」
蒸気機関車は、排煙のためにピストンから排気された蒸気を使う。この排煙は同時に煙管を通じた火室への吸気も行っている。迅速にボイラーの火を着けるために蒸気を煙突下の配管に送り出すのだ。
「蒸気来ました! 吸気良好!」
「火室点火!」
「点火!」
灰溜まりから着火した長いガス管を入れて下から直接石炭に火を入れる。
「燃焼良好!」
「蒸気圧上昇中!」
「給水と給炭は!」
「完了しました!」
「蒸気圧起動圧力到達!」
「高圧蒸気ホース閉鎖! その後分離! 発進用意!」
「機関士、機関助士来ました」
「こっちに来て」
そう言ってアンナは機関士と機関助士達を呼び寄せた。緊急時に備えて二組以上の機関士と機関助士が配属されており、長時間の運転に備えて三組ほど呼んだ。
「話しは聞いている?」
「はい。いつでもでれます」
「起動準備完了。蒸気は起動圧力になっている。はじめは下がりやすいが、追加給水車と後端車を繋げて、高速線に入る頃には十分な蒸気発生が起きるはずだ。緊急点火だが、明日の最高速走行に向けて整備してあって最高の状態だ。ただ、最高速がどういう状態か解らない。十分に気を付けろ」
「解った。出すぞ直ぐに離れろ」
「発進するぞ! 車止め外して全員退避!」
全員が退避完了すると、係員が緑の旗を振って機関士に合図した。
機関士は乗り込んで旗を確認すると蒸気弁を解放、機関車を前に動かし始めた。
ゆっくりと前進し機関庫から出てくる。
蒸気機関車特有のシュシュシュという断続音では無くシューという低く唸る連続音を響かせつつその特徴的な車体を現した。
角張った車体では無く、全て滑らかな傾斜を持った流線型の車体。先端から煙突全部まで続くスロープ状の先頭。動輪は空気の流れを阻害しないよう整流板に囲まれて見えない。
運転台も完全閉鎖型で、炭水車との間もゴムの整流板で覆われている。
先端技術試験蒸気機関車X〇〇七号。
通称ウェントゥス。
リグニアの古語で風を意味するこの機関車は、最高速度二一〇キロ以上を目指して作られた技術実証機関車だ。
最高速を出すために動輪直径を僅かだが大きくしたり、潤滑をよくしたり、軽量化のために中抜き鉄骨を使うなど(この世界では)新技術をこれでもかと投入している。
特徴的な蒸気音は、四シリンダー式の為だ。
通常は車体の両外側にある二つのシリンダーのみで機関車を動かすのだが、このウェントゥスは、車体内側にも二つのシリンダーを装備、クランク軸となった動輪三つを回して動かすことが出来る。
これにより、出力の増加と滑らかな走行、安定した燃焼を可能にしていた。
転車台に乗り込むと、回転させて後ろに付ける追加給水車と接続するべく、移動した。
「おい! 付けるのは追加給水車と後端車だけだろう。どうして記録車も付いているんだ」
「急なことで切り離すことが出来なかったんですよ」
「直ぐ外せるだろう!」
「途中で外れないように密着連結器を付けていたんだ! 直ぐに外せるか! 追加給水車に繋ぐだけで精一杯だ!」
「速度出せるか」
「実験では他にもデッドウェイト車両を繋げる予定だったから出せるはずだ。それより早く後ろに付けろ! 密着連結器を付けるぞ!」
機関車は追加給水車に接続されボルトで固定されて完全に繋がった。
「準備完了!」
「最終点検を始めて! 何度も確認して漏れが無いか調べて!」
「社長が来ました」
全ての準備が終わった時、昭弥がやって来た。
「記録もついでに取るのか」
「外す時間が無かったんですよ」
記録車を見とがめた昭弥にアンナが反論する。
「しょうが無い。このまま出るぞ」
昭弥は記録車に乗り込んだ。
「機関車のみで行くかと思いましたよ」
セバスチャンが茶化すように言った。
「そうしたいが、一寸危険でね」
「危険?」
「ああ、後端車見たか?」
「何というかカエルか貝みたいに丸くて滑らかですね」
半球状の後端を思い出してセバスチャンが言う。
「速度を出すために空気抵抗を少なくするためにあるけど、時速二百キロで角張った後ろだと乱流が発生して車体が動揺し最悪脱線する可能性が有る。そんなことは無いと思うけど念の為に取り付けた。二百キロ以上なんて未知の速度だからな」
昭弥の世界では時速三百キロ越えで営業していたり五一五キロの最高速度記録が出されているが、昭弥が出した訳では無く、技術の詳細も分からない。
だから念には念を入れて乱流を抑え、列車後ろの気流を整える為の後端車を接続していた。
「さあ、発進させてくれ」
「はい」
扉が閉まると機関車は走り出した。
「一度在来線を通ってから、高速線に向かうぞ」
「直接高速線に乗り入れるルートは無いんですか?」
「何時故障するか解らない実験機関車を高頻度高速運転している高速線で走らせられるか。事故で停止してダイヤが乱れたり、追突事故を起こしたらどうするんだ。試験場内の高速実験線で十分だ」
「確かに」
セバスチャンと話している間にウェントゥスは、ゆっくりと在来線に入った。




