ハレックの置き土産
「大変です!」
ユリアが昭弥にプロポーズ返答しようとしたとき、ブラウナー大佐が駆け込んできた。
「……一体何の用です」
一世一代の見せ場を邪魔されたユリアは笑顔でブラウナーを睨み付けた。
一瞬怯んだが、軍人の使命感からブラウナーは報告を行った。
「<ドラコーエクスプグナティオ>が発動されています」
「何ですって!」
だが、訪れた報告の衝撃でユリアは現実に引き戻された。
「あの……<ドラコーエクスプグナティオ>というのは何でしょうか?」
恐る恐る昭弥はユリアに尋ねた。
「九龍王国制圧作戦。万が一、九龍王国がルテティア王国から離反するような行動を取った場合、それを防ぐ為に九龍王国要所を王国軍が電撃的に占領制圧し九龍王国が離れるのを防ぐ作戦です」
九龍王国は周に対する朝貢国だが、同時に条約によってルテティア王国およびリグニア帝国の属国となっている。
九龍王国が属国の軛から離れるとき、それを力で組み伏せる作戦が<ドラコーエクスプグナティオ>だった。
九龍王国が離反を行う事は、独立させたときに想定された事態であり、いつでも阻止出来るように事前に作戦が策定され、命令あり次第東方軍が作戦行動に入る事になっていた。
そう発令されたら勝手に作戦が進んでしまう。
「何故、誰が」
「軍務大臣のハレック元帥いえ、離任前に発令者として既に準備命令を出し発動間近です。東方軍は作戦に備え九龍へ移動中です。間もなく作戦行動に入ります」
「ハレック!」
事前に策定した作戦を発動させる権限は一部の人間に限定されている。
この作戦は東方を重視するハレックが発令権を持っていたが、裏目に出てしまっていた。
「これで総督を逮捕拘束した理由が分かりました。総督を逮捕し王国鉄道が軍部に文句を言えないようにしてごり押し、鉄道を使って部隊を九龍へ迅速に運び込む。逮捕していたのは部隊移動の時間稼ぎ。軍隊の緊急輸送も隠れ蓑に九龍王国要所へ移動させていました」
「あの、発動されたらどうなるのですか?」
昭弥の質問にブラウナーは答えた。
「……九龍王国はルテティア王国によって軍事占領されます。同時に周は朝貢国が征服されたと判断し救援軍を編成し派遣してくるでしょう。そうなれば再び真っ正面から戦う事になります。つまり大戦の再来です」
事実上、九龍王国をルテティア王国が軍事占領することになり、周の朝貢国を占領することになる。つまり周に戦争を仕掛ける理由を与える事になる。
舎弟に手を出されたヤクザが、お礼参りに来るようなものである。
現状戦争を避けたいルテティアとしては、発動してはならない作戦だ。
かつてのルテティア大戦でも数十万の兵力を送り込んで来た周。再び戦争ということになれば、王国が打撃を受けることは間違いない。
「直ちに中止命令を」
「残念ながら、停止権限を持つ者が居りません」
ユリアが命じるがブラウナーが悔しそうに答える。
「勅令で止められないのですか」
「出来ますが、司令官への直接手交が必要です」
「くっ」
勅令は王国で帝国の命令に次いで効力を持つ命令だが、絶大すぎるため命令書による直接手交することが原則だ。
「電信での連絡は?」
昭弥が話しかけるが、ブラウナーは首を振った。
「電信で送っても有効な勅令と認められません」
「電話で直接」
「それも認められていません」
勅令の効力があまりに強すぎるため、発揮させるのに厳しい手順が決められており、直接手交が基本となっている。
だが、今回はこれが裏目に出た。迅速に伝達出来る電信や電話による指令方法が確立されていなかった。発信者が確認出来ず、真偽が曖昧であり、正当な命令書であるか明確に出来る方法が無いからだ。
前々から電信若しくは電話による下令方法を研究していたが、未だ実用化出来ず、現在も命令書による直接交付しか無かった。
「アグリッパ大将に事情を説明しては」
「実直なアグリッパ大将です。更に先の反乱に加わったために疑いの目をかけられています。命令違反を行うのは、リスクが大きく命令に従うしかないでしょう」
それも考えてハレックが東方軍の司令官に任命した可能性が高い。
「発動は何時ですか?」
「翌朝未明、王都の時間で午前四時、現地時間午前三時、今から一〇時間後です」
「なっ」
最速の列車でも一二時間かかるし、準備等を含めると正味八時間で移動しなければならない。が、そのような短時間で移動出来る手段など無い。
「どうしましょう……」
「あの何とか出来るかも知れません」
戸惑う王国一同の中で、手を上げたのは昭弥だった。
王都の郊外に王国鉄道の鉄道総合研究所が存在した。
鉄道に関するありとあらゆる研究が行われており、混雑時の行列の整理、法令研究なども行われていたが、大きな割合を占めていたのは、やはり車両開発、土木技術などの理系技術だ。
特に機関車は、列車の動力源であり研究が盛んだった。
有名なのはボイラー長実験。
長さの違うボイラーを複数用意して、蒸気の発生量を計測し効率の良いボイラーの寸法を見つける実験だった。そのために長さの違うボイラーを数十種類作り、実験して実測するという他国では真似出来ない事をしていた。
現在はその成果を元に機関車の改良と新技術の開発が行われていた。
「フンフン」
その研究所の一角にある事務所でアンナは、翌日の実験に備えて準備を進めていた。
念願叶って研究所の技術者となり主任となったアンナにとって初の機関車の製造そして実験であり、祭りを翌日に控えた子供のように楽しみにしていた。
そのとき事務所に備え付けられた電話が鳴り響き彼女が出て答えた。
「ハイ、こちら王国鉄道鉄道総合研究所蒸気機関車研究科機関庫事務室です」
『私だ。解るか』
「あ、社長どうしました?」
普段から入り浸るように研究所にやって来る昭弥の声をアンナは知っていた。と言うより、新しい機関車について激論を交わすことが多いので忘れようがない。
明日の実験を社長も楽しみにしており、そのことで電話を掛けてきたのではないかとアンナは思ったが違った。
『待機中のウェントゥスを直ちに起動。最高速で七時間動かせるようにしておけ。俺が乗り込む』
「待って下さい!」
アンナは叫んだ。
『明日の走行試験のため整備中で無火状態です。起動には時間が掛かります』
社長は時々無茶な要求をしてくるが、後々考えると合理的だったり理に適った事が多い。だが、今回は理論や常識を遥かに超えた無茶ぶりであり、無理すぎる。
『緊急点火手順で緊急起動、一時間で回せるはずだ。追加給水車と後端車も取り付けて最高速走行を長時間出来る様にしておけ』
『無茶ですよ。追加給水車は明日使う予定じゃありませんし』
「無茶は承知だ。給水車は起動準備中に繋ぐことが出来るはずだ。直ぐに回せ」
更に反論しようとしたが、社長がこれほどまでに執拗に要求することは少ない。
「……必要な事ですか?」
『ああ、そうだ』
無理強いと昭弥も分かっているが、それでも執拗に求めてくる。それだけ重要だとアンナは直感した。
「……分かりました。用意します」
『頼む、俺も直ぐ行くし、礼は必ずする』
そう言うと電話を切ってしまった。アンナも電話を置いて切る。
「あーっクソっ!」
電話を切ってからアンナは承諾してしまった自分に悪態を吐き、項垂れてから再び顔を上げて機関庫内に飛び出すと大声で叫んだ。
「総員、整備中断! ウェントゥス緊急起動用意!」




