帝国の奥の手
「ガイウス、最近帝国は不況では無いのか?」
「はい」
帝国皇帝フロリアヌスに頭を下げつつ帝国宰相ガイウスは認めた。
「何故、不況なのだ。何故帝都に職を求め、食べ物を求める、民が居るのだ。物の豊かな帝国においてどうして飢えが発生するのだ」
確かに帝国は地域差があるとは言え凶作でもなく、大きな動乱も戦争も無い。地域差も完成した帝国の鉄道網により少ない地域へ食料を運ぶ事が出来る。
だが、皇帝の言うとおり、帝都には飢えた民がいた。
「はい、貨幣が不足しているためです。購入する貨幣が足りないからです」
「物があるのにか」
「物が多くとも、それを買うだけの金が無ければ、買えません」
昭弥とサラが見抜いた不況の原因を帝国も承知していた。古来より景気が良くなっても直ぐに悪くなって、何故か貧しくなる事が多々あったからだ。
それが、貨幣の不足と言うことに帝国の上層部は経験的に知るようになっていた。
「何とかならないのか」
「有ります」
「何だと、何故それをやらないのだ」
「陛下のご決断が必要となりますので」
「何をするというのだ」
「貨幣改鋳でございます」
貨幣を改鋳することは珍しくなかった。
普通貨幣を造り使用すると段々とすり減って行く。以下に金属とはいえ、毎日ぶつかったり、こすれたりして磨り減ったり、壊れたりする。
更に、金貨だと貨幣の縁を削って溜め込む人間も出てくる。ごく微量なら使用による磨り減りとごまかすことも可能だからだ。
そのため何年も使用され元の状態が判別できない貨幣も生まれることになる。
そこで数十年に一度、鋳つぶして新しい貨幣を造ることがよくあった。
今の帝国の金貨や銀貨、銅貨は五十年ほど前の皇帝が作った物で改鋳は久しく行われていなかった。
「それで上手く行くのか?」
「はい、少しばかり手を加えます。そして、帝国の利益ともなります」
「本当か」
「契約取れました。支出の準備を行ってください」
「新規の手形を集めました。これより売却処分を行います」
「ガリアの小麦は豊作です。価格は下落中です」
「イスパニアの木材も下落です」
その部屋の熱気は凄まじかった。数十人の人達が、怒号で報告している。
「凄いですね」
あまりの熱気に昭弥は、そう答えるのが精一杯だった。
例えるならば、コンピュータ導入前の東京証券取引所の取引場面だろうか。バブルの頃の記録映像で見たようなこと、大声で怒鳴り指で売買の指示を行う、が目の前で行われていた。
「これでもまだ、穏やかな方ですよ」
シャイロック総裁は穏やかに答えた。
彼らがいるのは、トラキアにある王立銀行トラキア支店だ。
王立銀行は、ルテティア王国内の取引が主だが、換金、手形の売買などの手続きの利便性を考え、周辺のいくつかの国に支店を設けている。
トラキア支店は王国外支店の中でも五指に入る大きな支店だ。
トラキアは、帝国本土の貴族領だが、経営破綻して王国が借金を肩代わりしており事実上、王国の支配下に入っていた。
だが、表向きは独立した貴族領のため、王国外となっていた。
ちなみに一番大きな支店は、帝都支店である。
「ここで宜しかったのですか?」
一番大きな支店であり、情報が集まりやすい帝都支店の方が良いのでは無いかと、昭弥は尋ねた。
「ここが一番良いんですよ。情報が直ぐに集まります。電信と電話がありますしね」
魔術師のテレパシーを使った情報の遣り取りは出来る。
だが、魔術師の体力、魔力が消耗され使いすぎると最悪の場合、死に至る。
しかし、電信の場合は、一般人でも訓練を施せば技士となる。大量の通信を遣り取りしても交代要員がいるため、代わる代わる休憩を取ることが可能だ。
電信は王国方面しか敷設されていないが、情報が入りやすく量も膨大な王国方面だけでも魔術を使わないことは通信上非常に有利だった。
更に魔術師が配置されていない町でも、商船からの情報が入りやすいトラキアの方が便利だ。
「そうして集まった情報を分析して出しております」
「どうしてそんな事を?」
昭弥に付いてきたセバスチャンが尋ねる。
彼は昭弥の執事だが、元盗賊の経歴を生かして王国周辺に情報網を作り出している。
今回の作戦では、彼の情報網も活用されている。
ただ、極秘情報とかでは無く、各地の物価や人口、一日の食事の消費量などを調べてくるのが主な役割で下っ端やまだ未熟な新米にやらせても問題無かった。
「何故こんな事をする必要が」
「もうすぐ貨幣改鋳があるからね。どれだけ増えるかを把握する必要があったんだ」
昭弥がセバスチャンに答えた。
「何故です?」
「貨幣を改鋳するとき、純粋に金をそのまま使うことは無い。銀を含ませる」
良質な金貨でも二割ほど銀が含まれている。純粋な金だと柔らかすぎて手で曲がってしまうからだ。なので銀を混ぜて強度を確保する。金製品で純粋な二四金では無く一八金が多いのは、そういう事だ。
「で、問題なのはどれくらい銀を入れるかと言うことさ」
だが時折、銀の量を多くして金貨の数を水増しすることがある。
何故増やすかというと、その分発行した国の増収になるからだ。
例えば前の金貨と等価で新しい金貨を交換できるようにしておき、倍の金貨を発行すれば、発行額の半分が臨時収入になる。
こうしたことは、古今東西多くあり、江戸幕府の収入源の一つだった。
だが、あまりにも銀を入れすぎて黄金色では無く銀の白っぽい色となってしまった金貨、というより銀貨に近い金貨も存在する。
江戸時代の補助貨幣の一つである一朱金は、最低限の純度しか入っていなくて、発行時は金色でも直ぐに銀色に変わってしまった不良品だったが幕府は強引に金貨と言い張った。最終的には使用中止にしてしまったが。
「どれくらい発行するかで影響が違うからね」
「でも、どうして物価とかを調べるんですか」
「金貨の量が多いとインフレになるからね。金貨がどれくらい発行されるか調べておかないとね」
仮に、小麦が一〇袋で金貨一〇枚で購入していたあと、増産で小麦二〇袋に増えたが金貨が増えず、デフレになったとしよう。
そこに金貨を一〇枚追加すれば、小麦二〇袋に対して金貨二〇枚で以前と同じように売買出来る。
だが、二〇枚だと金貨が三〇枚と余ってしまってインフレに。五枚だと一五枚で足りないから多少改善されるだけでデフレのままになる。
どうなるかを見極めるために、市場でどれくらいの通貨が日常で遣り取りされているか、確かめる必要があった。
「帝都より連絡が入りました!」
その時、通信員の一人が大声で叫んだ。
「帝国政府は貨幣改鋳を決定したようです!」
その声に全員が注目した。
「どのような内容だ?」
シャイロックが報告を求めた。
「はい、含有量を三分の二にさせて、重量も二分の一にするようです。発行額は現在の三倍。これまでの金貨の保有も所持も禁止され、旧金貨と同額面で交換されることになります。内部決定で発表されていませんが、ほぼ決定のようです」
「げっ」
セバスチャンが顔をしかめた。
含有量三分の二、重量二分の一。これでは金の重さが元の金貨の三分の一になってしまう。つまり実際の価値が三分の一になってしまう。それをこれまでの金貨と等価で交換では、自分の金貨を三分の一の価値に下げる行為だ。
これをやりたいと思う人間はいないだろう。
「酷い」
しかも三倍もの発行量になるので、単純計算で現金貨の発行量の倍もの収入が帝国政府に入ってくる。
「酷くありませんか」
セバスチャンが尋ねた後、昭弥とシャイロックは同時に呟いた。
『少なすぎる』




