議会での戦い
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「連中が解放奴隷を安価な労働力にしようというのは分かった」
苦虫を潰したような顔で昭弥が言う。
「何か問題でも?」
「予想される解放奴隷の数を見ると労働力が一時的に過剰になる。安価になるな」
労働力にも需要と供給の関係が成立する。
供給が低く需要が高いと給与は上がり、供給が多くて需要が低いと給与が少なくなる。
最近のルテティア王国での需要は高いが、大勢の解放奴隷を吸収するほどではない。
ルテティア王国は、もとより移民の国だったが多くなりつつある。
かつては食い扶持の無い、貧民達が帝国軍に入った後王国軍へ移り、遠征に参加。成功して広がった領土の一部を退職金代わりに貰って入植するという形だ。
他には荒れた土地を開拓したり森を切り開く形で入って来ているが、自分の身は自分で守らなければならないので軍隊経験者が多い。
だが最近は貧民が好景気のルテティア王国へ貧しさから逃れようと着の身着のままで王都やチェニス、オスティアへ入ってくる。
最近は生産力の増大を行っており、求人は多いが、解放奴隷が入ってくると溢れてしまう。
「どうしましょう」
セバスチャンは昭弥に尋ねた。奴隷が解放されるのは良いとしても、何のスキルも無く貧民になるのが目に見えており、新興商人の餌食になってしまう。
「人を雇うのは自由だが、責任が伴う」
「責任?」
「その人が生活できるだけの賃金を支払うことだよ」
「けど小さい仕事だと賃金が安いですよ」
「勿論だ。だが、長時間働いても生活できないような賃金は、出してはならないよ」
生活のために働かなくてはならない。働かざる者、食うべからず、というが、食えるだけ、更にある程度の余裕が生まれないと不味い。
何より、鉄道の旅客というのは、余裕のある人しか無理だ。食うや食わずの人は、自分の近くの仕事しか得ることが出来ない。電車に乗って通勤などと言うことも出来ないので、賃金が高くなるように持って行く必要がある。
昭弥が、利益が少なくなっても賃金をためにして人件費を払っているのも、従業員が鉄道を使えるようにするためと、他の企業や店舗が賃金を上げるように促すためだ。
それを無にする奴隷解放など許せない。
無論、昭弥は奴隷制支持者ではないが、自立出来るように準備を整えた上で解放しなければ意味が無い。
「どうするんですか?」
「新しい法律を出す」
数日後の議会で出てきたのはポーラ女史の奴隷解放法案と昭弥の最低賃金法だ。
奴隷解放法案は、奴隷を解放するという法律で購入、売却、保有を禁止するという法案だ。
一方最低賃金法は、人を雇った場合、一時間当たりの賃金の最低額を規定。残業代の規定に、違反した場合の賠償と罰金などの刑罰、労働環境の監視、違反者を摘発する機関の創設をいれたものだ。
更に昭弥は、追い打ちをかけるように雇用基本法を提出した。
一定人数以上を雇用した場合、よほどの理由が無い限り解雇はしてはならないし、労働時間を設定、更に残業の定義も固めた。勿論、例外――駅員は二四時間勤務だ――もあったが、予め届け出なければならないと記載してあった。
「素晴らしい!」
ポーラ女史は、手放しで喜んでいた。
これ以上の法案など他に無いからだ。解放奴隷の生活を安定させる素晴らしい法案だと言って即時可決を求めた。
だが、新興商人や事業者は反対に回った。
「これは雇用の自由を奪うものである」
という彼ら新興商人の意見はこうだ。
最低限と規定されているが、その賃金の金額は高すぎて雇えず、解雇せざるを得ないし、高すぎて雇用を躊躇する。
だが本音は、高額な賃金で雇うと自分たちの利益が少なくなるので通したくないからだ。
中には
「最低賃金以下で雇われる自由を奪う悪法である」
と、述べる議員まで出てくる始末だった。
だが、貴族出身の議員や鉄道関係の議員、さらに宰相を始め大臣を中心に説得工作にあたり、根回しを済ませていた。
そのため、貴族を中心に賛成多数となり、両法案は可決した。
「良く可決できましたね」
セバスチャンが昭弥に話しかけた。
「簡単さ、旧体制、貴族の間では出てくる新興勢力である商人達や事業者を押さえつける方法を欲しがっていたからね」
「どういう事です」
「新興勢力は、新しい機械を使って安価な労働力を提供している。新しい機械は、動かすだけで誰でも熟練工のような作業が出来るからね。職人を雇う必要が無くなったんだ」
一人前の職人になるまでに十数年かかるのは、作業を覚えるのに時間が掛かるからだ。だが、機械の場合特定の作業を正確にするだけで熟練の職人にも劣らない製品が出来る。
そのため、職人が一人前になるまでの扶養のための費用などを商品の値段に入れる必要が無くなり、安価な製品を送り出すことが出来た。
製品の値段は原材料、機械の購入費、機械の動力費、人件費、他の経費だけになった。これまでなら見習いの扶養の為の費用が必要だったが、それが無くなり、安価になったのだ。
だが、これは守旧派にとって脅威だった。
安価と言うことは購入できる人間が多くなることであり、値段が十分の一になっても一〇〇倍の購入者が出てくれば、十倍の売り上げを上げることが出来る。
新興商人が勢力を拡大したのはそういう理由だ。
そこで旧体制派、貴族は、新興商人を抑えたかった。
「そこに助け船をだしたのさ」
労働監督を行う部署を設けて新興商人が値段を安くし易い人件費で著しく不当に安い賃金を払わないように監視する。あるいは、それを根拠に介入しようと目論んでいた。
昭弥の法案は、寧ろ衰退しつつある貴族や職人などの旧体制の人間にとって、渡りに船だった。
そんな彼らの熱意を労働者保護に利用した。勿論やり過ぎないように監視する必要はあるが。
「なるほど、貴族が受け入れやすい法案を作った訳ですか。ですが宜しいのですか。新興貴族への著しい締め付け、度を超した干渉などが予想されますが」
「そうならないように監視する必要はあるよ。けど、最低賃金や労働が著しく不当な事にならないようにしないと」
「しかし、利益を求めるのは普通では? これまでもやって来ましたが」
「道徳無き経済は悪徳だが、経済無き道徳は寝言である」
「?」
「僕の居た世界に二宮金次郎という人がいてね。その人が言った言葉だよ。うろ覚えだから正確じゃ無いと思うけど。道徳が無ければ経済は人を搾取するだけの悪徳になる。けど、経済的に人々を幸せに出来ない理想論は机上の空論だ、って意味だよ。経済上の効率とか切り捨てはあるけど、それでも道徳を持って行わないとね」
「確かに」
こうして最低賃金法及び雇用基本法は成立したが、解放奴隷を得ようとした新興商人達はこれからの人件費増大による計画修正を余儀なくされ、それどころではなくなり廃案となった。
ポーラ女史は落胆し、非難したが誰も聞き入れず、自らの活動を進めて行くことになる。
一方、第二次鉄道建設法は大幅縮小した後、可決した。
帝国本土への鉄道建設支援に建設会社に関わらせることによって、彼らを宥めることに成功したからだ。ただ、最低賃金法と雇用基本法への賛成票と投じることを条件にしていた。
「利益分配に誘導。本当に政治家になりつつあるな」
鉄道経営から離れて政治家として活動しているようで、昭弥はしばらくの間、自己嫌悪に落ちいった。




