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鉄道英雄伝説 ―鉄オタの異世界鉄道発展記―  作者: 葉山宗次郎
第二部第四章 サービス戦争
217/763

豪華列車

【お詫び】

 今朝一話投稿いたしましたが、投稿した内容が今日夕方に投稿する内容を間違えて入れてしまいました。前後の話のつじつまが合わなくなる可能性があったので、一旦削除して改めて投稿しました。

 皆様にご迷惑をかけて申し訳ありません。

 今後も鉄道英雄伝説を宜しくお願いします。


4/7 誤字修正

 大迷宮を通る連絡線建設決定を決めた取締役会で昭弥は新たな計画をぶち上げていた。


「新たな列車を作るぞ」


「まあ、それぐらいならな」


 サラは、しょうが無いなと言う表情で答えた。

 実は車両の製造費というのは非常に安い。

 日本だとトンネルは長さにもよるが何百億円、海底トンネルの場合は何千億単位になるが、車両の場合はせいぜい一億円前後。

 この世界でも大体これぐらい掛かる。

 大迷宮を利用したお陰で掘る作業が少なくて済む連絡線だが、大迷宮まで続く線路の敷設に費用が掛かっている。

 そのことを考えると、車両なんて安くて済む。

 新幹線の事業費だって殆どが土地の取得費やら高架の建設費で車両の費用は一%~三%ぐらいだった。

 少々語弊があるが鉄道会社にとって車両というのは安いのだ。


「それでどんな列車や?」


「豪華列車だ。定員は一〇〇人前後、多くても一五〇人以下にする」


「ちょいと多くないか一両当たりならそれ以下の方が広くないか」


「いや、一編成の定員です」


「一寸待ちな!」


 慌ててサラが止めた。


「少なすぎへんか?」


 日本だと一両当たり、特急で七〇ぐらい、通勤電車で一五〇人ぐらいだ。

 王国鉄道の場合大きな車体を使っているので更に乗せることが出来る。乗客を多く乗せることは、鉄道会社に取って収入が上がると言うことであり、乗客数の増大は至上命令と言っても良い。

 それを昭弥は減らそうと言うのだ。


「採算は大丈夫なん?」


「大丈夫、単価を上げるんですよ。一等の十倍くらいに」


「暴利やないの?」


「いえ、これぐらいの予算を出しても良いという人はいるでしょう。それに目的としているのはこの列車に乗ることを目的として貰うんです」


「? どういう事や?」


「列車に乗って楽しんで貰うんですよ」


 鉄道は人や物を運ぶ事を目的として建設された。

 そのため、多くの人、物をより早くより遠くへ運ぶ事を目的に開発していた。

 それとは真逆とも言える事を行おうと言うのだ。


「しかし、上手くいくんかいな」


「絶対にやります」


 昭弥は断言した。強い熱意でこの計画を推進する所存だった。

 昭弥の胸にあるのはオリエント急行88、パリ発東京行き寝台列車とその日本クルーズだ。

 物語では無く、実際にあのオリエント急行が日本までやって来て、走ったのだ。

 切っ掛けは一九八二年のフジテレビの特番『夢のオリエント急行 ロンドン - イスタンブール華麗なる3500キロの旅』。と五年前に廃止されたオリエント急行を復活させ走らせる内容だった。当時オリエント急行を所有していたVSOE社の保有するVSOE(ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス)だけではなく、イントラフルークの保有するNIOE(ノスタルジー・イスタンブール・オリエント・エクスプレス)を繋げて走らせた。

 それを見た番組プロデューサー沼田氏は、オリエントと言いながらイスタンブールまでしか走っていないことを見て、東京まで、そして日本を走らせようと考えていた。

 ヨーロッパの方では理論的に可能と言っていたが、日本側は不可能とか頭ごなしテレビ局や国鉄に言われていたが、ただ一人当時国鉄運転局長だった山之内氏が検討を約束。フジテレビを通して入手した設計図を元に検討し、主要幹線に関しては可能という調査結果を纏めた。

 山之内氏はパリの鉄道の国際機関への出向経験があり、個人的にオリエント急行を日本で走らせる事が出来ないか検討しており、その経験が役に立った。

 だが、準備が進められたが本気になる人はおらず、しばらくの間計画は遅々として進まなかった。

 しかし八六年になって再来年八八年のフジテレビ開局三〇周年記念特別企画として、オリエント急行88が正式に決定、計画が実行されることになった。

 ただ当時は国鉄がJRへ分割民営化を行っていたまっただ中であり、計画は一時中断したが、JR発足後、記念行事を行いたいとしてJR東日本副社長に就任していた山之内氏が「国鉄では出来なかったことをやりたい」ということで始まった。

 その後、主な交渉先であったVSOE社の社長がヘッドハンティングで交代し、後任社長が計画を大きく変更することを求めたため、再び頓挫。やむを得ずもう一つのイントラフルークに相談を持ちかけたが、怒られた。


「何で真っ先にウチで相談しないだ」


 ということがあり、日本へオリエントエクスプレスが来ることが決まった。

 各国交渉は中国が鉄道事故の影響で難色を示し、上海では無く香港からの船による輸送に変更。フランスもはじめはそんな事する奴はいないと取り合わなかった。

 ただ、ソ連(元ロシア連邦)はゴルバチョフ就任によるグラスノスチ、情報公開が行われており、比較的に開放的でありすんなりと交渉が進み、東側諸国も同意した上、空撮まで許してくれた。ゴルバチョフ以前なら、秘密管理のため空撮どころかまともに入れなかっただろう。

 軌間が違うため各国ごとに合った台車を用意したり違う連結器を結ぶために控え車を用意するなどの準備が進んだ。

 中でも難関だったと思われるのが運輸省(現国交省)に許可を得ることだった。

 国外からやって来る列車を走らせることを日本はそれまで想定していなかった。

 しかも車体は古い木造、北陸トンネルの火災事故で不燃性車両の導入を推進してきた立場として可燃性車体を認める訳にはいかなかった。さらに車内暖房に石炭ストーブを使っているため火気厳禁の青函トンネルを通したくなかった。

 おまけに世界大戦を生き抜いた車両でまともな設計図が残っておらず検討さえ難しかった。

 それらを一つ一つ解決して行き、ようやく九月七日、パリ・リヨン駅より出発した。

 車体の行き先も、駅の表示も、アナウンスの放送も全てオリエント急行東京行きとなっていた。

 最初に引くのはオリエント急行殺人事件に登場した230G形蒸気機関車。フランス国鉄の粋な計らいだった。

 これを見た山之内は、JR東日本も負けてはいられないと最終列車にはD51がオリエント急行を引くと宣言。遅々として進んでいなかったD51復活プロジェクトが急ピッチで進むこととなった。

 オリエント急行はユーラシア各国を通過、シベリア鉄道を通って二六日香港到着。一〇月六日に日本、徳山下松港に到着した。

 そこで日本用の台車に履き替えた。尚、連結面に関しては日本側が扱いやすいように日本表記が貼り付けられたが、イントラフルーク社長は日本に来た証明として残すと表明した。

 そして、いよいよ日本で走らせる事となった。ヨーロッパの車両が日本で受け入れられるか心配だったが、杞憂だった。

 時はバブルまっただ中で人は金使いが荒かった。

 まず、東京駅までの運転でパリ発東京行きの運転を終了し世界最長距離列車記録を打ち立て、パリから全行程を乗った乗客一七人に記念証を渡した。

 その後は日本国内のクルーズで合計七〇本計画されたが、いずれも四〇~八〇の定員に対して平均五.二倍もの応募者があった。

 一番高い日本一周九泊十日など、お一人八八万以上だったにもかかわらず定員七四名に対し約一三倍の九五一名が応募した。

 そして一二月二五日、上野駅で全ての運行を終えたオリエント急行はヨーロッパへ帰っていった。

 ツアーの総定員約二九〇〇名、売り上げは六億七千万円。

 総事業費が三〇億以上と言われているので収益としては悪かったが、その影響は大きかった。

 トワイライトエクスプレス、三両のみながら新時代の寝台列車のプロトタイプとして作られた夢空間、カシオペア、JR九周の七つ星など、オリエント急行88の残した遺産は大きい。

 その後オリエントエクスプレスは、ユーゴ内戦によりイスタンブールまでの運転が出来なくなったり、運営会社の経営難によって分割されたりなどして、ちりぢりになる。

 そのうちの一両が、箱根のラリック美術館に展示されており昭弥は見に行ったときもう一度走らせてみたいと思った。

 その願いは今となっては叶わないだろう。

 だが、その熱い情熱により壮大な計画が実現したことを知っている昭弥は、オリエントエクスプレスを範にとり、豪華列車を送り出そうと決意していた。


「何が何でもやる」


 昭弥は、溢れんばかりの熱意で計画を進めた。

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― 新着の感想 ―
[一言] オリエント急行パリ→東京、このような伝説な偉業があったのですね。 今回の語りでもその熱意が伝わって来るのが素晴らしかったです。
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