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馬を引く者  作者: 江鋼太値
馬を引く者                     第二幕 勇気
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4、闇影

 

 闇影には兄がいた。兄はとても優秀でにっくき(つがい)でどんなことをしてでも勝たなければならない対だった。でも、我は負けた。負けて追放され、永劫闇に閉じ込められた。

 あんなに恐い兄の顔は生涯一度も見たことがない。それが私と兄の逢いまみえた最期の時だった。


                               ▲


 幼いころ私は兄が大好きだった。強くて勇ましく、やさしい。それが私が兄に懐いていた感情だった。でも、いつしかそれが悪に変わってしまった。

 それは私が弱かったからだ。弱いからって誰にも勝てないわけではない。兄からみて弱いというだけだ。

 まだ子供のころはそれでもよかった。でも、年を経ていくに従い、それは憧れから憎しみ、そして悪へと変貌していった。

 「今日もまた負けましたわ。兄さん」

 草の地面に両手の手の平を着き、地べたに座り込み、足を大きく開いた姿勢で兄を見上げながら今日も負けを認める。

 全戦全敗。それが私が生まれてから兄と戦った全ての戦いの勝敗である。

 兄さんは地べたに座り込む私の片方の手を取り、立ち上がらせながら、

 「いいや、おまえは強い。今日も負けそうだったぞ」

 と呟く。

 兄に助け起こされた私は、兄さんに微笑みかけながら、

 「いいえ、あれは当記(れっき)とした敗北ですわ。兄さん」

 「いいや、負けだ負け。今日も負けでいいよ」

 兄さんはいつも笑顔で笑いながら負けを認める。

 いつもいつも、いつでも私に勝ちを譲る。でも、私はそれが嫌いだ。倒してもいないし、降参させたわけでもない。なのに私の勝ちなんて、兄さんはずるい。いっそ私を殺してくれたらいいのに。でも、兄さんに私なんて殺せるわけないよね。だって兄さんは私の命の恩人なんだもん。

 「んっ?優子(ゆうし)よ。どうした?どうして泣いている。兄さんまた悪いことしたか?」

 地面にお尻を着き、また座り込んで顔をうずめてしまった私に、手と足を着き近寄りながら声をかける。

 私は涙をぬぐいながら、

 「大丈夫だよ。なんでもないよ。心配させてごめんね、兄さん」

 と呟く。

 「よう、今日も負けたのかよ。弱虫。あーほんと顔にハエが止まるかと思ったぜ。観てて・・・ぶぉ」

 私は私より弱い相手に弱虫と言われたのに腹が立ち、立ち上がりざまに相手の顔に聞き手(左手)で一撃をお見舞いする。

 それを喰らい、相手は草の地面にお尻を着く。

 「どさっ」

 そしてこう呟く。

 「いってぇなー。いきなりなぐんなよ。本当のことをいったまでじゃないか。弱い者いじめはよくないぜ。嬢ちゃんよー」

 私は眼の前の相手に怒りをぶつけるようにぶちまける。

 「私より弱いのにでしゃばってくんじゃないわよちび」

 相手も負けじと言いかえす。

 「ちびとはなんだ。ちびとは」

 もう止まらない。一度ついた火の粉は止まることをしらない。

 「きこえなかったのー?じゃあもっかいいってあげるわ。おちびさん。わたしより弱いおちびさん」

 その言葉が相手の癪に障り、口火を切る。

 そのときなにがあったかは正直覚えていない。でも、これだけは言える。私はやってしまったのだ。力に任せ。相手を殺してしまったのだ。兄さんの観ている前で。

 こいつは一条通(いちじょうとおる)。私の幼馴染みで殺したい相手の一人でもある。そしてアルミナ一のちびでもある。ちびとはさげすみの意味でちびと呼んでいるわけではなく、本当に背が低いからちびと呼んでいるだけである。

 幼いころ通は泳げない私を海に突き落とし、殺した。そう私はあのときに死んでいればよかったのだ。

 通から聞いた話だが、私がちびと呼んだのが頭にきて殴り飛ばし、

 「死んじまえー」

 って叫んだら、本当に海に落ちてしまっていたらしい。

 その日通は落ち込んで帰ってきて、いつもと違う通の顔を見た母親が、心配して問い詰めたところ、

 「優子が死んだ。死んじまったんだよー」

 と泣きながらぶちまけたらしい。それからは連鎖で私の家にも伝わり、唯一の肉親の兄が心配し、探しに来て、海に漂っている私を見つけ、人工呼吸をし、危うく一命を取り留めてしまったということらしい。

 だから、憎んでいる。憎んでいる相手を殺して何が悪い。

 もう終わったんだ。なにもかも。だから出ていく。この村を。アルミナを。そう思った時にはもう駆けだしていた。止める兄の手を振り払い、私は目を閉じたままそこから逃げるように立ち去った。もう何も見たくなかった。もう誰も信じたくなかった。あの大好きな兄さんさえも。


                              ▲


 私はいつのまにか一面の木の世界に迷い込んでいた。ここはたぶん瞳の森だろう。だってこんなに薄気味悪いんだもん。

 私は森の中を歩きながらふと立ち止まり、後ろを振り返ってみる。しかし、そこには誰もいない。いるわけがない。だってもう、

 「へえー追いつかれたんだ。おまえ俺を殺したんだ。だって、おまえ俺を見て目がびびってるし、涙が止まらないみたいだし、足はがくがくして鳥肌たってるし、恐がりすぎだろ。なあ、弱虫」

 そこにはいるはずのない狸がいた。私が勢いにまかせ殺してしまった狸。そう通がそこにはいた。

 「とおる。ねぇ、とおるなの?」

 私は目から涙を流しながら弱弱しく問いかける。目の前にいるのは本当の通ではないってわかってる。でも、問いかけずにはいられない。だって今目の前にいるんだもん。

 「よお、また来てやったぜ。弱虫」

 通はいつものようにさげすむような顔をしながら黒い(まなこ)の色を瞳に(やど)したままそう呟く。

 私は頭ではこれは現実じゃないとわかっていながらも、身体(からだ)がいうことをきかず、弱弱しく言葉を発してしまう。

 「生きていたんだ。そう、よかったね。通が私の拳で死ぬわけないよね」

 「ばーろう。あんな拳痛くも痒くもねーよ」

 通は鼻の下に右手の人指し指を置き、こすりながらぶっきらぼうに呟く。

 私はそれが嘘だとわかっていながらも身体がいうことをきかず、涙を止めることもいとわず、顔を両手で覆い隠しながら、足を曲げ、地面に女座り(正座)になりながら座り込む。

 座り込む私の右肩に通の左手が優しく置かれる。私は涙を拭いもせず、顔をあげ、相手の眼をまっすぐにみつめる。通の眼と私の眼が合わさる。

 そこからは両者睨み合いが続いた。両者一言も話さずずっとみつめあっていた。それは恋人のような視線ではなく、ライバルとしての視線。いがみあうライバルとしての視線だった。


                             ▲


 だれしも憎みたい相手がいて、だれしも互いに嫌悪しあうライバルがいる。私と通はライバルだ。力というライバルではないかもしれない。だって、力の差は歴然なのだから。でも、だれがなんといおうと私のライバルは通だとわたしは思うとる。通もそう思ってくれてる。だからここに来た。俺のライバルとして私を元気づけるためか。それともたたきのめすためなのかはわからないが、私には通が必要だと思ったから彼は来た。

 私と通は今睨み合っている。ずっと一言も話さず両者視線を外すことなく、ずっとだ。

 空はいつしか暗くなり始め、もう何も見えない。でも、狸の眼は人間の眼よりも闇に精通している。闇の中でも瞳は曇らないということだ。

 だからお互い視線を外すことなく相手を真正面からみつめあうことができる。

 また朝が巡ってきた。森に朝日がさし始め、緑の色が見え始めてくる。まっくろだった(せかい)に光が差し込み、私のこころを満たしてくれる。

 いつしか私のこころにも光が差し込み始め、それと同時にゆっくりと通の姿もかげりはじめる。

 少しずつ周囲の色と同化し始める。それはいつしか森の影となり、周囲と同化し、とけこみはじめる。もう私に通は必要ない。そう、必要じゃないんだ。

 「ありがとう、通」

 私は誰に聞こえるわけでもないのにそう呟く。私のこころに光を灯してくれた通に感謝の念を送るために。

 「へえ、やっと追い付いたぜ。ゆうし」

 私の背にそう呟く声が聞こえる。その声はいつもの私の耳には聴きなれた声。

 そう、兄さんの声だったのだ。

 「なんで兄さんはこう空気を読まないのかなー」

 私の眼にはいつの間にかまた涙があふれだし、目の前をみえなくしていた。

 そう思った時にはもう目の前の人物(兄さん)をなぐっていた。


                               ▲


 私は振り向きざまに兄さんの顔に聞き手で一撃をお見舞いする。

 あたった。あたるとは思ってなかった。だっていつも兄さんは私のことなんて、私のことなんて、

 「どーでもいいって思ってんでしょ」

 私は叫んだ。力一杯叫んだ。

 兄さんは私の拳を喰らい、ふっとび、宙を舞い、

 「どさっ」

 草の地面に背中から倒れ込む。

 草は兄さんの体重に負け、折れ曲がり、私の拳の勢いとも相まって、少し兄さんの身体が地面の上をすべったのかはわからないが、草の地面が勢いに負け、土の地面が少し顔を出している。

 兄さんは立ち上がらずにこう呟く。

 「できるじゃないか。俺がいなくても。そう、それでいいんだ」

 なにがそれでいいんだだよ。なんでそう空気が読めないのよ。なんでいつも私のこころをへし折ってくるのよ、兄さん。

 あー涙が止まらない。涙が。

 優子は両手をだらーんとたらしたまま女座りで地面に座り込み、ひざから上はぴーんとのばしたまま顔を(そら)にむけ、涙を流す。涙を流しつづける。

 そこに無情にも兄の拳が飛んでくる。

 立ち上がり、地に左片膝つけ、右腕を肘から曲げ、振りかぶり、一気にたたきつける。

 それは私の泣いている顔の顎の左側にまともに入り、無情にも私のこころも一緒にへし折ってしまう。

 「ねぇ、兄さん。もう兄さんには私は必要ないんだね。必要ないんだね」

 それは兄さんへの問いかけではなく、私、自分への問いかけだった。

 そう、優子はタヌキんど一世に見捨てられたんだ。もういらないっていって捨てられたんだ。

 優子の人生にはそこでピリオドが打たれたのだ。もう誰も彼女を助けることなどできないのだ。彼女の穴を穿つ存在などもう一生現れることなどないのだ。

 タヌキんど一世は呟く。そう、

 「ねむれ」

 と。

 それは彼女のこころの穴を永遠に穿つ楔となり、一生彼女を苦しめ続ける刃となった。


                               ▲


 タヌキんど一世は横たわり、目を閉じ、永遠に日の光りを浴びることのない存在に彼女を変えてしまうために草の地面に横たわる彼女の両手をお腹のところで組ませ、呪いをかける。

 そう、それは影の呪いといって、かかった相手を闇に変えてしまうのだ。

 タヌキんど一世は瞳の森にしか咲かない(かげ)(ばな)を一輪引っこ抜き、優子の手とお腹の間にそっと()ける。

 影花の花びらは黒く、なにものも通さないような真っ黒い闇のような色をしており、真ん中の雌花は一際黒く、なぜか空へと棘のように尖っている。

 根っこは存在せず、水を吸うこともないため、何を養分としているのかも正直いってわかっていない。

 茎の色だけが深い緑色を放っているため、異様にほかより目立っている。

 周りには黒い影のような闇を纏っており、それはたとえこの花を地面から抜いたとしてもけっして消えることはない黒い闇の影だ。

 そしてこの煙のような闇を吸った者は姿を闇へと変え、けっして元の姿へと戻ることはないという。謂わば永遠に消えることのない呪いを相手にかけることができるというすぐれものなのだ。

 だから闇の生物には重宝され、高い物やけっして世に出回ることのない闇の物質(人間の世界でいう闇市で売られているような恐ろしい物のこと)との取引きで使われ、世の中から消えてしまった生物もいるという恐ろしい生物兵器なのである。


 タヌキんど一世はその取ってきた影花を彼女の身体に活け、祈りをささげた。

 彼女の方へ身体を向け、右の片膝を地面につけ、座り込むような姿勢になり、両手を組み、祈りをささげる。

 「闇よ、彼女を誘いたまえ。永遠に消えることのない闇へと彼女を誘いたまえ」

 祈りを影花が聴き届けたのかはわかないが、影花を纏っていた闇が影花から離れ、彼女の身体(からだ)の周りへと集い始める。それは徐々に彼女の身体を蝕んでいき、彼女の身体をけっして消えることのない闇へと変えてしまう。

 影花に纏わりついていた闇が全て消え、闇が彼女の周りに集い、完全に彼女を包み込む。

 もう彼女の顔も見ることができない。もう彼女の輪郭はどこにも残っていない。もう誰も彼女が優子だとは思わない。そう彼女は闇に包まれ、闇影へと姿を変貌してしまったのだ。

 最期にタヌキんど一世は彼女の周りに一輪ずつ花を添える。そうそれは彼女を闇の世界に幽閉する扉となりえる存在だった。

 夢見(ゆめみ)(ばな)。この花を相手の身体に添えると相手を夢の世界へと誘うといういわずと知れた花。

 彼女の身体を夢見花で覆い尽くすと、タヌキんど一世はその場を離れた。

 闇へと変わってしまった彼女をその場に置き去りにし、背を向け、ものすごい速度(スピード)でその場を離れる。

 そのときのタヌキんど一世の背には闇が纏わりついているといってもいいほどいっそう暗く淀んで見えた。しかしその後、彼は彼女のほうを振り返ることは一度もなく、涙を流すこともなかったのだった。



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