第八十頁
どれくらい歩いたのだろう。
辺りは暗くなりかけている。
曇っているから、そして冬は日が短いということもあるのだろうが。
「スグルさん、今日はどこでお休みしましょう」
「どうすっかね……」
雪原だと雪よけになるものが全く見当たらない。一夜を過ごすついでに埋もれるのはごめんだ。
「もしかしたら、もう少しで海岸に出るかも知れない。海岸なら岩もあるし、削れた隙間にテントを張って雪から逃れる事も出来る。もう少しだけ歩けるか?」
「私は大丈夫ですけど。スグルさんが……」
俺は、メグルに心配させてしまっていたのか。
「俺なら大丈夫だ」
「そんな事言って、前に倒れたじゃないですか」
「あれは腹が減ってたからだよ」
「昨日もそんなに食べてないです。いいから休みましょう」
確かに、冬の木々には何かしらの実どころか葉すらついていないし、こう吹雪いていると火も起せず魚は焼けない。バステリトで貰った保存食のクッキーなんて、はずれ里にたどり着く前に食べきってしまった。
「でも、メグルだって食べてないのは同じだし……」
「なら、なおさらそんな女の子に歩かせるのは酷いと思いますよ?」
「それもそうだな。けど……」
それでも、寒さに凍えることもしたくない。
休むにしたって、どうにか雪を避ける事だけでもしたかった。
「じゃあ、少しだけ引き返すか……」
木の傍にテントを張っておけば、何もない雪原よりは雪よけになりそうだ。この吹雪も、また夜中のうちに止むことを願ってそうしよう。
「スグルさん、荷物持ちましょうか?」
「いや、いいって。そんな迷惑掛けられないよ。背中だって空いてないだろ?」
「そうですけど……」
「そんなに俺の心配ばっかりしなくていいんだぞ。何たって、俺はメグルを守るために旅をしてる、ていうことでもあるんだからな」
「それだと、スグルさんが可哀相です」
「そういうところがあるから、俺はメグルを守りたいんだよ。俺だけにじゃなくって誰にでも優しいだろ?」
「別に優しいなんてことは……」
「メグルはそういうけどな、周りから見たら優しいんだ。そんな誰にでも優しいメグルが優しくされないなんておかしいって俺は思う。だから、少しでも役に立ちたいし、危険があれば守ってやりたいんだ」
「そう、なんですか……」
「そうだぞ」
どうやら、暗くなってきたのはやはり曇り空だけが原因ではないようだ。今は隠れているが、太陽が沈んでいるに違いない。直に夜になる。
「さ、休むって決まったんなら行こう。動いてないと雪だるまになる」
メグルの手を引いて、俺は引き返そうとした。
「背を向けていいのか? 今宵の闇は深いぞ」
「…………!」
「ス、スグルさん……」
声が聞こえるや否や、俺は真っ先に振り返った。
吹雪く雪原に一人の影が立っていた。
黒いローブ姿は、まさしく昨日に出会った偽物のメグル。
「お前……!」
昨晩と同じだ。奴はメグルと同じ顔をしている。
「私です!?」
メグルが驚くのも無理はない。
偽メグルは、吹雪の中に立っているというのに、ローブには全く雪が付着していなかった。
長いローブの袖で手が見えないが、恐らく中ではダガーを握っている。
「……メグル、危険だから注意しろ」
俺は偽メグルから視線を逸らさないまま、背のリュックを雪の上に落とした。
「わかっているな」
「何がだ……。メグルと口調が違うみたいだが、もう真似は止めたのか」
「真似? スグルにはこれが真似に見えるのか。君たちの現身だっていうのに。姿だけなんだけどね」
「訳の分からない事を言うな。それと、気安く呼ぶな」
「スグルさん、あの人、攻撃してきますよ……!」
さすがはメグルだ。
敵の殺意をすぐに察知したのだろう。それとも、こちらへ歩んでくる足取りに、分かりやすいほどの変化が何かあったのか。
どちらにせよ、攻撃の意思があるならば先手を打たせてもらう!
素早く出現させた弓を構え、正面の偽メグルに向けて放った。
瞬間、偽メグルは右の方へととんでもない速さで移動した。
まるで雪の上を滑る様に、いや、それ以上だ。地面の雪が舞いあがりすらしなかったのだから。
ローブは雪を被っていないし、奴は雪の影響を受けないのか?
そんな馬鹿な……。
「私はあの人を止めます! スグルさんはいつも通り援護してください!」
「わ、分かった」
途端に戦闘モードに入るメグルにはいまだに慣れない。
俺は、言われた通り援護に注力することにした。
「二人がかりなんてずるくないですかぁ?」
「メグルの真似すんな!」
もう一度矢を放つ。
それもかわされ、偽メグルは始めの位置に戻っていた。そこへ目掛けてメグルが走り出す。偽物とは対照的に、雪を蹴りあげながら進んでいた。走りにくそうだが、それでも速い。
ダガーで向かってくる偽メグルの攻撃を受け流し、隙あらばダガーを弾き飛ばしている。
やっぱりメグルは強い。
だが、相手はいくら武器を取り上げられようとも怯みはしなかった。次々に新たなダガーを出現させ、狂ったようにメグルに斬り掛かる。
早く援護してやらなければ……!
俺は狙いを定める。だが、吹雪が邪魔で中々集中できない。それでも、偽メグルに視点を合わせて矢を飛ばした。
すっ、と偽メグルがそれをかわし、メグルとその偽物の間を矢が通過した。矢が通った軌跡には、一瞬だけ雪のない空間が出来上がった。
「かわされたか……!」
しかし、諦めずに次の一発を用意する。
メグル、なんとか耐えていてくれ。そう思ったのだが、偽メグルの標的はもうメグルではない様だった。
こちらを向いている。
直感で来ると分かった。
またしても、滑る様に雪の上を走って来る。
一定の距離まで詰めてくると、偽メグルは雪を蹴り、舞い上げた。ほんの一瞬だけだが、偽メグルの姿を見失う。
跳んだのか!
降りかかってくる粉雪を手で払い、上空に向かって矢の先端を向ける。
しかし、そこに人の姿はなかった。
「いない……!?」
「違います! 後ろです!」
前方でメグルが叫んだ。
「後ろって……。またか!」
振り返れば、本当に偽メグルがそこにいた。
いつの間に前から移動したんだ。
「へへぇ……」
ダガーを握っている腕は、すでにしっかりと脇が閉まっていた。もう突き出しにかかっている。
「くっ……」
剣に切り替えている暇はない。
俺は弓のまま、胴の部分を持ってダガーを受けた。鈍い音がして、雪を切り裂きながら進んできた刃が止まる。
弓が壊れることはないと思うが、これだけの近距離では反撃が出来ない。
昨日とは違い、偽メグルはすぐに腕を引き、何度も突きを繰り出してくる。それを、防戦一方ながらも数回弓で受ける。
なりふり構っていられない。
偽メグルが次の一手を繰り出そうとした時、その隙を見て俺は弓を大きくふるった。
野太い風切り音を鳴らしながら、最後まで振り切った。振り切れてしまった。
完全にはずれたという証拠だった。
「今度は本当に上です!」
次こそは、と矢を取り出してすぐに上に向けた。だが、遅かった。
ここまで迫ってきているとは思わなかった。
偽メグルは勝利を確信したような笑みを見せながら、俺の頭上へ降りてきている。
ダガーの先端は、見上げた俺の額に向かっていた。
「スグルさん、死んでくださいねっ」
ここぞとばかりにメグルの声を出しやがって……。
だがその時、宙に舞う偽メグルが吹き飛んだ。
「スグルさんは死なないんです!」
メグルが、刀の柄で偽物の顔面を殴りつけたのだ。
「私の顔でそんな事言うなんて許せませんっ!」
メグルは、偽物のメグルの上に馬乗りになっていた。今にも喧嘩になりそうな図だ。
「あ、ありがとう。メグル」
助かった、という気持ちでとりあえずお礼を言っておく。
だが、メグルは聞いちゃいなかった。それどころではない様なのだ。
「あなた誰なんです! どうして私と同じ顔をしてるんですか!」
「くく……。魔者化が進んでいるな……!」
「魔物化? 何のことですか」
「さあな~」
「…………」
俺は、メグルが見ていないながらも何となく右腕を隠した。偽メグルが言う様
に、俺の右腕はさらに寄生が進行していたからだ。
「そんなことより答えてください! あなたは誰なんです? どうしてこんな事するんですか!」
偽メグルはメグルの声で答え始めた。
「俺が何者か? どうしてこんな事をするか? そんなこと決まっているだろう! 俺は陰の幻魔だ。七護を殺す為に存在する。七護を守ろうとするお前らを殺すのも使命というわけだ……!」
「幻魔……!」
なら、ここで手を打っておいた方が賢明なのでは。それをメグルに伝えようとした時だ。
「だがそれ以上に――」
「え? あっ!」
「俺は最もマジン様に近い存在なのだ……!」
抑えられていたはずの偽メグルは、メグルの腕を捻り、いとも簡単に雪の上へとねじふせてしまった。
ダガーを逆手に構え、突き刺そうとしているのか。
「やらせるか!」
すぐさま矢を向ける。
すると、偽メグルは何もせずにメグルから飛び退いた。
「……マジン様はいずれ世界を開くことだろう。その時までにお前を殺す!」
「ふざけんな! 今、お前に死んでもらう!」
構わず、矢をぶっ放した。
「ふふ……。あのお方には似ても似つかんな……」
偽メグルもとい陰の幻魔は、俺の放った矢など気にもしていない様子。それもそのはずだろう。奴は、まさしく影のように暗闇に溶けていなくなってしまったのだから。
「くそっ……。あいつも幻魔なのか!」
しかし、これまでの幻魔たちとは明らかに強さが桁違いだった。人の姿をしていながら、相当な実力があるに違いない。実力というよりは、魔力なのか。
そんなことより、メグルの安全を確かめなければ。
「メグル、大丈夫か!」
だいぶ深くなった雪を大股で踏み越える。
押さえつけられていたメグルは、雪にめり込んでいた。
「メグル?」
「ぷはっ! もう一人の私はどこです!?」
「あいつは消えたよ」
「倒したんですか?」
「いいや、逃げられた」
「そうですか……」
やはり、自分と同じ姿をした敵を見てショックだったのだろうか。これまでは元気だったメグルも、今は落ち込んでいるようだった。
そんな俺たちにまだ追い討ちを掛けるように、天候は吹雪き続けている。
だが、メグルはすぐに笑顔を向けてくれた。
「私はスグルさんの味方です」
「メグル……。ああ、そんなの分かってるさ。俺だってメグルだけの味方だ」
本当にメグルは優しいんだ。
敵をどうこう言うのではなく、俺に言葉をかけてくれる。
「戦って疲れたな。寝るところでも探そうか」
雪の上に座っているメグルに手を差し伸べた。
「はい!」
握ったメグルの手は、こんなに雪にさらされているというのに、やっぱりどうしてか温かかった。
あの偽メグルが裏だとするならば、こっちのメグルは間違いなく表だ。それを陰の幻魔も分かっているのだろう。
だから、自分の事を〝姿だけ〟の現身だと言っていたのだ。
持っている心は正反対なのだろうから。




