第四頁
森の中は薄暗い。
草原に立っている時は、広く明るい世界に感動すら覚える程だった。草木の青々と自生する様は、人の手の掛かっていない生命の息吹がそこにあった。
だが、ここはどうだ。
夜のように暗く、茂る草木はまるで襲い掛かってきそうではないか。
童話によく見る、魔女の住む森みたいだ。
そんな森に通る、一本の茶色い道を進んで行く。
時々見失ったりするが、メグルはあまり気にしていない様だった。
迷ったりしないだろうか、なんて考えもしないんだろう。さっきの様子では。
だんだんと草木の深さが増していく。
そんな時、ふと先を行くメグルが話しかけてきた。
「そういえばスグルさん」
「なに?」
時々振り返りながら、メグルは話す。
「スグルさんの髪の色変わった色ですね」
「髪の色?」
何となく、俺は自分の髪を触った。
色と言われても、俺は染めてもいないただの黒だ。
それが変わっているだなんて言われるとは、思いもしなかった。
向こうの世界では地味も地味。黒髪清楚美少女以外にはなんのメリットもない色だというのに。
だから俺は言った。
「メグルの髪の方が変わってるんじゃないか? そんな青い髪見たことないぞ」
コスプレとかでしか。
メグルは不思議そうな顔をしている。
「そんなことないですよぅ? 私の周りだってこんな感じですし。私の住む村の外にはもっと違う色の髪の人もいますよ。人種が違うから当たり前ですけど」
「そうなのか?」
「そんなものです。それにしても、スグルさんはそんなことも忘れてしまったんですね……。なんだか、可哀相です……」
「可哀相って……。………心配してくれてありがとう」
「記憶、戻るといいですね」
「あー、うん……」
そのうち、本当のことを言わなきゃならないかもな。
俺は嘘をついているということにあまりいい気はしなかった。
すると、その時だった。
「スグルさん! 静かにっ」
メグルが前に向き直り、俺が前に進まないようにと腕を真横に出した。
前方に何かいるのだろうか。
しかし、俺には何もわからない。何がいるのかも見えない。
それでもメグルは何かの気配を感じ取っているようだった。
そして、《バトルアクセ》を装着している方の腕、右手を前に伸ばした。
次の瞬間、あの青い光が《バトルアクセ》から溢れてくると、メグルの手の辺りに集まって刀を形成した。
「スグルさん! 行きますよ!」
「えっ? うわ――」
何が起こるのかさえ分からない俺の手を握って、メグルが凄まじい速さで走り出した。その直後、脇の草むらから巨大な熊が現れた。
「でかあっ!?」
あまりの巨体に、俺は思わずそんな声を上げてしまっていた。
「よそ見しないでください! 木にぶつかってしまいますよ!」
前だけを見据えるメグルは人が変わったようだった。
それにしても速い。
俺の足は、もう自分の力で動かしているのか分からなかった。メグルに引きずられているような感覚だ。
このままでは、転んでしまうかもしれない。
「……た、戦わないの!?」
駆け抜ける際に耳に入ってくる、ばさばさとした草木の音に負けないよう、俺は叫んだ。
「ここでは不利です! もう少しですから!」
メグルはひたすらに森を飛ぶように走る。
俺は引っ張られていく。
後ろからは木をなぎ倒しながら迫ってくる、信じられない大きさの熊。
ありゃあ、三メートルはあるんじゃないか?
メグルの背中を見たり、熊を見たり、俺も俺で忙しかった。
だが、時間にしてそれほど長くはなかったと思う。気が気ではなかったからそう感じたのかも知れない。
とにかく、一瞬にして周りの草木がなくなったのが分かった。
森を抜けたのだろうか。
いや、違う。
泉だった。
ここがメグルの言っていた、野宿の場所なのだろう。
しかし、呑気にそんなことを言っていられる場合でもない。
あんな奴がいたら、大人しく野宿も出来ないのだから。
泉のある開けた場所に出た途端、メグルは急に振り返り、そのまま熊目掛けて刀を振り下ろした。
だが、熊はメグルの顔の倍はありそうな手のひらでそれを軽々と受け止める。ただ、軽々といっても、刀の刃を受けた手のひらからは出血が見られた。
しかし、その程度だった。
熊は全く動じずに、その刀を持ち上げてメグルごと投げ飛ばす。
メグルの体は宙に浮かんだ。
ちょうど、熊の頭上だ。
「ああっ……! 危ない――」
俺がそう漏らした時には、メグルの体はすでに落下しようとしていた。
このままでは、数秒も立たないうちに熊の口の中だろう。
メグルは確かに美味しそうだが、それは駄目だ。食べられていいはずがない。
だが、どうしていいのか分からない俺は動けない。どうしていいのかというよりは、どうすることも出来ないと言った方が正しか。
さっきの狼との戦闘は何だったのかと思う。
しかし、俺は目を疑った。
宙に浮かびながらもメグルは自由だったのだ。
猫のように体を丸めて一回転。態勢を整えた――はずだったのに、終わってみれば頭は地面の方を向いている。
もしかして、回転に失敗した……?
そう思わずにはいられなかった。
しかしそうではなかった。
メグルは大きく口を開けた熊に向かって一直線になり、刀を構えた。
頭が口の中へと入ってしまいそうになった直前、構えた刀の先を熊の肩に突き刺す。
すると、メグルの体はがくんと止まり、口に入って来るのだろうと予測していた熊はがちんと口を閉じる。
メグルが寸でのところで止まったのだ。
熊が閉じた口を開けようとした時には、すでにメグルは次の行動に移っていた。
一旦、熊の肩に降り立つと、素早く刀を引き抜いて、そのまま首元を斬りつざまに地面に降り立った。
その間、俺は一度も瞬きを出来なかった。
呆気にとられるしかなかった。
そのあまりの早業に。
しかし、まだ戦闘は終わっていない。
熊は首を斬りつけられたものの、まだ倒れるどころかその動きは衰えない。むしろ、傷をつけたことによりいきり立っていた。
熊の背後に着地していたメグルが、俺に向かって何か叫んでいる。
「スグルさん! 戦ってください! この熊はただの動物じゃありません! 魔物です!」
「ま、魔物!? でも、そんなこと言われたって……」
あの時はメグルの刀を使って戦ったわけだし、それに魔物って……。
あの時の狼とは違うのか?
いやまあ、熊と狼との違いはあるだろうけど……。
「スグルさん! 早くしてください――」
熊が、メグル目掛けて腕を振り下ろした。
メグルはそれを交わすも、防戦一方となっていて反撃する余裕がなさそうだ。
「《バトルアクセ》に念じるんです! 自分に一番合っている、使いたい武器を!」
「自分に合った武器……? 使いたい武器……?」
そうだ、俺はメグルを何としても助けなければ。それが出来なければ、結局は俺もやられてしまうのだろうし、やるべきことは決まっている。
しかし今、俺の心には一つの蟠りがあった。
それは、俺が器用貧乏な性質だというところにある。
自分にあった武器?
なんでも中途半端だった俺にそんなものがあるというのだろうか。
使いたい武器?
俺が選んだとして、それが上手く活かせないものだったとしたらどうする。
くそっ。
どう転んでも失敗する未来しか見えないじゃないか。
「スグルさん! お願いします!」
メグルももう長くはもたないだろう。動きが乱れてきている。
「…………」
選ばなければ、俺に最善の武器を。
……いや。
俺にとって最善の武器なんて恐らくないだろう。
しかしだ、それは俺が器用貧乏であるがためのデメリットに他ならない。
逆に考えろ、俺のメリットは何だ。
器用貧乏がゆえに、ある程度のものなら大抵は使いこなせるところじゃないのか?
だったら――。
俺は俺に合う武器でも使いたい武器でもなく、その場にとって最善の武器を選んでみせる。
「くっ……! 出せるか!? 俺にも!」
俺は、メグルがやっていたように腕を前に伸ばし、手を開いて念じてみた。
念じろ。強く念じるんだ。
そうすれば《バトルアクセ》答えてくれるはず。
その時だった。
体の中から何かが抜けていくような感覚と共に、《バトルアクセ》から青い光が出始めた。淡い、青白い光だ。
溢れるようなその光は、俺の手元に集まり、一つの武器の形を創りだしてゆく。
そして、完成した。
「やった……!」
弓だ。矢は無いが、それは《バトルアクセ》がまた創りだしてくれると、感覚的に分かった。
メグルが、俺が武器を出せたことに気が付いたようだ。
一度、爪の攻撃をかわし、語りかけてくる。
「スグルさん! 私が囮になりますので、その間に熊の首元にある石を狙ってください!」
メグルが此方に向かって走りながら言う。
熊もそれを追って此方を向き始めた。
「石?」
「そうです! そこが弱点です――からあっ!」
その言葉と同時に、メグルは高く舞い上がった。
熊はその行方を追って空を見上げる。
その時、その弱点の石とやらは露わになった。
泉の周りには木が無いお蔭か、太陽の光が射しこむ。
その光のお蔭で、熊の首の丁度中心に、きらりと光る一つの石があるのが分かった。
「あれだな……!」
俺は弓を構えた。
すると、俺の攻撃する意思に反応してか、右手には《バトルアクセ》から溢れてくる光が、輝く矢を形成した。
弦を引き、狙いを定める。
恐らく、二度目のチャンスは無いかもしれない。
これを当てなければ……!
「当たれッ……!」
俺は、振り絞った弦から矢を放った。
矢は一直線に熊の首元へと向かい、その速さは熊の首を射るまでに一切のぶれを見せない。
そして、最後には石を粉々に砕き散らした。
瞬間、熊の動きが明らかに止まった。
そこへ、落下してきたメグルが斬撃を加える。
「止めです!」
巨大で強大だった熊の首は体から切り離され、どさりと落ちた。頭を失った体はゆっくりと草原の上に倒れ、軽く地面を揺らす。
着地したメグルが傍に寄ってきた。
「はあ……はあ……」
膝に手をついて息を整え、その後に上げた顔には笑顔が広がっていた。
「スグルさん、凄いです!」
戦っている時とのこのギャップ。
少し怖いような気もする。
「いや、メグルが囮になってくれたからだよ。止めを刺したのもメグルだしね」
「いいえ、止めを刺したのはスグルさんですよ。ほら」
メグルは倒れた熊を指さした。
「あ……」
熊はみるみるうちに青い光となって、空気中に霧散していく。体毛も、爪も、骨でさえも消えてゆく。
「石を砕いた時から魔物の死はもう決まっているんですよ。あれは、いわば魔物の心臓部の様なものなので」
「なあ、あの石ってさ……」
「はい。《バトルアクセ》についているのと同じ物です」
「……動物が自ら《バトルアクセ》を使うのか?」
「それは分からないです。でも、私たちが使っているものが魔物を倒した時に得られる代物ということは事実です」
メグルは、すでに熊の形ではなくなった青白い光の群れにゆっくりと入って行く。
そして、何かを摘まんで拾い上げた。
あの石の欠片だ。
しかし、それも弾けるように光の粒になってしまった。
「今回は砕けちゃいましたけどね」
淡い光に囲まれる少女の姿は、それは美しいものだった。
メグルの藍色をした髪が青の光と馴染んでいたから、より一層そう思えたのかも知れない。
しかし、周りの光が完全に消えてなくなってしまった時には、
「今日はここで野宿です!」
美しいというより、可愛らしい表情で笑っていた。