第三十九頁
「……ハンスは元の世界に戻ったのか?」
純粋な疑問だ。
もし、何らかの方法がここに記載されているのだとしたら、俺はそれを読むべきだろう。
たとえ、俺がこの世界に残りたかったとしても。
もしかすると、行き来できる可能性もあるのだから。
『私は、この世界の人々にたくさんお世話になった。ありがたかった。恩返しもしたい。だが、それでも私は元の世界に戻りたかった。魔物に食われて死ぬのだけは嫌だから』
読んでいて思う。
このハンスという人は、魔物と戦ったという記述が一切なかった。
恐ろしくて出来なかったのだろうか。
それとも、この世界の茶髪種の人たちと同じように、《バトルアクセ》を使いこなせない体質だったのかもしないな。
すると、ちょうどその後に、それらしき事について書かれていた。
『私がこの世界から戻りたいと思ったのには訳がある。つい先日、この世界で初めて友人になった人物が魔物に…………からだ』
「ん? なんだこれ」
魔物に、の後が完全に黒く塗りつぶされていた。
ゴミだと思い、指でこすってみたが消えてくれない。
これでは、ハンスの友人がどうなったか分からないではないか。
恐らくは、殺されたのだろうが……。
『だから私は異世界から抜け出したかった。魔物と戦えば私も友人のようになってしまう。そう思ったからだ。だが、異世界から戻る方法は一切見つからなかった』
なんだ、見つからなかったのか……。
『それには理由があった。私がこの世界で倒れていた場所。そこはルクリエイトの人によると、どうやら遺跡だったらしい。この世界にとっての異世界から、私の様な異世界人を呼び出すための。しかし、どのような理由があってそんなことをするのかはここには記述できない』
「何でだよ……」
『仮に、私以外の人間がここへ連れて来られた時、真っ先に真相を知れば、この世界の為にならないからだ。だから、書くことは出来ない。だが、遺跡はこの世界にとって。いや、遺跡という大規模な召喚場によって召喚される片割れの世界の人間は、何よりもこの世界に必要なのだ。しかし、私の現れた遺跡は、私を召喚したことにより魔力を失った。崩れた。これでは、もう人間を召喚することは出来ない。だから、私はルーンを学び、ルクリエイトの賢人とともに新たな遺跡を建設した。今までの遺跡は魔力で土を固めあげただけの物だった。魔力を失い、崩れたのもそれが原因だ。だから、私は少なからず知っていた向こうの世界での建築技術を組みこんだ。もう、風化しない限り一つの遺跡で何度も召喚が行える。必要とあらば、七護が召喚を行うだろう。私はその遺跡を――』
「――ラスロ神殿と名付けた、か……」
まず気になるのは、ピスカではないのかということだ。
メグルのいたプレイン村では、儀式を行う遺跡の事をピスカ遺跡と呼んでいた。そして、俺はその遺跡で目を覚ましたんだ。
七護が言うには、俺は七護を守る存在としてこの世界に呼ばれたらしい。
なら、俺はピスカ遺跡で召喚されたということになる。
ラスロ神殿というのは、また別の物なのだろうか。
それとも、この五百年の間に、ハンスという人物の後継者がまた新たに作った神殿を、今はピスカ遺跡として呼んでいるのだろうか。
もしくは、今でもラスロ遺跡としてこの世界に存在しているかだな。
仮にだ。
もし、もう一つ存在するとしたら。異世界に人間を召喚する遺跡が二つ存在するとしたらだ。
同じ時間軸で、俺の他に召喚された人間がいる可能性が高くなってくる。
「……………」
俺は、つい先ほど、街中で肩をぶつけた黒ローブの人物を思い出した。
あれは、ローブの影で髪が黒く見えただけなのだろうか……。
俺がこの世界に呼ばれた縁を考えると、どうもあの人物と接触したのも偶然ではないように思えて仕方がなかった。
とにかく、この世界には、俺以外にも同じ世界から連れて来られた人間たちがいたようだ。
その人たちはどのような暮らしをし、どんな最期を迎えたのか。
それを知りたいような、知りたくないような気分になった。
だが、どちらにせよ著者が死んでは自らの死を記述することなど出来ない。例外なく、『ハンスの異世界紀行』にもそんなことは書かれていなかった。
それにしても、風の七護の時もそうだったが、この本でも異世界人の存在がどのように世界にとって必要なのかは何もわからなかった。
ただただ、世界に必要。それだけ。
七護を守ること以外にも、何か特別な理由があるのか?
しかし、それを当人が知れば世界の為にならないとか……。
じゃあ、どうやって召喚された人間はすべきことを知り得るんだ。
誰も教えてくれないんだろ?
だったら、ハンスはどうやって知ったんだ。
「どうやって……」
調べものに来たというのに、却って分からないことが増えてしまった。
だがまあ、俺にはやると決めたことがある。
時と場合によっては、七護を幻魔から守ろうと決めた。
この世界で得た大切な人たちを守ろうと決めた。
何よりもメグルは、その中で一番に守るべき人なんだ。
この世界に来て、右も左も分からない俺に優しくしてくれた人。
両親には半ば見捨てられ、優しさに飢えていた俺は幸せだった。
数日の間だったがメグルの両親にも世話してもらい、親父さんとは語らい、こともあろうに俺なんかにメグルを娶らせようともしてくれた。
はっきり言って、
「……俺はメグルのことが好きなのかもしれないな」
だが、俺があの時にまだ早いと言ったのは、もちろん年齢的な意味もあった。しかし、それ以上に俺の器が足りないと思ったからなんだ。
メグルを守りぬく実力があるとも思えなければ、大きな責任からは逃れたいという気持ちも少なからずある。
俺は、メグルが好きなのに、自分自身の情けない部分が邪魔をして、素直な気持ちを出せないでいるんだ。
慕ってくれると言っていたメグル。
俺が想いを伝えれば、もしかすると簡単にそれに答えてくれるかもしれない。
ハッピーエンドだ。
旅なんて止めて、幸せな結婚生活を送るのかもな。
だが……。
魔物のいるこの世界で、もしもメグルや生まれ来る未来の子供に何かあった場合、俺は守り抜くことが出来るのだろうか。
精神的に未熟な俺が、いくら大人になり、体格も良くなり、魔物を容易く殺すことが出来るようになっても、どこかで隙を見せてしまうのではないだろうか。
その隙が、一瞬の油断が、全てを壊してしまうのだ。
それこそ、弾ける泡のようにほんの一瞬で。
もちろん、メグルは強い。
つい最近の幻魔との戦いでも、幻魔に劣らない刀捌きを見せていた。魔物とも戦い、勝つだろう。
しかし、それではいけないんだ。
これは、俺が大切なものを守れるのかどうかということだ。
俺自身が強くならなきゃ意味が無い。
「スグルさん……?」
本を棚に戻していると、脇で誰かが俺を呼んだ。
俺にさんを付けて呼ぶのは一人しかいない。
メグルだった。
独り言を聞かれただろうか。
いや、聞かれてないな。
メグルは、たった今ここへ来たようだったから。
「やっと見つけました~。あのですね、ご飯がきたのでスグルさんも呼ばなくちゃと思いまして」
「そうか。ありがとう」
「何読んでたんです?」
「ん、まあ、体験記みたいな」
「何の体験ですか?」
「別にいいだろー。なんでも」
「ま、まさかえっちな体験とかじゃないですよね……」
「なんでそうなるんだよ!」
つい声を張り上げてしまった。
ここは図書館だった。
だが、場所が本棚の間だったため、なんとか人目にはつかなかった。
「……第一、皆が来る図書館にそんな本が置いてあったら大変だろ」
ふと思ったが、この世界にエロ本なるものはあるのだろうか。
まあ、最近はそんなものなくとも、色気ものにはあまり困っていないのだが。
「じゃあ、何の本を読んでいたんですか? 私とスグルさんの仲じゃないですか~」
その仲というのは、一体、どういう仲なのだろう。
「異世界の体験記だよ。俺以外にも、この世界に来た人がいたみたいなんだ」
「そうなんですか! それなら、元の世界に戻ることも出来るかもしれませんね!」
「だ、だから静かにしないと……」
「あ、すみません。でも、良かったですね。スグルさんのお知り合いもいるかもしれないですし」
「いや、さすがにそれはないだろ……」
そう易々とここに来られては、俺の立場もあったものじゃない。
「そうですか? でも、やっぱり戻れたら嬉しくないですか? ご家族の方も心配してると思いますし」
「…………そんなことはないさ」
俺の父さんや母さんが心配してるなんてことが……。あるはずない……。
父さんは出来損ないの俺を見捨てているだろうし、母さんは学校の子供たちの方が、俺なんかより何倍も大切だろう。
もしかすると、この世界に連れて来られる人間は、向こうの世界で必要とされなくなった人間が流されてくるのかもな。
メグルには悪いが、この世界は、いわば死の世界の様な物だ。
本来ならば、俺は魔物でもなんでもないただの狼に、あっけなく食い殺されるはずだったのかも知れない。
「スグルさん……?」
「悪い……。ちょっと、考えると頭が痛くなった。けど、気にしなくていいんだ」
「はい?」
「メグルは、俺の家族のことなんて気にしなくていいってことだよ」
「そんな……。スグルさんの家族だったら、私気になります……」
「どうしてだよ。メグルは何の関係も無いだろ」
「そんな言い方……しないでください……」
メグルは俯いてしまった。
「ああ、いや、悪かったよ……。別にそういうつもりじゃ……」
「じゃあ、どういうつもりなんですか。私は、スグルさんとご家族のためを思うと、スグルさんが早く元の世界に戻れるといいなって思います。スグルさんだって、私が炎蛇を退治しなくちゃならなくなった時、私の両親の事も考えてくれたから一緒に来てくれたんですよね? それと一緒です」
確かに、メグルが生贄になってしまっては、衰弱しそうな親父さんは特に可哀相だと思った。旅立つ時だって、メグル母の辛そうな別れ際を見て、俺は絶対にメグルを守らなきゃと思った。
けど、俺の家族は違うんだ。
「それでも俺の家族は!」
「きゃ……」
「……それでも俺の家族は、俺のことなんか心配してないんだ。…………大きな声出して、ごめん……」
俺は、俺の家族を否定することには何の躊躇いもなかった。
言葉通り、俺はあの世界に居場所などないと思っていたから。
だが、そんな世界の俺の周りまでも心配してくれた、メグルをも否定してしまうのが酷く苦しかった。
自然と、拳には力が入った。
どこにも憤りをぶつけることが出来ないから、ただ力強く拳を握るだけ。
本当は誰も悪くないと、俺は知ってるから。
「……俺だって、頑張ってきたんだ。上手くいかないことがあっても、それでも何度も頑張った。でも、努力は実らなかった……!」
だから、俺は才能がある奴が恨めしかった。
どうせ、努力もしてないんだろう。それなのに上手くいって嬉しいんだろうって。そう考えると、努力がクソに思えた……。
やってみないと分からないとはよく言いうが、やっても駄目じゃないか。 そうとしか思えなかったんだ。
だが結果は違った。
努力をしなくなった俺は、今まで以上に置いて行かれた。
追い抜くどころか、ついて行くどころか、足元にも及ばなくなっていたんだ。
「だから俺はこの世界で頑張らなきゃいけないんだ……! 今までの俺を払拭するためにも! 今度こそ……俺の居場所を見つけるためにも…………」
ひとしきり言ってから後悔した。
メグルに、情けない所を見せてしまったと。
メグルの顔を見ることが出来なかった。
だが、そんな下げたままの俺の頭に、優しく何かが触れた。
「スグルさんも、結構お悩みなんですね」
柔らかく、頭を撫でてくれていた。
「私、スグルさんが悩みも何もない人だと思ってました。この世界に来てから何でも出来ちゃいますし、凄い人なんだなって。でも、違うんですね」
そうだ。
俺は単なる器用貧乏にしか過ぎない。
始めて出会った人は、みんな今のメグルのように言ったんだ。スグルは、スグルくんは、何でも出来るんだって。
だけど、俺よりもエキスパートな才能の持ち主がいることを、みんなは気が付いて俺から離れていく。
メグルも、俺が実はダメダメな人間だと知って、さぞ幻滅しただろう。
ああ、そういえば、以前にも幻滅されたっけな。
所詮、俺はそんなもんさ……。
「なんか可愛いです」
「え?」
予想外の言葉に、俺は頭を上げた。
そこでは、メグルがおかしそうに笑っていた。
「ふふ、可愛いって言われて嬉しかったんですか?」
「い、いや、意味が分からないというか……」
「スグルさん、今までみんなにそういう部分を隠してきたんですよね。寂しいくせに、寂しいって言えない。そういうことですよね? それでも、寂しさから抜け出したくて一人で頑張ってた。ほら、可愛いです。意外に健気な所が」
「別に、健気でもないし……。今までは頑張りが足りなかったからこれから頑張ろうとしてるんだし……。――え、わっ」
話している途中で、メグルが抱き着いてきた。
「いいえ。スグルさんは頑張っていますよ。ずっと一緒にいる私が言うんですから、間違ってないです。スグルさんは、頑張り屋さんです」
肩越しに、メグルの優しい声が届いた。
「……………」
ここで頑張っているだなんて言われたら、認められたと思って頑張り辛いじゃないか……。
一目の付かない本棚の間で、俺とメグルはしばらく抱き合っていた。
俺の方が抱かれていたのかな。
少し流れてしまった涙だけは見せたくなくて、俺もメグルの背に腕を回した。




