第三十七頁
その日、俺は兵団長室に向かっていた。
まだ朝の七時だが、アイルズは起きているだろうか。
兵団長室に何の用があるのかというと、それは外出許可をもらうためだ。
まあ、アイルズの事だからすんなり許可を出してくれるとは思うのだが、一応、外出の報告もしておきたい。後で何か起きて、いざこざに発展しても困るからな。
それで、どうして外出をするのかといえば、メグルとラランが城の外の街を見たいと言うからなのだ。
俺は体も疲れているし、休みたいところだったんだけど。
二人とも、やっぱり少し子供っぽさが抜けていないんだ。
行きましょうよー! とか、行くー! なんて朝から騒ぎ立てられて、俺は負けたというわけである。
もう、兵団長室まで来るのも慣れたものだ。
さて、アイルズはいるかな?
扉をノック――しようと思ったら勝手に開いた。
「じゃあ、頼むよ」
「はい!」
そんな声が聞こえてくると、中から一人の兵士が出て行った。
念のため室内を覗き込むと、アイルズは机に向かって難しそうな顔をしていた。
「やあ、アイルズ」
「ん? ああ、スグルくん。おはよう。昨晩はすまなかったね。よく休めたかい?」
「いや、それが色々あってな……」
「そうなのかい? 僕の所為だったり……?」
「いや、そんなことはないぞ! ……それにしても、こんな早くから仕事か?」
「……まあね、昨日言っていた書状を使者に運ばせに行ったところだ。使者は僕ら兵士じゃなく、貴族の仕事だからね」
「そうか。戦争にならないといいな」
「僕が頑張らなきゃね」
アイルズは、持っていた羽ペンを立て掛け、何か思いつめるようだった。
頑張り屋さんはお前の方だろ、とでも言ってやりたい。
「そういえば、スグルくんはどうしてここへ?」
「ああ、そうだった。メグルたちが街を見たいって言うからさ……」
「?」
「いや、外出願いをと思って」
「あー、そんなの必要ないよ~。行っておいで、この国は城壁に囲まれてるから安全だしさ」
「そうか。まあ、報告だけでもしておこうと思ってさ。じゃ」
許可を得たとなれば、後々で何かがあったとして、俺が疑われるようなことはないだろう。
何を疑われるのか。
そんなのは俺にも分からない。
だが、少なからず俺を陥れようとするかもしれない因子が、この国に存在していることは確証を得ている。
念のためだ。
アイルズを利用するわけではないが、証人は必要なんだ。
それが、俺のためでもアイルズのためでもある。
「アイルズには許可を貰ってきたぞー」
部屋に戻り、待っていただろう二人に告げる。
「おう、待っていたぞ。スグルとやら」
そこには、朝っぱらから見たくもない金髪王が何のことなしに居座っていた。
「あ、あの、スグルさん……。この人が……」
「この人とは何だ。私はこれでもこの国の王なのだぞ?」
この王様、自分でこれでもとか言っちゃってるよ。
「そ、そうだったんですか!? 王様って偉い人なんですよね……。私、失礼なこと言っちゃいました……」
「よいよい。メグルちゃんならなあんでも許してやるぞ」
「その……。あんまり体を触るのは……」
「よいではないか~。それに、昨日着ていたドレスはどうしたのだ? まあ、パジャマ姿も可愛いが」
メグルにベタベタしやがって。
「おい! どうしてあんたがこんな所に来てんだ。借りてるとはいえ、一応はプライベートな空間だろ」
「おお、怖い。寝起きであまり怒りすぎると、頭の筋の一つでも切れてしまうぞ?」
「うるさい。早く出ていけ」
「……私は王様だというておるのにその態度。あまり過ぎるとどうなっても知らんぞ?」
「そうかいそうかい。とにかくお子様は部屋から出ような。話はそれからだ」
「何を言う。私はメグルちゃんを引き取りに来たのだぞ」
「あぁ? メグルを引き取りに……?」
こいつは何を言ってるんだ。
「冗談も大概に……」
「冗談はお前の方ではないか。私と契約をしただろう? この部屋とメグルちゃんとのデートをな」
やばい。
すっかりと忘れていた。
アイルズからの境虹の話だったり、昨晩のお風呂騒ぎですっかりと記憶の底から抜けてしまっていた。
「……そ、そんなこと約束したな」
「やっと思い出したか。では、私はメグルちゃんと一緒に……」
「え、あの……!」
王は、使用人が用意してくれたパジャマ姿のメグルの手を引いて行こうとする。
このまま行かせるわけにはいかない。
「ちょっと待て!」
「スグルさん……」
「条件は昼間だけだからな! 後、メグルが嫌がることをするのは無しだ!」
「そんなの分かっておるわ」
「そうか。守れよ? ちゃんと守るんだったらさっさと行け」
「言われなくとも」
「え、ええ!? スグルさん、助けてくれるんじゃ……。あの! せ、せめて、着替えだけでも~!」
「…………」
「おねえ、行っちゃったぞ?」
「ああ、行っちゃったな」
まあ、約束は守りそうだし、何かあったら力ずくでもメグルを取り返すまでだ。
それに、王はメグルの事をかなり気に入っているみたいだし、いきなりメグルの嫌がることはしないだろう。
しかしまあ、メグルの嫌がることをしないなんて条件を入れたはいいが、メグルはデート自体を嫌がっているんだよなぁ。
その辺は気にしない方がいいか。
「さて……。じゃあ、俺たち二人で城の外でも回るか」
「回る回るー!」
ラランは、ベッドの上をころころ転がって喜んでいた。
◇◇◇
城から借りたワンピースを着たラランは、なんていうか、立っている姿だけならどこにでもいそうな少女だった。
昨晩は、嫌がるのを押さえつけながらも風呂で洗ってやったし、清潔さと髪のさらさら感がさらに女の子らしさを醸し出していた。
とまあ、普通の女の子らしさはこれらの容姿だけだ。
外に出ればラランは途端に落ち着きなくなった。
少女とは思えない脚力で、俺の肩辺りまでの高さまで飛んだり跳ねたりしている。
しかも、尻尾が窮屈になるのか、パンツを頑なに履こうとしなかった。
そのため、跳んだり跳ねたりすると丸見えになる尻を、周りの視線から隠すのが大変だ。
「お家がいっぱいだなー!」
「そりゃあな。街だからな。この場合、城下町って言うのか?」
街は比較的開放的な造りになっていた。
道幅も広く、城門から城までは大きな通りが貫いている。大通りから枝分かれする道を行けば、野菜や果物を売っている商店が並んでいる。
店によっては、魚まで売っていた。
そういえば、この魚はどこで捕ってきているのだろう。
大きさからしても、それなりに大きな湖。あるいは海でもなければ捕れないだろう。
「あの、この魚はどこから?」
俺は、店番らしき人に尋ねた。
「あら?」
振り返ると、その人は金髪のおばさんだった。
金髪種にもアイルズの様な人間もいれば、王や公爵の様な人間がいる。それは理解しているから、特に初めから警戒することなどは俺も特にしない。
だが、一つだけ不満がある。
これだけ金髪に出会ってきたというのに、どうして美女が一人もいない?
「この魚はね。水の守護がいる国からの輸入物なんだよ。あそこは川や湖。海まである地域だからね。ただ、遠すぎてこっちから取りに行くのは大変なのよぉ~」
「……へえ、そうですか」
金髪美女しか求めていないのに、おばちゃんは延々と話しはじめるから困る。
お礼を言うと、俺たちはすぐにその場を後にした。
だが、物珍しさから食べ物売り場に入ってしまったのがいけなかった。
「スグルー! お腹空いたー!」
ラランが駄々を捏ね始めてしまった。
「お腹空いたって言われてもな……」
何か買おうにも、硬化なんてとっくにすっからかんだ。
出来れば我慢してほしいのだが。
しかし、そういえば俺たちはまだ朝ご飯を食べていない。
この世界に来てからは一食の量が減ったから、俺も腹が空くのを通り越して随分と小食になった。
だが、一日の体内時計を作るためにも、出来るだけ三食はきちっと食べてきた。
だから、朝ご飯を食べていないとなると、やはり腹は空く。
そんな時、俺たちが野菜屋らしき店の前を通り過ぎようとすると、今度は赤髪のお姉さんが話しかけてきた。
「お兄さん、お漬物はどうだい?」
「漬物?」
この世界にも漬物があるのか。
赤髪のお姉さんは、小皿に乗せたキャベツやニンジンを差し出してきた。
「じゃあ、頂きます」
物は小さいが、少しでも腹の足しになるならと、遠慮なく頂いた。
「ん! 美味い!」
そして懐かしい。
これこそ、イッツアジャパニーズフード。昔ながらのおふくろの味というやつだ。俺の時代からすれば、お婆ちゃんの時代になりつつあるのだけどな。
「美味しいだろう? そりゃあ、ここからもっと東へ行ったところの農村民たちが作ってくれたんだ。あたしたちの仲間も頑張ってんのさ!」
仲間。種。
このお姉さんはそういえば髪が赤いが、もしかすると……。
「あの、一ついいですか?」
「なんだい? 何でも言ってくんな」
「この女の子、知りませんか――。って、あれ?」
ラランがいない。と、思ったら、俺の影に隠れていた。
「どうしたんだよ。お前、人見知りするようなやつだったか?」
「…………」
どうしたのか、ラランは俺の背後に隠れたまま出てこない。
このお姉さんは仲間かもしれないのに。
「ララン、お姉さんと話してみろって」
すると、お姉さんは訳ありげに手を振った。
「いいっていいって」
「?」
「いやね、あたしたちの種族って、縄張り意識とかそういうのが強かったからさ。よそのテリトリーの奴に出くわすと、威嚇して攻撃するか、怯えて逃げるかなんだ」
「そんな動物みたいな事するんですか……?」
「動物みたいってか。あんたら人間らしい人間に比べりゃあ、あたしたちは動物と人間の中間の様なものさ」
そう言いながら、お姉さんはナイスなお尻を俺に向け、尻尾を揺らして見せた。
「まあ、その所為でよく差別もされるんだけどねぇ」
確かに、動物と人間の中間ではあるから、差別する人間も出てくる事だろう。
でもやっぱり、この人もどちらかというと人間色の方が強いとは思うが。
「あたしたちレッドの種はね。やっぱり動物っぽいせいか、身体能力が高いんだよね。その子と一緒にいれば分かるだろ?」
「そういえばそうですね」
ラランは、アクセの力も何もないのにとんでもない跳躍をする。
幻魔を一緒に倒した時だって、矢の威力や命中精度は凄かった。その予想
以上の身体能力のお蔭で、俺たちは勝利できたとも言える。
「ただね、少し薄命でもあるんだよね」
「え……?」
「ほら、獣系統の動物って、人間と比べりゃ長生きしないだろう? それと一緒さ」
「そうなんですか……。でも、そうするとお姉さんは今いくつで?」
「ふ~ん?」
「え、何ですか……」
お姉さんは、やけに顔を近づけてくる。
「興味あるのかい?」
「あ、いえ、まあ。……でも、女性に年齢を聞くなんて失礼でしたね……。すみません」
「いや、違うのさ! あたしは聞いて欲しいんだよ~」
「へ?」
「だってさ、あたしらは薄命なんだ。ということはどういうことか分かるだろ?」
「どういう、ことなんですか……?」
「早期早熟ってことだよ~。これでもあたし、十五なのさ」
「ええっ!? こんなにナイスバディなお姉さんがっ! 俺より年下ぁ!?」
「そうさっ! 驚いただろう?」
「驚きますよ……。まさか……」
そんな夢設定のような女性がいるとは思いもしなかった。
いやあ、世界は飛び越えてみるものだなぁ。
「ちなみに、その子は十歳ぐらいかね」
「そうなのか? ララン」
ラランは首を振り、両手の指を一本ずつ立てた。
「なんだ、十一だってさ」
「みたいですね……」
そんなに年下だったのか。こんなにボインなのに。
しかし、後四年もすれば、ラランもこのお姉さんのように素敵なお姉さんになるのか。これは、最低でも四年は旅を続けなさいという、神のお告げにしか受け取れない。
驚く俺の反応を見てなのか、お姉さんは何故かにやにやしていた。
そして言う。
「ついでに言うとさぁ~あ? 早熟ってのはこういうことでもあるのさ……」
お姉さんが屈んだと思えば、エプロンをはちきろうとしている苦しそうな胸の谷間が露わになった。
「うわわ……」
刺激が強すぎる。
「あたしたちはさあ~。薄命だから出来るだけ早くに子供作んなきゃなんないんだよ。動物っぽいのもあって、十五から二十には必ず発情期がくるのさぁ。つまり、あたしも絶賛発情中ってわけぇ……。お兄さぁん……。今晩どうだい? その黒髪の珍しい種おくれよ~」
「い、いや! それはちょっと……」
「駄目なのかぁい? もう好きな雌がいるのかい? あ、もしかしてその子がそうなんだ? でも、お兄さんからはまだ他の雌と交わった匂いがしないけどねぇ」
あろう事か、お姉さんは白昼の道端で腕に絡みついてきたと思ったら、耳に生温かく囁き始めてきた。
腕だけでなく、俺の股の間から尻尾まで回してきた。
「あ、あの! これだけ貰っていきますね!」
試食用の漬物を素早く取り、先ほどから食べたそうにしていたラランに渡した。
「あぁん。一回ぐらいいいじゃないのさー」
「ララン逃げるぞ!」
こうして、ああいうことから逃げるから俺はいつまでたってもDT――。
……自分が空しくなることを考えるのはよそう。
それに、あのお姉さん、いや、年齢的には罪深いか……。
ともかく、順序を省きすぎなんだ。ああいうことはもっと色々と互いに積み重ねて――。
だから、考えるのはよそうじゃないか……。
顔が熱くなるのを感じながら、俺はひたすら走った。




