第二十一頁
宿のお姉さんにも協力してもらって、街の人達には出来るだけ集まってもらった。
そこで、俺はみんなに告げる。
「皆、聞いてほしい。この街から公爵は出て行った!」
しばらくの静寂。
そんなわけないだろう。
何故、出て行ったのだろう。
信じられない、といった様々な思いが、人々の中に浮かんでいるようだった。
少しずつざわめき始める。
「国からの税収なんかは、今度どうなるのか分からない。でも、横暴な公爵はもうこの街にはいないんだ。みんな、どうか安心してほしい!」
途端に、歓喜の声を上げる街人たち。
どうやら、本当に公爵がいなくなったと理解してくれたようだ。
「それは本当なのかい!?」
「いや、でも、今朝に見たってやつがいたんだ。公爵が逃げていく姿をな」
「そりゃいい! また、織物でもしてちゃんと稼ごうじゃないか!」
そんな声が口々に聞こえてきた。
だが、俺から告げるべきことはそれだけじゃない。
パニックになり、聞く耳を持たなくなることを想定して先に良い情報を伝えたが、やはりこの後にあれを伝えるのは辛い。
しかしそれでも伝えなければ、危険に晒されてしまうのはこの人達なんだ。
「みんな静かにしてくれ!」
俺は、今一度声を張り上げる。
注目が集まったところで、重たく感じる口を開いた。
「確かに公爵の横暴からは逃れられたが、もうすぐこの街には魔物が攻めてくるかもしれないんだ!」
明らかに、戸惑いと取れる声が聞こえてきた。
次第にその声は、怒声にも似たものへと変わっていく。
どうしてだの、どうすればいいだのと、何故か怒りの矛先は俺に向かってくる。
それは仕方がないと分かっている。
こうなることは予想済みだ。
中途半端に手を出すくらいなら、始めから手を出すなとメグルに言ったのは他でもない俺なんだ。
少なくとも、ゴブリンに限りだが、街を魔物から守っていたとも言えないこともない公爵を追い出してしまったのも俺なんだ。
この責任は俺が取るべきだろう。
「ただ、慌てないでほしい! この街にくる魔物は俺が倒して見せる。皆を危険に晒すようなことはしない! こうなったのは少なくとも俺の所為でもあるんだ。その責任は俺が取る!」
「スグルさん……」
「大丈夫さ。見た感じ、相手の魔物は小さかった。炎蛇の時ほど苦戦はしないはずだ」
「……私も手伝いますからね」
メグルは、心配そうな瞳で見つめてくる。
「ああ、ありがとう」
俺はメグルの手を軽く握って応えた。
俺の言葉を少しは信用してくれたのか。
街の人たちは言うことを聞いてくれた。
自分たちには戦う術がないというのも理由としてあるのだろう。
魔物が街にやって来るまでに、街の人たちには家の中へと籠っていてもらうことになった。もちろん、物乞いをしていた人たちもだ。
あまり広くない通りに残された俺とメグルを、窓から眺めている人たちが見える。
果たして心配してくれているのか。
それともただの野次馬か。
そんなのどちらでもいい。
俺は決めたんだ。
俺の成すべきこと、やるべきことは自分の求めたものだと。
街の人を守る。メグルを守る。
それは死を賭けた戦いに身を投じる上で、大切な意思だ。
しかし、それ以上に大切なのは生き残ろうという意志。
俺が死んでしまえば、今ここでは、街を救おうとするのはメグルだけになってしまう。メグルを守ろうとするのは、誰もいなくなってしまう。
……日が落ちてきたみたいだ。
薄い虹色を透過して地上に降りてきた夕日の陽射しは、強いオレンジに七色が混じっている。
公爵は夜中にゴブリンと取引をしていたから、恐らくはその時間帯に、公爵が来ないと感じて街に来るだろう。そう予想していた。
だが、万が一事を察して早めに街に来られては、こんなにたくさんの人を守りきることは出来ない。
もちろん、ゴブリンたちが家の扉を破壊して侵入しないとも限らない。
それでも、出来る限り安全な所に逃げ隠れていてもらえば、俺達も戦いやすいし、犠牲を減らすことも可能だ。
本番は、日が落ちてからが勝負。
それまでは心を落ち着けて待とう。
「ふー……」
「何か来ますよ!」
それは突然だった。
隣にいたメグルが、三角跳び的な事をして左右に立ち並んだ建物を上がって行く。
相変わらず、良い運動神経だな。
家々から顔をのぞかせていた人々も、メグルの跳躍を見て歓声を似た声を上げていた。
アクセを使いこなせない人なりの反応だろう。
それにしても、何か来るとは魔物のことなのだろうか。
だとすると、予定よりも早過ぎる気が……。
メグルが何かを感じ取ってから僅かな間、街の人や俺は緊張に包まれた。
一体、どれほどのゴブリンがやって来るのだろう。
奴らは、見た所群れを成す魔物のように見えたが。
次第に、耳に不快な音が聞こえてきた。
通りの向こうから、キイキイという高い鳴き声を上げながら、何かがやって来る。
「ひやああああ!」
屋根の上でそれを観察していたメグルの目には、もう何かが映ったのだろうか。
か弱いとも取れる悲鳴を上げていた。
恐れているのとは、また違った悲鳴だ。
「な、何ですかあれぇ!」
「何って……」
俺はゴブリンが来ると宣言したはずだが、プレイン村付近にゴブリンはいなかったのだろうか。
遠くから大きくなってくる黒い粒たちに目を凝らしてみる。
それらが色や形がわかる程に近づいて来て、やっと俺も、それがゴブリンではない事に気がついた。
蜘蛛だった。
巨大な蜘蛛が、大量の子蜘蛛を引き連れてこっちに向かってくる。
「なんじゃありゃ!」
意図せず、俺もそんな声を上げてしまった。
ゴブリンではなかったという予想外の展開についてでもあるし、何よりもその気持ち悪さにだ。
どの個体もが、紫がかった黒の体毛をしていて、それが大きいからまた何とも言えない。
親とも思える一番でかい奴で、馬二匹分の大きさはあるんじゃないだろうか。
それ以外の子蜘蛛も、小さいとはいえ俺の片幅ぐらいは普通に超えている。
それが、複数の足をわしゃわしゃと動かして迫って来るのだ。
俺だって、鳥肌が立つ思いだ。
メグルが悲鳴を上げるのも無理ない。
「なんでゴブリンじゃねんだよ! これじゃ心の準備が……」
「スグルさーん! 来ますよー!」
まるで他人事のような声が聞こえてきた。
上から見ているメグルは、近寄り難そうに一歩引いている。
手伝ってくれるんじゃなかったのかよ……。
それにしても、こいつらも魔物なのだろうか。
ならば、今までと同じように弱点であるストーンがどこかにあるはずだ。
「黒髪の少年君!」
「ん?」
どこからか、たぶん俺を呼んでいるだろう声が聞こえてきた。
傍にある建物の、二階あたりの窓からだった。
「あいつらは俺達が石を獲るために狩ってた魔物だ! 今日は俺達が狩りに行かずに減らさなかったから、街まで攻めてきたんだ。アクセを使えるんなら強く感じないと思うが、すぐに増えるから注意しろ!」
なるほど。
街の人たちは、こいつらと戦っていたのか。
確かに、《バトルアクセ》を装備していない、あるいは装備しても使いこなせない人々が相手に出来るぐらいだから、それほど臆することは無いのかも知れない。
だが、すぐに増えるから注意しろという忠告。
無視するわけにはいかないな。
俺は弓を構え、とうとう街の中まで侵入してきた蜘蛛たちに狙いを定める。
どれを狙おうというわけではない。
数十はいるだろうその群れになら、数撃てば当たる。
矢先に視線を集中させ、俺は先頭を切って来た一匹の辺りを目掛けて放った。
光が直進する。
見事に先頭の一匹に命中し、子蜘蛛は砕け散った。
飛び散った子蜘蛛の破片は、血を撒き散らすことなく、青い光の粒子となって空気中に消えていった。
あの現象、魔物が死ぬ時と同じもの。
どうやら、紛れもない魔物の様だ。
そして、魔物というのは弱点のストーンを破壊・削ぎ落とすかしなくとも、体ごと粉砕してしまえば命を絶つようだ。
今回のように小柄な相手なら、まとめて吹き飛ばしてしまった方が早いということか。
しかし、その今回の相手が物量にものを言わせて攻めてきている。
一体一体を吹き飛ばしたからといって、それほど痛手ではないようだ。
まあ、個々が弱いからこその戦法なのだろうが。
俺は、その後も何度か矢を放っていた。
それで気がついたことがある。
俺の放つ矢はアクセで具現化した矢であるためか、敵一体に当たっても、その的が砕け散れば勢いを失わずに進んでいくようなのだ。
放った瞬間に光となるから言うまでもないのだが、俺の知っている物質的な矢とは異なっているらしい。
まさに、一石二鳥ならぬ、一矢多蜘蛛。
四字熟語になってないな。
ともかく、そのお蔭で着実に敵の数を減らすことが――出来ていないらしい。
何度も何度も矢を放っているというのに、子蜘蛛たちは一向に後退しない。
数十匹だと思っていたが、その予想をはるかに上回る数が攻めてきたというのだろうか。
「キリがないな……!」
矢を出すのだって、武器の具現化を維持しているのだって限りが無いわけじゃない。
使っているうちに、どんどんと吸い取られるように体力を失っていくのが全身で感じられる。
矢を一本生成すれば、ふっと一瞬ながらも力が抜けるような感覚さえある。
そういえば、始めに見た巨大な親蜘蛛の姿がまったく目につかないが……。
「少年! だから、増えるから無駄だって言っただろう! 俺達は倒すだけ倒して石を手に入れてきたんだ。逃げ切らないと意味がねえ。街に入れちゃあお終いよ!」
そうか、あの大量のストーンにはそんな背景があったのか。
倒しても倒しても増えるから、石を獲得するには格好の獲物だ。
しかも、オーバーキルで石を砕く心配のない街人にとっては、うってつけの相手というわけだ。
だがこの蜘蛛たちは、一体どうやってこんなにも増殖しているのか。
「スグルさん! あれです!」
次々となんだ……。
手にしていた矢を放った隙に、俺はいまだ屋根上にいたメグルを見やった。
「あのおっきい蜘蛛が小さいのを増やしてます!」
だから、増やすってどうやって――。
前方を見て、俺は呆気にとられた。
巨大蜘蛛が、通りを挟んだ建物を使って、これまた相当な大きさの蜘蛛の巣を作っていたのだから。
建物と地面の形の所為か、蜘蛛の巣は俺の知っている形ではなかった。
ほぼ真四角に紡がれた糸は、怪しげな光を放っている。
すると、糸によって真四角に囲われた空間が、どんよりとした紫色に変わっていく。
その奇怪で不気味な空間からは、なんと新たな子蜘蛛たちが一斉に姿を現した。
「あれは……。召喚魔法です!」
「召喚って……。あれがか!?」
始めて見た、って当たり前か。
召喚だなんて、本当にあり得るだなんて思いもしなかった。
あっちではファンタジー創作の御用達。完全なフィクションだからな。
しかし、召喚されるのがもさもさした蜘蛛とは、なんとも魅力が無い。
夢をぶち壊された気分だ。
そもそも、
「糸で魔方陣を描いたみたいですね」
そんなことが出来るのか、と小一時間問い詰めたい。
形が四角で文字が刻まれてない所を見ると、どうも次元を引き裂いたといってくれた方が、俺的には納得できるのだが。
「何にせよ、気持ち悪いんだよおおぉ!」
俺は、力の限り矢を放った。
「キィーーー!」
ボウリングのピンのように、蜘蛛たちが隊列を崩していく。
「スグルさん! 無駄な体力を使っちゃ駄目ですよぉ! あれをどうにかしないと数は減りません。むしろ増える一方――」
突如、メグルが屋根から飛んだ。
飛んだ先は、向かいの建物の壁だった。
目を離している隙に、蜘蛛が建物に登っている。
女性が襲われそうになっていた所を、メグルが助けたようだ。
真っ二つになった蜘蛛が力なく落下し、地面に到達する前に消えていく。
「とにかく、このままだと街の人たちも危ないです!」
「そ、そうだな」
「私があの陣を斬ってきます! その間に、スグルさんはおっきな蜘蛛を!」
「……ああ」
格好よく跳ねていったが、どうしても蜘蛛に近づきたくないのは分かった。
とりあえず、あの大蜘蛛をどうにかしなければ状況は悪くなる一方というわけか。
さっきのように街の人たちに被害が出る前に、あいつを倒さなければな。
俺は、メグルのように屋根目掛けて跳んだ。
「おおっと!?」
屋根に上るだけに思えるかもしれないが、案外、跳ぶ勢いと角度を調整するのが難しいのだ。
跳ぶ勢いが僅かに足りなくて、何とか屋根を手で掴んでよじ登った。
《バトルアクセ》の力を同じように使っているとはいえ、俺がメグルのように超人的な身体能力を使わないのはそういうところにある。
使わないのではなく、上手く使えないのだ。
普段の身体能力をいきなり変更するのを想像してほしい。
力加減が出来ずに物を壊してしまうだろう。
普段通りにカップでも持ち上げようとしたら、軽すぎで何処かへぶん投げてしまうことだろう。
そんな風に、扱いが難しいのだ。
だから出来るだけ慣れていこうとは思うが、今のうちは抑え気味にしている。
それに、力を解放することによって増加する体力の消耗も気になるしな。
俺は、屋根の上を駆けだした。
屋根はそこそこ角度があるものの、西洋瓦は比較的平らで走りやすい。
前方でも、メグルが魔方陣に向かって走っている。
すると、そのメグルが走りながら下を指さした。
見ると、ちょうどその場所を巨大な蜘蛛がのそのそと前進している。
「あれか……」
下からでは分からなかったが、上からだとその全長がよく分かる。
まるで道を塞ぐように、蜘蛛は通りにほぼぴったりな大きさだ。
確認できたのはそれだけじゃない。
ストーンだ。
あれは腹なのか尻なのか。
要は糸を出すところの部分なのだが、蜘蛛の体事情はいまいちよく分からない。
とにかく、そんな部分の中心にストーンが輝いていた。
これなら、今が射るのに絶好のチャンス。
この機会を逃すまいと、俺は一旦、変形弓を消失させた。
標的は確かに動きが鈍い。
今すぐにでも撃って仕留めたいのは山々だ。
だが、この斜面とも言える屋根の上では踏ん張りがきかない。
以前、炎蛇と交戦した時に、力場の安定しない状況下での弓矢の使用は威力も命中も十分に発揮されないことを学んだ。
矢の一本を使用するにも体力を消費する。
ならば、一点集中するのが得策なはず。
俺は、新たな武器を念じ、出現させた。
手元には、今まで使っていた弓よりは小さく感じるボウガンが現れた。
引き金を引くだけなら、足腰を使わずとも撃つ方法はある。
行進する巨大蜘蛛が最も近くに見える位置までやって来ると、俺は屋根の上に寝そべった。
隙だらけなら、いくらでも狙いを定められる――。




