現在(いま)に至る
現状に落ち着きましたね。
そして、男の秘密も暴かれました。
最後に、弟が「想いでの味」にかけた願いも。
――男がかつての「味」に出会えて、初めて男は周囲の声に耳を傾けるのです。
……その奇跡に、かつての「彼女」の「想い」を見出しているから。
――男性は結局、七年後に出所した。
海風が男性の瞼をくすぐり、まどろみから醒めた男性はソファから腰を上げると、家を出て目的もなく海沿いを歩いて行った。
そのメモは、懲役中に姉の手に渡り、姉の手を通じて旦那様の手に渡った。あれは紛れもない、彼女の遺書だったから、渡るべき人に渡して欲しいと男性が頼んだのだ。
そして、真実を知った主人は謝罪の意味も込められ、男性たちには良くしてくれた。
たとえば、元居た家では周囲が事情――殺人犯を生んだ家ということ――を知っているから住みにくかろうと、海沿いの別宅をくれた。半年に一度、日常生活に十分なお金も送ってくれている。
それでも、もともと優しいだけが取り柄の、臆病で病弱な母は、我が子が捕まったとストレスで床に伏せ、のちに息を引き取った。
そして男性も入所中に、想い人に何もできなかった無力感と母の訃報というショックが原因で、だんだんと心因性の味覚障害に陥った。
もう、どんな味も感じない。この口にとって、熱いものならひりつくような、冷たいものなら透き通るような、そんな触感だけが料理だった。
波が、寄せては引いていく。けれど、世界は後戻りなんてしない。
吹き抜ける湿った風が、男性の長く伸びた髪を流してそのまま過ぎ去った。手を伸ばしても、掴めやしない。
今はもう、子供のようにはしゃぐことはできない。
日々を怠惰に生きるだけ。それ以上には動かない。
動けない。動けばきっと、自分は幸せを探してしまうから。
彼女のいないこの世界で、彼女のことを忘れようと、必死に幸せを探してしまうだろうから。
「…………」
もういいじゃないか。そんなことを言う自分も、男性の中に確かに居た。
あんなまずい飯を七年も食べて、人生を削って、もういいだろう。彼女だってそれを望んでいるはずだろう?
男性はそれを是とは出来なかった。例えお嬢様が許したとしても、男性は自分が許せなかった。
たぶん、男性のことを許していないのは、真実を知るものでは彼自身だけだろう。
他人の思いを軽んじることのできない男性は、二律背反に陥った。
だから、男性は出所したとき――自分の慣れ親しんだ世界に出たとき、あんなことを最大の望みにして、それが叶うまでは何もするまいと誓ったのかもしれない。
……それは、彼には叶えようもない願いだから。
もし叶ったのならそれは奇跡で、それはきっと――勝手な思い込みなのだろうけど――男性の前に歩く姿を彼女が望んだ結果の、死の概念を超えた奇跡なのだと思うから。