春、君と出会い
ひらひらと舞う桜の花弁には、『綺麗』という煌びやかな形容詞は似合わない、とすずは思った。
目の前を自由に踊り、地へと還っていく様は、とても淑やかだ。雅やか、という形容の方がしっくりくる、とすずは一人満足げに笑う。
ほんのり桃の色が付いた花弁が、すずの頭上から降りしきる。
その様に、すずの童心が刺激された。
はしたないとは分かっていながらも、澄み切った青空へと手を伸ばす。
花弁の一枚でも掴めたら、と手で宙を掻いた。
しかし不規則に舞うそれは、なかなかすずの掌へは落ちてきてくれない。
花弁に意地悪されているようで、すずも躍起になった。
深い紅色の袴をくるくると遊ばせながら、必死に両の手を振る。
手首に当たりはするものの、やはり掴めはしない。
空は、心まで澄み渡らせるほどに青い。
その青を背景に、桜の木は花弁を優雅に降らせる。目の前に広がる幻想的な光景に、すずの顔も花弁のように綻んだ。
また花弁を掴もうと後ろに下がると、足がもつれてよろけてしまった。
慌てたその時、背中に何かがぶつかった。
「きゃっ」
思わず声を上げ、驚いて振り返る。
少年だった。年の頃はすずと同じ、十六程だろうか。
よろけたすずを支えるようにして立っているその少年は、涼やかな笑みを口許に湛えていた。
間近で見る、優しげで穏やかで、でもどことなくあどけなさも感じさせる微笑に、すずの胸がどきんと音を立てる。 ありがとうございます、とすずが礼を言うより先に、少年がすずの右手を取った。
その手から伝わる温かさに、すずは頬が火照るのを抑えるのに必死だった。
少年がすずの小さな掌に、何かを落とす。
見るとそこには、薄桃色の桜の花弁が、ちょこんと愛らしく鎮座していた。
また、驚いて顔を上げる。そんなすずに、少年は歌うように語りかけた。
「これが、欲しかったんだよね?」
「……!」
驚き目を見張るすずに、少年は春の陽射しのように暖かな笑みを浮かべる。
その明るい光を灯す瞳に、すずは今まで感じたことのない不自然な動悸を覚えた。
「……ありがとう、ございます……!」
ぎゅっと掌を握りしめ、桜色に染まった頬で絞り出したか細い声は、やはりおかしかっただろうか。
少年が、ふっとおかしむように息を漏らす。何となくすずもつられて、二人でしばし笑い合った。
「……あの、私、すずと申します。この近くにある、第一女学院に通っています。あの、あなたの、お名前は?」
失礼のないように慎重に訊ねると、朗らかな声が答えてくれた。
「雅だよ。僕も、この近くにある学園の生徒なんだ」
みやび。
心の中でぽつんと呟く。するとそれだけで、小石を投じられた湖のように、胸の内がじわじわと波紋を広げて熱くなるのを感じた。
「……よろしくお願い致します、雅、さん」
気恥ずかしげに俯いてしまったすずに、雅は相変わらずにこやかに応じる。
「うん。よろしくね、すず」
舞い散る桜にぴったりな形容の名前を持った少年。
春の、桜の木の下での出会いだった。