陽だまりで
吹いてくる風はもう冷たく無くなってきた。暖かな夕方の日差しは景色を橙色に染める。今日はコートを着てこない方が良かったなと思いつつ、閉めていたボタンを開けた。ベンチに座るクラスメイトは、どんどん僕にはわからない話題に入ってゆく。それは僕にとってはあまりに日常茶飯事で、気にならなくなってしまった。ただ、話に参加している体を装って、ぼんやりと楽しげなクラスメイト達を眺める。これはこれで自分自身も楽しいというのは、一介の若者としてバイタリティーが無さ過ぎるだろうか。まぁそれでも良いのだけれど。
「緒方、死んだよーな目してるよ。大丈夫?」
僕のちょうど真ん前に座った女子が、そんな事を言った。死んだような目か。言い得て妙過ぎて、苦笑いしか浮かべられない。
「死んだようなって。失礼なヤツだなお前」
広がる遠慮の無い笑い声。僕の控え目で低い笑い声。別に言葉に傷ついたりはしない。ただ、ちょっと今は、上手く笑えないだけで。
「具合でも悪いの?元気無いね」
君が僕に問いかけた。心配そうな声色。仮に具合が悪くたって、その声で治るよ。きっと。
「いや、具合が悪いわけじゃない。ちょっと……暗い本読んじゃって。それで」
「あーなるほど。緒方君らしい」
君は納得したように小さく頷いた。よくもこんなとっさに、嘘がつけるようになったもんだと、自分で自分に呆れる。ここ最近の数年で、嘘が上手くなったような気がする。
今日読んでたのは暗い本なんかじゃない。読み飛ばせるような軽い本なんだよ。きっとタイトルを言ったところで、君はこの嘘に気がつかないんだろうね。君は、今度読んでみるね、なんて無意識且つ残酷にも、嘘に嘘の上塗り。分かってるんだ、だいたいは。
さっきから、僕が笑えないのは君がいるからなんだよ。僕が君を見る目線と同じ目線で、アイツを見ている君が。いつもアイツと話すときに、顔を赤くして声を震わせてる君が。そう、最近やっと気がついたんだ。
僕の意識の中は君が占めてるってのに。ぼんやりと皆を見ているようで、本当は君ばかり見ているってのに。気がつかないんだろうか、君は。気がつかれても、困るのだけれど。
陽だまりで、ただ君とたった二人で居るような。そんな気がじわじわと広がって、橙に染まるのは僕らだけになってゆく。他は色彩を持ちなどしない。強く強く、ただ君の存在が、僕の近くにある事を幸せに思う。僕の世界はなんて狭いんだろう。二人分しかありはしない。君がいるから、僕はこれからも普通に生きて行く。約束も、感情も、遠い未来も、いらない。ただしばらく続くはずの、君の隣で無くそばに居る事の出来る日々だけが、今、手中にあるはずのものがあれば良い。
「緒方君?目が赤いけど、本当に大丈夫?」
他のクラスメイトはこっちなんか気にせずに話してるのに、君だけは僕を向いてくれるんだ。気にかけてくれるんだ。嬉しいけど、残酷だよ。本当に。
「大丈夫、大丈夫。寝不足なだけだ」
「ふーん。それなら良いんだけどっ」
君はぽんと僕の腕を叩いて、他のクラスメイトの話題に入って行った。灰色の中に、入って行った。
不用意に、触れないでくれないか。結構ね、揺すぶられるんだよ、感情が。
クラスメイト達がどっと沸いた。君も笑った。ちょっと照れたように笑った。相好を崩さずにいられないような笑顔で、ああ、やっぱりこれだけで良いんだろうなと、僕は思った。
橙色は、まただんだんと景色の全てを染めだした。僕の狭い狭い世界も、無くなりはせずとも、見えなくなる。
この橙が蒼く変わるまでは、家には帰りたくない。