同じ顔の男が集う店
その店には、同じ顔をした男ばかりが集まっていた。
舞台には、赤い幕が下がったままだったが、それぞれのテーブルには、既に温かな料理が並んでいた。チキンやスープの香りが立ちこめ、ウエイターが忙しなく行ったり来たりしている。
「あおぉーげばぁーとぉとしぃー」
突如、幕の前で一人の若者が声を張り上げた。
彼の名は、栗崎稔。年齢は二十歳前後。中肉中背、適当に切りそろえた髪。無個性の固まりのような顔をした栗崎青年は、宙の一点を見つめ、口をOの字に開いていた。
彼は所謂、「売れない芸人」というやつである。その要因は……ひとつ、彼の自信作をご覧いただきたい。
「わがぁーしのぉーおんー」
そこまで歌い上げると、彼は徐にあるものを取り出した。それは、ほかほかと湯気を立てる餡饅だった。彼はこれ見よがしにそれを掲げてみせる。
「って、それは我が師じゃなくて、和菓子だろ! つーか熱いよ! ついでにこれ中華まんだよ! 和菓子ですらねぇよ!」
言いながら餡饅を床に叩き付け、直ぐさま満面の笑顔で顔を上げた。各々のテーブルに座った客達は、淡々と食事を続けている。
まぁ、彼の実力はこのようなものであった。
一番舞台に近い席に座っている男だけが、「あっひゃっひゃ」と下品な笑い声を上げていた。ぼさぼさに伸びきった髭に、何処かで拾い集めたような服を着た男は、名を加藤太一といった。およそ、こんな上等の店には相応しくない風貌である。
そして彼は、栗崎青年と全く同じ顔をしていた。
栗崎青年は、これを全く不思議とは思わなかった。この店に来るものは皆、年齢や格好こそ違うものの、同じ顔をしているのが当たり前だったからだ。
彼はそのお客に向かい、これでもかと口角を引き上げた笑顔を作って見せた。それから懐をごそごそとやり出す。
「今日はノリの良いお客さんばっかだから、とっておきの一発ギャグ行きたいと思いまっす! アルミ缶の上にある蜜柑って奴なんですけどねー」
「あっひゃっひゃ! 先にオチ言っちゃったよー!」
加藤は腹を抱えて笑った。栗崎青年はさらに服をごそごそやった後、頭を抱えて叫ぶ。
「あ、あれ?蜜柑が……蜜柑が……蜜柑がみっかんねー!」
「あっひゃっひゃ! 蜜柑が、みっかんねぇ! 可笑し、お腹痛、し、死んじゃ……って、んなわけあるかあああああああああああああああ!」
立ち上がった加藤は、栗崎青年にチキンをぶん投げた。それは見事顔の真ん中に命中し、栗崎青年の鼻には美味しいタレがへばりついた。
「何しやがるクソじじい!」
栗崎青年は、自分と同じ顔をした加藤に向かい、歯を向いて唸った。
「るっせぇあ!」
加藤はテーブルの上に足を載せ、舞台上の栗崎青年をビシリと指さす。
「てんめ、つまんねぇんだあよっ! ツッコミがなげぇんだよ! 間が悪いんだよ! あと、食い物粗末にすんじぇねぇええええええええ!」
「アンタだって投げてんだろうが!」
「どぅわまれ能なし! さっさと引っ込まねぇと、自慢の拳法お見舞いすんぞ!」
加藤はフラフラと身構えた。それは拳法と言うよりカマキリが求愛でもしているかのような動きだったが、栗崎青年はその異様な気迫に押され、すごすごと舞台から引き下がった。
「あ、旨……」
袖にしゃがみ込み、鼻にへばりついたタレを舐めていると、幕がするすると上がった。舞台の中央にはグランドピアノ。椅子に腰掛けたピアニストは、名を東十条竜之介といった。涼やかな表情と、巧みな指捌きで、女性から絶大な人気を誇る音楽家だ。
そして、彼も栗崎青年と同じ顔をしていた。
上等のスーツに身を包んだ東十条は、深く息を吸い込んだ後、鍵盤の上に指を滑らせた。華麗な旋律が、店の中を駆け巡る。客達は食事の手を止め、うっとりと耳を傾けた。
「なんでぇ、面白くもなんともねぇや」
栗崎青年は、クラシック音楽を理解する感性を持ち合わせていなかった。
鼻をこしこしと拭い、楽屋へ向かう。楽屋の前には、一人の男が立っていた。誰かを待っているのだろうか?
栗崎青年は、「すんません」と小さく侘びながらその男の脇をすり抜け、扉を開いた。すると何故か、部屋の真ん中に男が大の字に寝ころんでいた。
その男もまた、彼と同じ顔をしていた。
「何してんだよ、おっさん」
男はぴくりとも動かない。目を見開き、その手には紙切れを握り締めている。
男の額には、殴られたような跡があった。頬には、マジックで渦が描かれていた。さらに鼻には落花生を詰められ、腹には達筆な文字で「慢性肥満」と書かれた半紙が貼り付けられていた。何という非道であることか。
「し、死んでんのか?」
栗崎青年は、爪先で男を突いた。自分と同じ顔をしているのだから、こんな所で死なないで欲しい。男はやはり動くことはなく……
「相当な怨恨ですね」
背後で声がした。栗崎青年が振り返ると、扉に背を預けた、一人の男が佇んでいる。
銀縁眼鏡に、さらりと流れる髪。理知的だが、何処か虫の好かない雰囲気を持つ男は、名を坂上修二郎と言った。さっき扉の前に立っていた男である。
彼もまた、同じ顔をしていた。
「これは、密室殺人です」
「みっしつ?」
栗崎青年が目を瞬かせると、坂上は長い指をすらりと立てて言った。
「この部屋の出入り口は一つ。私が背を預けているこの扉だけです。そこに倒れている彼とは知り合いでね、外で待っていてくれと言われたんですよ」
彼はゆっくりと、倒れている男に歩み寄った。祈りを捧げるように軽く手を合わせた後、見開かれた男の目を閉じてやる。
「私は彼が部屋に入ってから一度も、この扉の前を離れていない。貴方がこの扉を開く、今この時まで。つまり、誰もこの部屋に入ることは不可能だったんです!」
坂上はまるでアリアでも歌い上げるように、高らかに宣言した。栗崎青年は、鼻の頭を掻いている。
「何か紙に書かれていますね……。LOZHJ……でしょうか?果たしてこのダイイングメッセージにどんな意味があるのでしょう」
「つか、おっさん」
栗崎青年の呼称が気に入らなかったのか、坂上はやや不機嫌そうに視線を向ける。
「密室って、アンタ以外入れなかったってことだろ? じゃあアンタが犯人なんじゃねぇの?」
長い、沈黙が流れた。
「この暗号はですね、パソコンで打ち直してみると……」
「聞こえなかったフリか」
勝手に解説を始めた坂上を捨て置き、栗崎青年は楽屋を後にした。巻き込まれるのは御免だ。こういう時は、とっとと帰るに限るのである。
楽屋から「ぎゃあああ死者が蘇ったああああああ」だのと、ヒキガエルを潰したような悲鳴が聞こえた気がしたが、聞こえなかったフリをした。
ロッカールームには、今日に限って鍵が掛かっていた。栗崎青年は溜息を付き、店の片隅にあるバーカウンターへ向かう。
「ユミちゃーん、鍵頂戴」
回転椅子に腰掛けて声をかけると、直ぐにカウンターの奥から、「はあい」と返事があった。
「鍵かけちゃってたっけか?」
鍵の束を小指に引っ掛け、くるくると回しながら出てきたのは、一人の女……いや、男だった。
首と完全に違う色のファンデーションを塗りたくった顔に、絶妙な量の青髭を残し、胸元のざっくり開いたドレスを纏ったその男は、名を姫島ユミ、本名を楠源三郎と言った。
彼、いや彼女もやはり、同じ顔をしていた。
「栗ちゃん、もう帰っちゃうのぉ?」
「もう出番終わっちゃったし、なんか楽屋に変なの居るし、さっさと帰るわ」
栗崎青年がユミから鍵を受け取ろうとすると、彼女はそれをひょいと持ち上げた。
「栗ちゃんがチューしてくれたらあげるぅ」
そして「んー」などと言いながら、タコのように唇を突き出してくる。栗崎青年は暫し固まって居たが、真剣な面持ちでユミの顎を掴んだ。
「ユミちゃん……」
「栗ちゃん……」
「もみあげ、髭と繋がってるよ」
「うそん!」
ユミが顔を覆うと同時に、栗崎青年はひょいと鍵を取り上げた。
「ああんもう! 栗ちゃんの意地悪ぅ!」
「俺みたいな若造じゃ、ユミちゃんの相手はつとまらないよ。お先ー……ぐぇ」
帰ろうとする栗崎青年の襟首を、ユミはしかと捕まえていた。
「殺す気ですか……?」
「ねぇ栗ちゃん。あそこにいるお客、なんか不気味じゃない?」
「不気味?」
カウンターの隅に、一人の男が腰掛けている。顔がすっぽり隠れるほど長い前髪に、真っ黒な衣装を纏ったその男は、カウンターの上に淡々と爪楊枝を並べていた。
「ね? ね? 怖いでしょお!?」
「うーん……」
男が20本目の爪楊枝をカウンターに乗せると、それはころころと転がって、床に落ちた。その瞬間、男は弾けたように笑い出す。栗崎青年とユミは、びくりと身をこわばらせた。
「あれ、絶対快楽殺人者とかだよ、栗ちゃぁーん! アタシ、料理長呼んでくる!」
ユミはカウンターの奥へ引っ込んでしまった。
料理長とは顔を合わせたことが無かったが、やはり同じ顔をしているのだろうと思った。
栗崎青年は恐る恐る、カウンターの隅に座る男を見た。
「まぁ怪しいと言えば怪しい」
男は再び、爪楊枝を並べ始めていた。栗崎青年の脳裏には、先程の殺害現場が浮かぶ。
「だが、俺はそれ以上に怪しい人物を知っている」
栗崎青年は、椅子を回転させてくるりと振り返った。
「それはお前だ!」
そして、ある一点を指さした。彼の表情は、まるで刑事ドラマさながらに、自信に満ちあふれていた。
「満ちあふれていた、じゃねぇよ! 何なんだよアンタ、さっきから! 人の後付いて歩ってブツブツブツブツ……。ナレーション気取りですか? あぁん?」
………。
栗崎青年の言葉は、どうやら私に向けられているようだった。
そう、私もまた、彼と同じ顔をしていた。
年は随分と違っていたが、それでもやはり、私と彼は、同一人物の顔をしていた。
「何が栗崎青年だよ! あぁぁあ気持ち悪い! おっさん、俺のストーカー!?」
彼の眉が、皮肉を含んでぴくんと跳ね上がる。
「まぁ……そんな所ですかね」
私が答えると、栗崎青年はざざっと身を退いた。
「貴方の唯一のファン、という事ですよ」
栗崎青年は、些かほっとした様子で椅子に座り直す。
「ふぅん、ファンか……。ん? おい、唯一のってなんだよ! 失礼じゃねぇか!」
「そうでしょうか? 貴方にファンは居ない。そりゃもう悲しいほどにいない。どこの家庭を探しても、貴方が出演する番組を録画したテープなど存在しないでしょう」
「ぬあ……」
流石に痛かったのか、栗崎青年は胸を押さえて唸った。
「この店には、たくさんの人間がいますが、皆それなりの魅力を持っています。例えばそこの彼」
私は、カウンターの隅の男を指さす。
「彼は見ての通り、恐ろしげな風貌をしていますが、その過去を涙無しに語ることは出来ません。ステージの上の彼は……」
次に舞台上のピアニスト・東十条竜之介を示す。
「さる音楽家のように、徐々に失われていく聴力と戦いながら、愛する人への曲を生み出すのです」
「安直な話だな……」
「彼はただの酔っぱらいではなく、実際に拳法を会得している」
栗崎青年の言葉を捨て置き、私はテーブルに突っ伏している加藤を示した。鼾を掻きながら涎を垂らしているその様は、同じ顔をしていることが情けなくなるほど、ただの酔っぱらいだった。
「奥にいる刑事と死体」
次に私は、楽屋を指さした。
「死体は……まあ結局は死体ではないのですが、彼は賑やかしとして、これから大変重要な役割を担います。刑事は推理こそまともに出来ませんが、もっとも名声を得ます。なんせ、彼のDVDもブルーレイディスクも出ますからね」
「ぶ、ぶる……?」
私は改めて、お世辞にもこぎれいとは言えない彼の身なりを眺めた。
「貴方は、一生掛かっても出ないでしょうね、ブルーレイ。」
流石の彼も、馬鹿にされているのは分かったようで、私をじろりと睨んできた。
「おっさん、俺に喧嘩売ってんの?」
「けれども……」
彼の言葉は聞かなかったことにして、呟く。
「私が今こうして貴方と会話できていると言うことは、私の一番の気に入りは、やはり貴方なのでしょうね」
栗崎青年は、きょとんと目を瞬かせた。それから訝しげに眉を寄せる。
「アンタ、結局何が言いたいんだ?」
「私は貴方が大好きと言うことですよ」
栗崎少年は、カウンターを蹴飛ばして、回転椅子ごと私から距離を取った。
「なんだよ! 結局変態か!?」
その目には、警戒の色がありありと浮かんでいる。
「そういう子どものように分かり易い反応や、裏も表も何の深みもないキャラクターは、今の私には決して真似できないことですから」
落ち着いた声でそう言うと、栗崎青年は、未だに警戒しながらも少し距離を詰めた。
「俺に目をつけたことは、まぁ誉めても良い。何なら今の内にサインでも……」
「ところで栗崎さん」
「アンタ、さっきから俺の話聞く気全く無いだろ」
眉間に皺が寄り、彼の椅子がまた少し私から離れた。
「これからもう一人、この店に客がやってくるかもしれません」
「あ?」
栗崎青年は首を傾げた。まぁ当然の反応だろう。
「貴方は、そのお客が、どんな人間であって欲しいですか?」
「どんなって……希望言やあ、聞いてくれるとでもいうのかよ」
「さぁ、どうでしょう?」
私が微笑むと、彼は視線を逸らし、ほんの少し宙を見た。
「考えるまでも無ぇ。笑いの分かる奴だ」
「ほぅ、笑いの」
栗崎青年は、カウンターをばしばしと叩いて続ける。
「ここは俺の舞台を楽しみながら、飯を食う店だ」
どちらかというと、演奏や芝居がメインなのだが、とりあえず黙っておいた。
「そりゃあ客も、賑やかで楽しい奴の方が盛り上がるだろ」
「恋人を病で失い、友人の裏切りによって職も失い、余命も宣告されている。そんな男だとしても、にこにこ笑いながらやってきてほしいですか?」
私の言葉に、彼はまたほんの数秒宙を見た。だが直ぐに私に向き直り、大きく頷いた。
「笑うことが好きな奴なら、俺が責任持って幸せな気分にしてやる」
先程までの警戒はどこへやら、彼の目は一分の狂いもなく、私を見つめていた。彼の強い視線に、私は一瞬天井が回るような感覚を覚えた。それは、万倍も簡単にできる計算式の解き方を発見した時のような、心地よい眩暈だった。
私は立ち上がって、コートを羽織った。
「あ? なんだよ、俺の意気込みに関するコメント無しかよ」
栗崎青年は不服そうに口を尖らせた。
「貴方も、ブルーレイになる時が来ると、私は信じていますよ」
「だから、ぶるー何とかって何だよ!」
私は質問に答えず、一礼して店を出た。
外は、ぱらぱらと小粒の雨が降り出していた。頭を覆い、小走りに駅へ向かう。路地を一つ曲がった所で、一人の男と出くわした。
「あぁ! 居た! もー……さがしたんすからね!」
私に傘を差し掛けながら睨む男は、小柄で細い目。
彼は、私と全く別の顔をしていた。
「勝手にどっか行かないでくださいよ。7時から単発ドラマの打ち合わせって言いましたよね? 舞台の稽古だってあるし、7月からの連ドラの番宣だって予定ぎっしり……」
彼は忙しなく手帳を捲り続けていた。私は彼の手から、手帳を取り上げる。
「ちょっと、何すんですか!」
「例の映画、受けても良いよ」
彼は何か言い返そうとして口を開き掛け、そのままあんぐりと全開にすると、目を何度も瞬かせた。
「映画って、あのタイトルもストレートな『不幸』ですか?ただ暗いだけのお涙頂戴ものなんて嫌だって、あんなに言ってたのに……どういう風の吹き回しっすか?」
私はくすりと笑って見せた。
「彼等に、良いアドバイスを貰ったからさ」
「彼等?」
彼はますます分からないという顔をした。
「刑事だのオカマだの死体だの……今までいろいろやってきましたからね。私にしかできない喜劇を、全力で演じましょう」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ……。あの映画、悲劇ですよ?」
「大丈夫。私が責任を持って、観客を幸せにしてご覧に入れます」
「いや、責任って……」
そう、それが、演じる者の責任だ。
いつの頃からか、観るものを笑わせること、泣かせること必死になって、最も初歩的な目的を見失っていたのだ。
「あんな若造に教えられるとは……私もまだまだですねぇ」
「は?なんか言いました?」
怪訝な表情で覗き込まれ、手をパタパタと振って誤魔化す。
「それより、20年くらい前のものなんだけど『芸人日和』ってのがあったでしょう? あれ、何とか日の目を見られないかな? 今なら行けると思うんだけど……」
「へ? あのデビュー当時の痛々しい大コケドラマを引っ張り出すんですか? 凄い勇気ですねぇ」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃないか……」
私がこの職業を続けている限り、あの店にはこれからも、同じ顔の別の人間が増え続けるだろう。
何かに迷った時、私はよくあの店に行く。
だが次に行く時にはあの青年に、少しでも良い報告が出来ればと思うのだ。