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「魔王を産んだ女など国に置けん」と追放されましたんで、魔王城で息子を正座させたります ~転生した大阪のおばちゃんやけど、攻めてきた勇者もうちの次男やったんや~

作者: 月城 友麻
掲載日:2026/09/14

「魔王を産んだ女など、国に置けん」


 大司教にそう言われて、村の食堂の女将(おかみ)のうちは追い出された。おかみを三十年、子供の喧嘩を見てきても、うちの子のことは便り頼みや。


 月初、一日目の朝。カンネの食堂前には、朝飯待ちの村人と、朝日に槍を光らせる護衛が並んどる。自分の六十の祝いの説教を終えたばかりの大司教(だいしきょう)グレゴールは馬車へ戻り、代わりに護衛が言う。


「橋を見回る魔王の素顔は上の息子さんだと、前線帰りの兵が村で広めました。王の追放権を預かった猊下の命です。魔王軍が攻めてくる前に、国境外へ。城は丘の上です」


 十年前に家を飛び出した長男が、いつのまにか魔王になっとったらしい。


 追放ちゅう物騒な言葉より先に、あの子のこけた頬が頭に浮かぶ。


「分かりました。ほな、あの子に会いに行ってきますわ」


「おかみさん、本当に行っちまうのかい!」


「店は頼んだで。鍋、焦がしたらあかんよ」


 使い慣れた籠を取る。


 前の世は大阪の天満でコロッケを揚げとって、店の看板が頭に落ちてきて、気ぃついたらこっちの赤ん坊やった。


 天満(てんま)のフミ子、『コロッケのフミちゃん』。今はカンネのミルダ、五十二歳や。


 魔王軍と七か国の戦争で、大陸の半分が前線っちゅう暮らしや。


 コロッケを籠へ詰めて向かう城までは十六キロ、半日の道や。荷車道の橋はひと月前から落ちたままで、村の荷車も行き場をなくしとる。裾をからげて浅瀬へ入ると、秋の水が靴の中へ染みて、足の指まできゅうっと縮む。


 川を上がれば、右には聖王国の槍が光り、左には魔王軍の牙が並んどる。


「と、止まれ! ここは前線だぞ!」


「おかみの味やで。食べるなら道あけや!」


「……いい匂いがする」


 牙の列から腹の底で鳴るような声が漏れ、槍の側からも、ごくりと喉を鳴らす音がする。


「た、食べていいのか?」


「食べてから考え」


 うちはコロッケを紙に包んで差し出した。


 評判を知る両側の兵が頬をふくらませると、槍が下がり、牙の列もすんなり割れる。


「美味いもんには勝てへんのや!」


 昼過ぎ、うちは城門を叩く。


「何者だ!」


「おかんや」


 門番が目を丸うして、うちの顔と籠を二度見する。


「……誰の?」


「いちばん大きい子のや。ほれ、おまけや。見張りも腹減るやろ」


 一個足すと、門番は慌てて槍と包みを持ち替える。


「お、お母様、どうぞ!」


 通された玉座(ぎょくざ)の間は薄暗うて、石の床の冷えが濡れた靴底からじわじわ上がってくる。階段の上、黒い椅子におるんはクルトや。二十七、角まで生やして(くっつけて?)、肩幅は戸口ほどもある。


 玉座の上で、大陸を震わせる魔王が青ざめた。


「お、おかん……!?」


 臣下のざわめきが、遠い雨音みたいに耳の端を流れる。十年分の文句が喉までせり上がるのに、顔を見たら、結局ひとことに縮んでまう。


「正座!」


 息子の大きな体が、玉座の上でぎくりと折れる。伸びた脚の置き場がなくて、膝だけ窮屈そうにくっついとる。


「何しに来たんだよぉ!?」


「あんたが何しとんねん!」


「お、俺は魔王だぞ!」


「おかんはおかんや! 正座!」


 臣下を睨む目だけは、まだ偉そうや。大きな肩の上で、耳だけが昔と同じに赤うなっとる。


「でも、皆が見てるだろ……」


「見とるんやったら、手本になりぃ!」


 やがて足を伸ばしかけた息子が、しびれて玉座からころん。床の上でも、慌てて膝を揃え直しよる。赤い髪の大男が、なぜか窓へすっ飛んでいく。炎の将軍やという。


「陛下が座っておられるのに、立っていられるか!? 全軍、座れ!」


 将兵が声を継ぐたびに、号令が石の壁に響いて、丘を下っていく。うちも窓へ寄って、下を覗く。


 その日、前線の魔物が一斉に座った。


 牙の列が端から順に腰を下ろすと、向かいの兵まで釣られて膝を折りかける。夕方、伝令が息を切らして駆け込んでくる。


「大司教が陣で『魔王軍が攻めてくる』と説くのに、向こうの兵が、攻めてこないではないかと言い返していました!」


「口より先に、みんな座りよったなあ」


「……大司教の奴、明日にはまた何か言ってくるぞ」


「言わしとき! 明日の分も揚げたるわ」


 玉座へ戻った息子は、まだ膝まできちんと揃えとる。近うで見れば、便りでは分からんかったほど頬がこけとるやないの。あんなに肩が広なったのに、その頬にはちゃんと昔のあの子が残っとる。角も肩幅も、その細さを隠してはくれへん。


「あんた、ちゃんとご飯食べとるんか?」


       ◇


 その日の夕食は、玉座前に敷物を広げて食べることにする。隣の台所へ入ると、冷えた油の匂いが鼻につく。鍋を覗けば、底が真っ黒や。


「うわ、何やこの鍋! 焦げが層になっとるやん!」


「……料理番は、ずっと前に逃げた」


「ほな今日から、おかんが料理番や。……塩まで湿気っとるやないの!」


 大鍋に油を張り、コロッケを揚げ直す。ぱちぱちと衣が鳴るにつれて、冷えきった台所に香ばしい匂いが満ちていく。皿を並べる手も、ようやくいつもの調子や。


「座り!」


 クルトがすぐに腰を下ろす横で、炎の将軍だけは鉄の靴を踏ん張っとる。


「靴!」


「脱げば足の火が床を焦がすのであるぞ!」


 靴の縁から、小さい炎がちろちろ覗く。なるほど、脱がれたら床の方が困るんやな。


「ほな靴のままでええ。その布の上に座り」


「我輩に、床へ座れと申すか!?」


 敷物の端に古布を敷かせて、うちは床を指す。返事を待つあいだにも、皿の湯気はどんどん細うなる。


「正座!」


 四天王も正座。靴を脱がない炎の将軍も正座。


「……我輩の、威厳が」


「威厳は食べられへんで。ご飯、冷めるやろ!」


「……いただきます!」


 頬張った将軍の、いかつい眉がふっとほどける。せやけどうちは、自分の皿とにらみ合いや。


「ソースだけが、どうしてもこっちで作られへんねん!」


「……うまい、うまいではないか!」


「当たり前や! 二つの世界で揚げとんねん」


 毛むくじゃらの将は、大きな手で皿を包みこむみたいに持って、匂いばっかり嗅いどる。


「あんたも手ぇ合わせや」


「む、むう」


 熊みたいな手が、皿の前できちんと揃う。隣では、青緑の鱗に湯気を受けた竜人の将が、ひと口食べたまま止まっとる。


「自分は……母を知らずに育ちました」


「ここでは、遠慮なんかせんでええんやで」


「母上……」


 金色の目から、涙がぽろぽろこぼれる。青緑の鱗を伝って光るから、うちまで目のやり場に困るわ。


「泣くんやったら食べてからにしぃ。ほれ、おまけの一個や」


 涙は増えても、皿はきっちり水平や。そこは抜かりないんやな。


「俺のおかんだぞ!」


「拗ねんの! あんたの分も揚げとる」


 クルトが唇を尖らせると、城の上だけに雷雲が浮かぶ。窓の外が、そこだけ薄暗い。ええ年して、雲まで拗ねさせんでええねん。


「皿は自分で下げるんやで」


 無口な将がうなずいて、重ねた皿を台所へ運ぶ。息子の使った器を洗うんは、十年ぶりや。指に当たる器のふちも、お湯のぬくさも、変によう分かる。どれだけ食べたか、もう便りの短い言葉から思い描かんでええ。空になった皿が、今ここにある。


 二日目の朝。橋は城から四キロ、一時間や。息子の前へ靴を置くと、乾ききらん革の冷たさが指に残る。


「この靴、まだ乾いてへんで」


「……浅瀬を、歩いてきたのか?」


 息子の眉が、角とは逆に情けなく下がる。


「橋落としたん、あんたの軍か?」


「先月の決闘で、弾いた岩が……。聖王国側だから、直しに行けば侵攻だと言われて」


「ほな村の荷車、どこ通れっちゅうねん!?」


「余が直す。……俺が、謝る」


 炎の将軍が、ぎょっと目をむく。


「陛下が御自ら!?」


「あんたも手伝うんやで」


「我輩が土木作業を!?」


「将軍やろ! 橋くらい架けれるわ」


 クルトが太い橋桁を肩に担ぎ、魔王軍が板を張っていく。川音に木を打つ音が重なって、橋が架かると、うちは国境外の岸で待つ。昼前、真新しい板の上へ、村の荷車がおそるおそる乗り出してくる。


「おかみさん! 無事だったのかい!」


「無事どころか、橋まで連れてきたで」


「ま、魔王が後ろに!」


 息子が前へ出て、深う頭を下げる。あの肩幅が低うなると、後ろにおるうちの目にも、川向こうがよう見える。


「橋を落として、すまなかった」


「じゃあ、この荷車を押してくれるかい?」


「……押せば、許してくれるのか?」


「押してから考えるよ」


 下げた角が、手すりにこつんと当たる。聖王国側の橋詰では、あの大司教が村人を呼び止め、川音に負けじと声を張っとる。


「魔王軍の罠だ」


「罠でも橋は橋だよ、大司教様」


 その前を、荷車の車輪がごとごと通る。押しとるんは、角を手すりに二度ぶつけた魔王や。渡りきった息子の頭を、うちは角ごと撫でる。硬うて邪魔なもんが増えて、手の収まりはようない。けど、その根元に指を入れたら、ちゃんとあの子の髪に触れるんや。


「ええ子や、ようやった」


       ◇


 城へ戻った正午、勇者軍が前庭にずらりと並んで止まる。毎月二日の定例決闘やと、将が教えてくれる。銀の鎧を鳴らして玉座の間へ踏み込んできた英雄が、(かぶと)を脱ぐ。現れたんは茶色の短い髪、その下には兄と同じ蜂蜜色の目や。兜の後ろには、あの銀髪の大司教までおる。戦果を広めるために付いてくるらしいと、将が言う。


「兄貴ぃ! 今日こそ……へっ!? お、おかん!?」


 あんたフリッツやないの! 兜の下に隠れとった顔まで、うちの子や。見比べるまでもなく、兄弟の足元を指す。


「正座!」


 敷物へ、揃って膝が落ちる。弟の方だけ、鎧ががちゃがちゃ余計に鳴る。


「だって兄貴が」


 同じ眉を寄せて、同じように口を尖らせ、兄が返す。


「だってこいつが」


「兄貴が悪い!」


「お前が先に!」


 うちは黙って、床を指したままや。


「二人とも!」


 うちはしゃがんで、顔を伏せたクルトと目の高さを合わせる。


「何を取り合うとるん?」


「……それは、言いたくない」


「フリッツ、あんたはどないや?」


「兄貴が言わないなら、僕も言わない!」


 そっぽを向く角度まで同じや。十年前の食卓でも、都合が悪うなるとこんな顔しとった。横を向いた頬から子供の丸みは薄れても、口をきゅっと結ぶ癖は残っとる。叱っとる最中やのに、うちの目は、まだ小さかった頃のあの子らを探してまう。


「なんで、そこまで取り合うねん?」


「……おかんを、守りたかったんや」


 十七で家を出た日の声に戻っとる。あの頃より低うなったはずやのに、うちの耳には、あの日のままや。今度は、最後まで聞く。顔だけ、ヒョウ柄のエプロンで覆う。染みついた油の匂いが鼻先にこもって、目の奥がじわりと熱うなる。


「大きなって……」


 布の中で三度、ゆっくり息を吸う。喉のつかえを息ごと押し込んで、顔を上げる。ここだけは、聞き違えんといてもらわなあかん。


「うちの身ぐらい、うちで守れるわ!」


 兄弟が同時に腰を浮かせる。こういうときだけ、目配せも合図も要らんのや。


「おかんの茶は、俺が淹れる!」


「僕が淹れる!」


 台所へ先を争って向かう、でっかい背中が並ぶ。うちはその真ん中めがけて声を投げる。


「行かんでええ! 魔王でも勇者でも、うちの子や。正座しとり!」


 膝が元の場所へ戻る。クルトが膝の上へ目を落として、小さい声で言う。


「……じゃあ、何をすればいい?」


「壊したもんは、二人で直して回り!」


「僕の軍には、『人に手を出すな』って言ってたんだ」


「俺もだ。約束破ったら晩ご飯抜きだろ?」


 弟も横から、負けじと口を挟む。


「決闘も、剣を弾くだけにしてたんだ」


「弾くだけで橋が落ちるんかいな!」


 十年続いた世界大戦の正体は、うちの兄弟げんかやった。


「俺は十七で家を出て、気がついたら魔物に王だと担がれてたんだ」


「僕は十四で聖騎士見習いになって、その年のうちに勇者って呼ばれてたんだ」


「こっちじゃ、ヴァルゼオンって名乗ってる」


「なんやそれ。舌噛みそうやな」


「僕は兜で顔を隠して……便りに書いたら、おかん、来ちゃうだろ」


 便りにあるんは、元気と飯と、仕事の後に帰る、そればっかりや。大きな肩も、重そうな鎧も、肝心なとこはすっぽり抜けとる。こんなに近うで顔を見られるのに、鼻の奥がつんとして、よう見えんようになる。


「あんたら、十年も……」


「……ごめん」


「……俺も、ごめん」


 謝る声まで揃うとる。そこだけは、昔より少し低い。聞き慣れへん低さの底に、聞き間違えようのない、うちの子の声がある。


「僕がおかんの隣!」


「そこは俺の席だぞ!」


 膝で押し合う間を、ぴしっと指す。敷物がよれるほど大きなって、やることは昔のまんまや。


「二人とも、そこ座り!」


 大司教が弟へ身を乗り出し、杖で石の床をかつんと打つ。


「勇者様、その女に騙されるな」


 フリッツは剣を外して、床へ置く。銀の鎧から離れた剣が、石の上で小さく鳴る。うちはその音が消えるまで、弟の手元を見とる。


「僕のおかんです」


「おかん……? お母様ということ……?」


 大司教は鳩が豆鉄砲を食ったような顔で、うちを見る。


「申し訳ないですが。おかんの言うことには逆らえません」


「ゆ、勇者様……。ま、魔王軍を討伐しなければ我々は……」


「何と言われようとも、おかんは絶対です」


「くっ!」


 大司教はものすごい形相で帰陣を告げて去っていく――。


 その目の前で兄弟は隣り合い、四天王も同じ敷物に並ぶ。さっきまで広かった玉座の間が、急に狭う見えるわ。見渡せば、食べさせる口ばっかりや。


「取り合わんでも、二つに割ったる」


 コロッケに伸びる手がぶつかる前に、うちがさくりと割って分ける。


       ◇


 三日目の夕方。赤い光の差す玉座の窓へ、門前の声が響いてくる。陣地へ戻った大司教が、今度は白い鎧の聖騎士団を連れて丘を登ってきたんや。鎧が夕日をはじいて、妙に眩しい。


「母親は魔王の人質だ、救い出せ」


「母上、自分がお守りします!」


「守らんでええ。鍋の火、見といて」


 クルトの目が、うちの手にある籠へぴたりと止まる。


「どこへ行く?」


「あの人の前に降ろしてや」


 息子がうちを抱えて、窓から飛ぶ。足の下から床が消え、お腹がふわっと浮く。夕焼けの風が頬を叩いて、エプロンの裾がばたばた鳴る。


「籠、傾けんといて! 晩ご飯やで!」


「わ、分かってるって!」


 息子は腕だけそろそろと動かして、門前の石畳へうちを降ろす。靴底へ地面の硬さが戻る。先頭で胸を張っとる団長は、二十六の村の子や。立派な鎧より先に、目尻の下がり方で分かる。


「本官は聖騎士団長であります!」


「泣き虫ディーターやないか!」


「僕、喧嘩の後に食べたコロッケ、今でも覚えてます!」


「座り方は、覚えとるか?」


「おかみさんの前では、忘れません!」


 団長が真っ先に正座する。張っとった胸がすっと低うなって、鎧がかちゃりと鳴る。


「だ、団長!?」


「おかみさんの前だ、座れ!」


 団員も続き、背筋の伸ばし合いや。クルトはうちの横に座り、弟と四天王も階段から合流する。


「母上、火は落としてきました!」


「ようできた! 座っとき」


 大司教の杖が、石畳をかつんと打つ。


「その女は魔王の人質だ!」


「人質が晩ご飯作りますかいな!」


「黙れ!」


「あんたが黙り!」


 大司教がぐいと顎を上げる。けど、威勢よう見下ろした先には、団長のつむじしかあらへん。


「国の命令であるぞ!」


 うちはくるりと、兄弟へ向き直る。


「あんたら焚きつけたんは、誰や?」


 魔王は大司教を指さして言った。


「こいつが言ったんだ。『弟は聖王国が預かっている。母を王都へ移し、お前には会わせないと言っている』って」


「フリッツには、何て言うたん?」


「僕には、『兄は魔王になって母を狙う』って。大司教様が」


 兄弟が顔を見合わせる。眉の上がり方も、半端に開いた口も、また揃う。


「僕は王都へ移すなんて言ってない!」


「俺は守るって言ったんだ!」


「二人とも、同じこと言うとるやないの!」


 団長が、兜のない弟の顔をまじまじと見直す。


「勇者様がフリッツだったなんて……。僕の入団前から、兜のお姿しか知らなくて。王へ報告します!」


「頼むで。食べてから行き」


 門前の石畳に兄弟、四天王、団長、その後ろに団員が並ぶ。大司教だけが立っとる横で、うちは皿を配っていく。鎧の白い胸元へ、コロッケの湯気がふわっと上がる。皿を受けた団長の口から、つい、懐かしいのがこぼれる。


「おおきに」


 団長は慌てて口を押さえてから、敬礼する。隣の大司教にも、おまけの一個や。


「食べたらその眉間もほぐれるで。知らんけど」


 大司教の眉間は寄ったままやけど、受け取る手にはちゃんと渡す。ディーターはコロッケを頬張ったまま、早馬へ駆けていく。


       ◇


 使いが城と王都を往復する間も、うちの台所は休みなしや。


 四日目の夜、団長の早馬が戻る。王都の王たちを、聖王国の王が招いたそうや。末の娘からクルト宛の便りも届いて、息子は読むなり懐へしまいよる。


「ほな、椅子を拭いとかなあかんな」


「……七か国分か?」


「あんたが拭くんやで」


 十日目の朝、七か国の王が玉座の間へ入ってくる。城壁と畑の直しから戻った兄弟は、揃って泥だらけや。湿った土の匂いを連れて、並んで頭を下げる。


「おかえり。泥は外で落とし」


「……ただいま」


「僕も、ただいま!」


「迷惑をかけて、すまなかった」


「僕もです。これからは兄貴と仕事を分けます」


 聖王国の王が、椅子からすっと立つ。


「終戦と撤兵、聖戦税の終わりを決めた。おかみの追放も取り消す」


 七か国の王が、順に、はっきりと頷く。


「お母上に、感謝を」


 王たちがうちへ向かって、深う頭を下げる。三十年、鍋の前に立ってきた背中が、急に落ち着かへん。鍋も皿も持ってへん手の置き場が、どうにも決まらん。


「そんな、頭上げてぇな! うちの子が、ご迷惑を」


 いきなり大司教が叫んだ。


「共通の敵なしでは王はまとまらぬ! 最初の決闘を聖戦とし、各国を聖戦税で支えてきたのは、この私である!」


「今は、まとまっとるやろ」


 王たちの礼を、大司教の目だけが追いかける。けど、誰も振り向かへん。


「わ、私は国のために……」


「国のために、うちの子ら十年も喧嘩させたんかいな?」


 大司教の口が、開いたまま止まる。


「……」


「座り」


 王の椅子の前で、兄弟が先に膝を折る。四天王と団長が続くのを見ながら、その末尾に大司教の膝が着くまで、うちは待つ。白い衣が石の床へゆっくり広がる。ようやく、みんなの顔の高さが揃う。


「食堂開けるさかい、皿洗い頼むで!」


「……私が、か」


「悪さしたら皿洗いや!」


「くぅっ……」


 その日のうちに村へ帰る。大司教も皿洗いの役で連れて帰り、村人から店と道具を受け取る。馴染んだ柄を握れば、手の方が先に動く。さあ、明日の仕込みや。


 十一日目の昼。再開した食堂の前で、七か国の王が順を譲り合う。


「どうぞ、お先に」


 隣の王も、負けずに譲り返す。


「いやいや、そちらこそ」


 三人目が、すっと手を上げる。


「では、年の順で」


 言い出した王が周りを見回す。白い髭は、自分のがいちばん長い。


「ほっほっほ……わしが一番上ではないか!」


「ほな、いちばん上から食べてもろて」


 後ろの両軍と村人は、地平線まで続いとる。槍も牙も、今日はコロッケ待ちの列にきちんと収まっとる。


 洗い場では、大司教が白い袖をつまんだまま、皿をちょびちょび洗っとる。水音まで遠慮がちで、そんなんでは列に追いつかへん。


「こ、これは何かの修行か」


「ただの皿洗いです」


 布巾を構えたフリッツが、待ちきれんように身を乗り出す。


「大司教様、次のお皿を!」


「袖が濡れるではないか!」


「袖はまくって!」


 ようやく回ってきた皿へ、兄弟が揃って布巾を伸ばす。大きな肩が並ぶと、見慣れた流しがえらい狭い。邪魔やと言いたいのに、空いとった頃の広さは、もう要らんと思う。


「俺の方が早いぜ!」


「はっ! お前のは水が残ってるだろ!」


「細かいこと言うな!」


「そういうのは雑って言うんだよ!」


「なんだと、ゴラァ!」


 その拍子で皿が飛び出し――――うちは手のひらで受け止める。冷たいしずくが指を伝う。割れる音の代わりに、うちの声が食堂へ飛んだ。


「なにやっとんの? 正座!」


 座っても、兄弟は布巾を離さへん。まったく、これほど素直に座るくせに、張り合うんだけはやめへんのやな。


「お前のせいだ!」「お前のせいだろ?!」


「あっはっは、しゃあない子やなあ」


 クルトの懐から、あの便りの角が覗いとる。隣の大陸の寺院勤めとは聞いとるけど、その後のことは、まだ聞けてへん。


「そういや、末の娘はどないしとるん?」


「……隣の大陸で、聖女をやってるらしい」


「……あの子もかいな?」


 うちは空になった籠を手に取る。腕にかかる重みは軽なっても、揚げた衣のええ匂いは、持ち手にまで残っとる。便りを待つばっかりは、もう終わりや。


「ほな、あの子にもコロッケ届けに行こか!」



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