セーブ45
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
決まりごと。
僕たちは生きるうえで、無数のそれらを学び、守りながら過ごしている。
すべてを死ぬまで守り続けられる、なんて人はそうそういないだろう。故意にせよ、事故にせよ、破ってしまうことはままある。
遵法意識を小さいころから植え付けられるためか、自分はアウトローしたくなったとしても、相手のアウトローには顔をしかめたい気持ちになることも、多くないか?
自分はこんなにも我慢しているのに、あいつは勝手にいいようにふるまって……と、不満を募らせることも珍しくはないかと。
守って、守って、守り続けて。その先に相応のごほうびがあるなら、いいのだけどね。ごほうびそのものより、報われたという事実が報酬さ。
高潔な気持ちさえあればいい……とまで、人間ができた人もまた、なかなかいないだろう。
たまには決まりを破ってもいいかもしれない。だが、それはあくまで目こぼしされる範囲まで。もし、度を過ぎるところまでいってしまったなら、自業自得と受け入れるよりないかもね。
少し前に、兄ちゃんから聞いた話があるんだけど、聞いてみない?
まだ兄ちゃんが小学生だったときのこと。
ある日のクラスで欠席者が出たのだけど、そのことに対してみんなが全然言及しなかったのだそうだ。
教室のど真ん中の席だから、それなり目立つところ。兄ちゃんも、あの席に座っていたのが誰だったかな……と、考えをめぐらせるも、どうもピンとこない。
顔は思い浮かぶ。けれども名前が思い浮かばない。
後年、兄ちゃんにはじょじょに増えていく現象だったけれど、初体験はここだったそうな。
顔を合わせるだけだったか、というと微妙だ。話した覚えはあるのだけど、何を話したのかは覚えていない。
疑問に思いながらも、ちらちらその席へ意識を向けていると、後ろの席の子に声をかけられる。三つ編みを結った、クラスの委員長の女の子だった。
「彼のこと、まだ覚えているんだ?」
覚えていないのが、普通だろうとでもいわんばかり。どういうことだ、と突っ込んでみると、彼はルールを破ったのだと彼女が返す。
「なにも、一回でアウトってわけじゃない。何度も破っちゃったから、重いペナルティを与えられただけ。もっとも、本格的に『退場』しちゃうのも時間の問題。君が覚えてくれるなら復帰の目がまだあるかしら」
「……なんか、今日はやたら冷たい感じだな」
普段から、芝居がかったうさんくさいことをいう子ではあったけれど、今回はとびっきり冷酷な印象を受けたね。
彼女は「そうかしら?」と首をかしげつつも、続いて僕に「彼のペナルティをチャラにする気はある?」と問うてくる。
彼のペナルティとやらはよくわからないけれど、このまま顔だけは思い出せる、というのも妙な気分だ。受けてやろうと思ったよ。
「ん、言質はとった。だったら、『セーブ』しといたほうがいい」
手加減でもするのか? と思っていると、彼女はだしぬけに僕の座っている椅子の背もたれに手をかける。
「セーブ45」
ぐっと、彼女が背もたれを強く握り込んでから、離した。
相当な握力だったのだろうか。背もたれとそこへ渡された鉄パイプごと、軽く熱を持っている。
「あとは、次の休み時間。チャイムが鳴り『終わって』から、席へ着いて。そうすればたぶん行ける」
聞いて、顔をしかめたね。
チャイム前の着席は僕たちの学校では当たり前の規則だ。入学当初から教えられていたし、厳守するよういわれている。先生たちも見かけたら強く注意してくるほどだ。
それでも授業が始まるときに先生たちが来るのが遅れる場合はあるし、ひょっとしたら着席していないのを見とがめられずに済む可能性も……なくもないかもしれない。
ただ、彼女としては彼をどうにかしたいなら、絶対にやれと念を押してくる。
緊張したさ。不可抗力でならまだしも、自ら禁を破るときなんていうのは。
チャイムがなる1分前から、すでに着席している人がクラスの大半。その中で立っているというのは恥ずかしかったなあ。いつもなら座っている組のひとりだったし。
時計をしきりに確かめ、自分の席の横に待機している僕。いよいよ、チャイムが鳴り出してしまう。
キーン、コーン、カーン……。
立ったまま、これを聞いていると足の裏からしびれが駆け上ってくる気さえした。そうとう緊張していたんだろうね。
じっくり、じっくり、地獄のかまにでも浸かって数えるようにチャイムは流れていき、その残響が完全になくなった瞬間、僕はぱっと席に座った。
その際、ずっと彼の席を見ていたのだけどね。僕が座ったとたん、彼はその席にいきなり「現れた」んだ。
彼の名前、最近に話したこと、それらもろもろが一気に頭の中へあふれ出してくるも、直後に彼女の声も響く。
「ロード45」
なにが起きたのか。その疑問に答えてくれたのは時計だった。
時間が戻っている。彼女が先刻、背もたれを握りしめたあの時間ぴったりにだ。
ただあのとき、彼の姿は確かにあそこにはなかったはずなのだけど。
「あなたのペナルティで、彼のペナルティを無しにした。でも、そのぶんのゆとりは消えたから、これからはいっそうルールには気を付けることね」
戸惑う僕に、彼女はまたも冷たくそういったけれど、次に話すときには、いつもの調子に戻っていたんだよ。




