九話 諚の刻
降り積もりゆく雪を眺めながら、アメリアは体の重さを感じていた。
いつもより、お腹が張っている。
それでも、産まれるとなると予定よりは早い。
あと数週間は、お腹の中にいてほしい。
お腹を優しく撫でる。
出産は前世も含めこれで四度目になるが、今回ほど心配しながら過ごしたことはなかった。
今日は大人しく、部屋で過ごそう。
身体を横たえると、起きたばかりだというのに、すぐに睡魔が襲ってくる。
どうして妊婦は、こんなにも眠いのか……。
身体を伸ばそうとした瞬間、脚に鋭い痛みが走った。
「いっ……たぁ」
足が攣ってしまったのだろう。
この痛みも、この数ヶ月で何度も経験してきた。
ゆっくりと脚をほぐしながら、深く息を整える。
落ち着いたところで身体を起こし、立ち上がった。
シーリーンを呼ぶため、ベルに手を伸ばそうとした――その瞬間だった。
ズキン
お腹が、きゅうと押し潰されるような痛みに襲われ、思わず身体を丸める。
「いたっ……なに……?」
同時に、頭痛が襲ってきた。
視界がぐらりと揺れ、世界が遠のいていく。
陣痛……?
こんなに急に……。
慣れたはずの出産。
それでも、なんの前触れもなく襲ってきた痛みに、立っていられなくなったアメリアは、ベッドの脇で崩れ落ちた。
誰か……呼ばないと……。
そう思っても、身体は言うことをきかなかった。
「カリナ……カリナ! 起きて!」
その声に飛び起きると、目の前にいたのは、紛れもなくよく知るアメリア王女だった。
思わず自分の姿を確かめるように、頬を触り、髪を撫でる。
ふっくらとした頬、茶色く、くるくると整わない髪。
鏡を見なくても分かる。
――それは、侍女だった頃のカリナの姿だった。
「……アメリア様」
「また、会えたわね……」
王女の姿もまた、別れた時のままだった。
結婚してユーラシアへ向かう直前――最も美しく、自信に満ちていた頃の姿。
「あっ……子ども……」
お腹に手を当てる。
ぺたりとした身体に、絶望がよぎった。
「大丈夫よ。ここは、現実ではないから」
焦るカリナを慰めるように微笑む王女に、こみ上げるように涙が溢れ出した。
「あの……私……やり直せましたか?
あなたの……未来を、国の未来を、守れましたか?」
「ええ……よくやってくれたわ。ありがとう」
ああ、やっぱりこれがアメリア様だ。
カリナの心に、妬みはなかった。
彼女こそが、この世で最も美しく、尊敬され、幸せであるべき人なのだ。
「良かったです。私も、これでお役御免ですね」
涙を拭い、努めて明るく笑ってみせる。
「ヴァルク様は、とても素晴らしい方です!
少し……無愛想なところもありますが、国にとっても、アメリア様にとっても必要なお方です。
なにより、あなたを守り抜くことができるのは、彼だけです!
私が保証します!!
ですから……なにも心配せず、残りの人生を歩んでください」
その言葉に、王女は微笑むだけで、何も返さなかった。
「ねえ、カリナ。アメリアとしての人生は、どうだった?」
「え……それは……とても素晴らしかったです。
アメリア様は皆に慕われ、美しくて、何を着ても理想どおりでした。
色々と問題も起きましたが、今はすべて解決しています。
国王陛下や、お兄様方との関係も、うまくいっておりますし……」
「ストーン伯爵とは?」
「えっ……あ、あの……うまくいっております!
ここ数ヶ月は会えていないのですが……でも、大丈夫だと思います」
「そう……あなたは、とても幸せそうね。
彼と、素敵な時間を過ごしたのね」
「……はい。幸せでした。
だから、アメリア様も……」
「私は、彼と幸せになれる?」
王女は、美しく笑った。
(やっぱり……お似合いだわ……)
それは、確信に近い感情だった。
「はい」
「ふふっ……」
王女は笑う。
けれど、その笑いは、腹の底から湧き出るように、止まらなくなっていく。
「アメリア様……? どうされたのですか?」
「あなたって、本当に……
本当に……」
「愚かよね」
王女の瞳は、冷たく光っていた。
そこに、カリナの知る優しい王女の面影はなかった。
「え……?」
「ねえ、カリナ……あなた、不思議に思わなかった?
どうして、あなたのような、なんの身分もない小さな子どもが、王女の侍女として選ばれたのか」
「あなたは王宮にいる間、一度も家に返してもらえなかった」
「どこへ行くにも、まるで私の奴隷のように、張り付いていなければならなかった」
「それがおかしいことだと、なぜ考えなかったの?」
王女の問いかけに、カリナは呆然とする。
何がおかしかったのだろう。
アメリア王女の侍女として仕え、どこへ行くにも、何をするにも共にいた。
それは、幼い王女の友人役も兼ねていたからではなかったのか。
「え……でも……だって……」
「私はね……あなたの人生を奪ったの」
「もう二度と、邪魔させないために」
王女の瞳は、真っ直ぐにカリナを見据えていた。
王女が語るそれが、王女の罪なのか、カリナの罪なのか。
理解できないまま、二人はただ、互いを見つめ合う。
「だから……これから見せてあげるわ」
「あなたに、本当の――私を…」
アメリア王女は、カリナの頬を両手で包み込んだ。
その眼差しは、深い慈愛に満ちている。
二人を隔てていたものをすべて取り払うかのように、王女の額が、そっとカリナの額に触れた。
その瞬間、視界が白く滲み、意識がゆっくりと塗り替えられていった――




