七話 最期の真実
ヴァルクとの約束の三ヶ月が過ぎた。
妊娠したことは告げないまま手紙の返事を送ったが、その後、便りはなかった。
よほど忙しい日々を過ごしているのだろう――アメリアには、それを気にする暇はなかった。
国王陛下や兄王子たち、マリアやミナ姫と過ごす時間は、少なくとも彼女を癒してくれた。
少しずつ丸みを帯びてきたお腹を見るたび、愛おしさが増していく。
それでも、毎夜続く悪夢から逃れることはできなかった。
深く息を吸い、静かに吐く。
それを三度繰り返してから目を閉じるのが、いつの間にか習慣になっていた。
小さくなってきたと思っていた不安は、胎動を感じるたび、形を変えて蘇る。
この子が生まれる頃、自分はここにいない。
それでいいと、何度も言い聞かせてきた。
――これは、王女の身体だ。私は、借りているだけ。
そう心の中で区切りをつけ、アメリアは目を閉じた。
だが、この日は、いつもと違った。
ガン、ガン、ガン。
鈍い音が、閉ざされた空間に反響する。
誰も来るはずのない場所。
誰にも気づかれないはずの部屋。
身体が動かない。
指先の感覚が、冷たい水に沈められていくように、消えていく。
――似ている。
それは、カリナとして生きた人生の最期と同じだった。
暖かな布団の中で、遠くから孫たちの声を聞きながら、意識がほどけていったあの瞬間。
違うのは、ここには暖かさが一欠片もないということだけ。
これが、アメリア王女の最期なのだと、妙に冷静に理解してしまった。
身体の中で、別の人格としてそれを味わう感覚は、居心地が悪く、逃げ場がなかった。
ドン、ドン。ガンッ。
扉が壊れる振動が、確かに伝わる。
けれど、霞んだ視界には、もう何も映らない。
「殿下!!」
その声を聞いた瞬間、胸の奥が強く脈打った。
それがアメリア王女の心臓なのか、自分のものなのかは分からない。
ただ、その声がヴァルク・ストーンのものだという確信だけが、はっきりと残った。
「殿下、助けに参りました。
国へ帰りましょう。必ず、お父上のもとへお連れいたします――」
耳元で囁かれるその声は、確かに届いているはずなのに、世界はもう遠い。
頬を伝う温かさで、涙を流しているのだと知った。
喉が震えた。
何かを伝えようとしていることだけは、自分でも分かった。
けれど、掠れた息は、言葉にならない。
「ヴァルク、もう無理だ……こんな状態だと助からない」
「五月蝿い! 必ず連れて帰ると陛下に約束したんだ……!」
「殿下……大丈夫です。気持ちを強くお持ちください」
大きな手が、強く、それでも優しく手を包む。
その温度だけが、異様なほど鮮明だった。
ヴァルクの励ます声が、次第に叫び声のように苦しさを増していく。
次の瞬間、すべてが静かになった。
目を開けると、朝の光が差し込んでいた。
鳥の声が、夢とは別の世界だということを鮮明に教えてくれる。
シーツは涙で濡れていて、胸の奥がひどく痛んだ。
無意識に腹に手を当てると、確かな重みがそこにあった。
――アメリア王女は、死んだのだ。
最期の瞬間、助けに来たのはヴァルクだった。
彼の小さくなった慟哭が、耳に残る。
間に合わなかったとしても、彼はそこにいた。
どれほど無念だっただろう。
彼は一貫して、アメリア王女の幸せを願っていたではないか。
それなのに、彼が連れて帰ることができたのは、王女の亡骸だけだった。
そして――同盟は、ここで終わる。
部屋は静かで、隣に彼の姿はない。
涙はまだ止まらず、溢れ出す。
なんて苦しい最期だったのだろう。
けれど、もう苦しまなくていい。
良かった……。
そう、確かに思った。
アメリア王女は、ヴァルクが最後に助けに来たことを、分かっていた。
きっと、王女がこの身体に戻った時、ふたりは幸せに歩めるだろう。
王女を守るために闘う人。
優しさを心の中に持っている人。
それが最期に、確かに伝わっていたはずだ。
アメリア王女は、ヴァルクを恐れることも、嫌悪することもない。
そう確信すると、アメリアは涙を拭った。
――ノルディアに帰ろう。
もう役目は終わる。
アレクサンダー・ユーラシアは死に、
フィリップ・モリスは去った。
完璧とは言えなくても、ロキア王国の未来は、前世とは違う。
なにより、アメリアは生きている。
ヴァルク・ストーンが、この先も彼女を守り続ける――それだけは、自信をもって言えた。
(アメリア様……私、あなたを救いましたよね……)
最後に、ノルディアで子どもを産もう。
ふたりの未来のために、もうヴァルクは待たない。
未練が一つも残らないように。
アメリアは、その日、ヴァルクへ手紙を書いた。
ノルディアに戻ること。
妊娠したこと。
そして、サイグ民主共和国は今後、ロキア王国にとって大切な隣国となるだろうから、よく見てきてほしい――そう綴った。
子どもがいつ生まれるかも、
生まれるまでに帰ってきてほしいとも、書かなかった。
そうして、国王や兄たちに別れを告げた。
護衛として同行していたシンシアの部隊が細心の注意を払い、ノルディアへと無事に帰ることができた。
あの最期の夢から、悪夢はもう見なくなった。
暗い暗い闇の底に沈んだように、
毎夜、夢を見ることなく朝を迎える。
いつか、目を覚ましたとき、自分は消えているのではないか――
そう思いながら、時は無情にも過ぎていった。




