五話 奪った過去と返す未来
「アメリア様、ヴァルク様から手紙が届きましたよ」
妊娠が告げられてからひと月……ようやくヴァルクから届いた手紙は、サイグ民主共和国に到着したことを知らせるものだった。
伝書鳥によるやり取りは、お互いの手に渡るまでの時間を大幅に短くしてくれる。
早速返事を書こうとして筆をとったものの、結局書けないまま半日が過ぎた。
毎日見る悪夢も、
いつまで経っても消えない吐き気も、
自分が妊娠しているという事実を告げているようでならなかった。
「……気持ち悪い……」
手紙を握りしめたまま身体を丸めると、後ろからローラの優しげな声が届いた。
「フルーツはいかがですか?」
皿に乗せられた爽やかな香りに、ふっと、ほんの少しだけ気持ち悪さが和らいだ。
「なあに? これ」
「南の島で採れるフルーツだそうです。酸味が強いので、悪阻が酷い方には好まれると聞き、取り寄せました」
一口サイズに切られた欠片を口に含む。
鼻から抜けるような爽やかさと、口の中に残る酸味に一瞬目を閉じたが、噛みしめるとフルーツらしい甘みもわずかに感じられた。
「美味しいわ。これなら食べられそう」
「よかったです。少しで良いので召し上がってくださいね」
続きを食べようとフォークを刺したあと、ふとアメリアはローラに声をかけた。
「ねえ、せっかくだから話し相手になってくれないかしら」
「もちろんでございます」
ローラは飲み物を用意すると、アメリアの向かいに腰を下ろした。
おそらく、アメリア王女のことを最もよく知る人物。
彼女とは、必要最低限の会話だけを心がけてきた。
それを破っても、今は知る必要があると思った。
「あなたには本当にお世話になったわよね……小さい頃から……母の代わりだったわ。
ずっと仕えてくれて、ありがとう」
「アメリア様……そんなふうに言ってくださるなんて……夢のようでございます」
「こうしてお腹に子どもがいるかもしれないなんて……不思議な気持ちだわ。
私は母を知らないから、あなたに聞きたいの……」
少し間を置いて、続ける。
「子どもの頃、私はどんな子どもだった?」
アメリアの問いに、ローラは少し考えたのち、ふっと懐かしむように微笑んだ。
「美しく、聡明なお子さまでしたわ……
小さい頃から、お父様の邪魔をなさらぬよう、いつも気をつけておられました」
「そうだったかしら……」
「ですが、そうですわね……一方で、とても我儘なお姫様でもありましたわ」
「わ、我儘⁈」
くすくすと嬉しそうに笑いながら、ローラはアメリアのお転婆ぶりと、姫君らしい数々の我儘を語ってくれた。
「まさか……そんな感じだったなんて」
「ええ。国王陛下にはいつも遠慮なさっておりましたから、侍従たちには本当に好き放題でしたわ。
ですが、我々も姫様の寂しさはわかっておりましたから、できるだけ尽くせるよう必死でした」
ローラは、少し表情を曇らせて続けた。
「ですから、ヴァルク様をお選びになったときは、正直なところ心配でございました。
以前もお話ししましたが――ヴァルク様が王宮へ初めていらしたあの日から、アメリア様は今のように、毎夜うなされるようになられました。
そして、突然人が変わられたようになりましたから……」
――もしかして。
転生してカリナが消えたことで、アメリアの過去が変わってしまったのかしら。
カリナがアメリアの侍女になったのは、おそらくヴァルクと会った後のことだった。
王女と歳の近い、友達のように接することができる侍女が欲しい――そんな理由で選ばれたと聞いている。
当時八歳だった彼女は、二つ年上の自分よりも賢く、すべてを見通すような雰囲気を纏っていた。
けれど一方で、カリナの前では年相応に可愛らしい部分もたくさんあった。
好奇心旺盛で、何度となく城外へお忍びに出かけては、こってりと怒られた――主にカリナが。
国を隅々まで見たいと言い、結婚でユーラシアに行くまでの五年の間にほとんどの領地を共に旅した。
ノルディアと、モリス公爵領を除いて――。
「ですが、ヴァルク様をお選びになって、本当によかったですわね」
「え……ああ、そうね。他の方々でしたら……大変なことになっていたかもしれないものね」
「それもありますが……アメリア様の表情を見ればわかります」
ローラの瞳は、穏やかで母性に満ちていた。
「愛されて、幸せなのだとわかります。
姫様はヴァルク様とご結婚され、すっかり穏やかな目をなさるようになりました。
こんなに幸せなことはありません。
今は妊娠でお身体に不調がおありですが、きっと安定期に入られれば、お元気になられますわ。
ヴァルク様が戻られるまで、こちらでゆっくりお過ごしくださいませ」
その言葉は、嬉しさよりも痛みとなって胸にのしかかった。
――アメリア王女は、本当に幸せだろうか。
このお腹の子を産めば、王国は滅びない。
アメリア王女も、死なずにすむ。
そうだとしたら、何があっても子を産まなければならない。
けれど、この身体を返したその先で、彼女は幸せでいられるのだろうか。
何度も、何度も未来を思い描いた。
その未来を生きたいという思いと、アメリア王女に幸せでいてほしいという思い。
決して同時には叶わない未来が、この子を産むことへの不安を、静かに膨らませていく。
ローラが部屋を出て行ったあとも、アメリアはヴァルクへの返事が書けないまま、何度も手紙を読み返した。
『サイグ共和国に着いた。
一月ほど滞在したらロキア王国へ戻る。
息災でいてくれ。
ヴァルク』
たった三行。
それだけなのに、胸の奥が熱くなり、涙が溢れそうになった。




